九州を中心に猛烈な雨が列島を襲った。しかし、なぜここまで被害が大きくなったのか。 一因に「浸水リスク」が高い土地での住宅開発が指摘される。
AERA.dot過去20年で洪水浸水リスクが高い地域に「人」と「家」が急増 住宅開発制限が必要か
地域防災に詳しい山梨大学の秦准教授は、洪水浸水想定区域内の人口と世帯数を割り出した。その結果、20年間の区域内の人口は4.4%増の約3540万人、世帯数は47都道府県全てで増え25.2%増の約1523万世帯となった。
洪水で川が氾濫した場合、水に浸かるのは、高い土地ではなく、「低い場所」に決まっています。 この「低い場所はどこかをシミュレーション」した判定結果が「洪水浸水想定区域」ですね。
んで、そこに家を建てた場合、その家は浸水リスクが高いのは当たり前です。では、なぜそんな土地に家が増えたのでしょう。
「単独世帯の増加や核家族化によって、浸水リスクの高い土地の住宅開発が各地で続いているからだと考えられます」
前出
長い間、浸水リスクの低い土地は相対的に利用がしづらいので、もともとあんまり家が建っていなかったわけです。近代に入り、それ以前より丈夫な堤防が造られ浸水した経験が減るにつれ、「家が建っていないから開発しやすい」「土地の価格が安い」という理由で開発が行われるようになります。 人口が増え、核家族化により世帯数も増えてきた という面もあるからですね。
堤防によって守られているけど、そういう土地は、洪水が堤防を越えるか破堤してしまえば、危険性は依然と変わらないんだけど。
じゃあどうすればいいんでしょう?
「今後、住民は危ないところにはできるだけ住まないようにする。また、千寿園のような高齢者施設は原則として洪水浸水想定区域内につくらないなど、行政による開発の制限も必要です。人口減少下で、持続可能な地域のあり方を考えた場合、災害リスクの低いエリアに住宅を誘導する『居住誘導』を行うなどの対策が不可欠です」
前出
はい、おっしゃることは全くその通り なんですけど、それがずっとできていなかったんですよね。
ちなみに後者を具体的に言うと、治水計画(危険にどう対処するか)と都市計画(上で言う居住誘導)が、ずっとうまく対応できていない歴史がありまして・・・理論的に正しくても、実現性がないとどうしようもない・・・
この両者になぜ乖離が生じていたのか。そしてどうすればいいのか についてネットで検索したら、「地域計画と流域管理の相克と協力の史的研究」っていう東大の学位請求論文の要旨が見つかりました。
要旨しか読めていないのですが、結論としての分析と対策(理論解)については、河川管理の経験者としてなるほどなあ とおもいましたので僕の言葉で掲げておきます。(後段で原文を引用していますが、なかなか言葉が難しいんで、僕はこのように理解した という言葉に置き換えて表示しています。間違っていたらゴメンナサイ。)
結論1. 都市計画制度は氾濫原管理に機能してこなかった
流域の土地利用は都市計画に依拠しており、法定都市計画における適切な土地利用管理なくして水害対策はなしえなかった。(そしてうまく行ってなかった。)
結論2. 水害対策への施策や対象が河川管理者と都市計画決定者でギャップがあり、その狭間で水害が発生している
近代における河川管理者は堤内地と堤外地を分離し、堤外地のみで河川管理を行う「自然現象の制御は可能」思想を取ってきた。
一方で、堤外地(流域)の開発行為は市場原理・財産権の侵害を口実に制限されない「人間活動の制御は困難」思想が存在していた。これらの思想の狭間で水害が起こっている。
今後はこれを転換し、河川管理者は「自然現象の制御は困難」思想の下、浸水リスクを明示し、都市計画決定者は「人間活動の制御は可能」思想を持ち、浸水リスクを考慮した対策に取り組む方向で対策がなされる必要がある
結論3. 水害リスクが顕在的な場合、戦後民主主義的な平等主義に束縛されることなく対策を実施する必要がある
対策においては、関係住民各個に利害差が出るため事業実施の障害となることが多い。でも公共事業では特定の個人への優遇はできないので、個人の利害を平等にするのではなく、流域全体で利益を得る事業を実施することが必要になる。
結論1. 表象の追認に堕した法定都市計画制度が氾濫原管理に機能してこなかったこと
総合治水対策の流域管理施策の基本的な計画思想は流出抑制等の自然現象の制御という旧来の河川管理の根本的計画思想に留まっており,超過洪水対策においても,流域の土地利用のコントロールは,依然として法定都市計画に依拠しており,法定都市計画における適切な土地利用管理なくして,水害対策はなしえないことを,既往の事例調査を通じて明らかにした.さらに,法定都市計画が歴史的な治水との協力を考慮せず設定されたことにより,水害を生じた事例を通じて,法定都市計画の問題を明らかにした.
結論2. 水害対策へ取り得る施策やその対象範囲設定法が,河川管理者・都市計画決定権者間でギャップがあり,その狭間で水害が発生していること
近代における河川法の本質は,堤内地と堤外地を分離して堤外地のみで河川管理を行うものとされており,連続堤による洪水対策に見られるように,本来発生最大規模が予測困難な自然現象を相手にする際にも,事業対象区域と対策目標を事前に明示的に設定して,その範囲内「のみ」で対処する,自然現象制御推進思想が存在してきた.他方,開発行為という地点が事前に明確な事象については,各地点でのリスクが比較的容易に推定できるにもかかわらず,市場原理・財産権の侵害を口実に地先的対策も行われず,結果として人間活動制御困難思想が存在していた.これらの計画思想の狭間で水害が起こっており,これを転換し,河川管理者は,自然現象管理困難思想の下,浸水リスクの所在を明示する施策に取り組み,他方,都市計画決定権者が人間活動制御推進思想を持ち,浸水リスクを明示的に考慮した地先対策に取り組む方向へ両者が転換し,その管理範囲の輪集合の中で水害対策がなされる必要があることを示した.
結論3. 現在水害リスクが顕在的な地点については,戦後民主主義的な平等主義に拘泥せず,特定地先重点対策を実施する必要があること学位論文要旨
既存の水害対策を旨とした移転による対策事業は,洪水対策の人為的なミスないし計画上のリスクがあった地点を対象に行われていることから,リスクがある特定への地先での重点解消策がその実施の要件であることを事例調査から明らかにした.他方で,重点施策においては,地先近傍でのステークホルダー間でのキャピタルゲインの大小が事業実施の障害となることが多いことが分かったこと,他方で公共事業実施に際しては,特定の個人への優遇策は困難であることから,適切な河川・都市施策の中で位置づけて,流域全体のゲインを生み出す事業を実施する必要があることを明らかにした.
うん、全く異論はないです。特に「結論2」は述語がこなれてないのが残念だけど、言いたいことはすごくよくわかるし、うまくまとめてあると思うな。
現在のところ、最近の大規模水害を受けた河川管理者は「自然現象の制御は困難」思想の下になりつつあると思います。こちらは基本自然科学だから、現象を見れば思想の転換は容易というか、納得せざるを得ないかと。相手と交渉の余地は無く、起こった現象をどう解釈するか の問題だけですからね。
けど、人間が相手の「人間活動の制御は困難」という思想を「人間活動の制御は可能」という思想に変換していく のほうは、理論的には正しいけれど、それ実現可能なのか って思っています。(これは「工学の問題」ではないので、論文に対してケチをつけるものではありません)「人間活動の制御」って「経済を回すことを制限すること」と同義だから、昨今の「Go To キャンペーン」の顛末を見ていると・・・
結局のところ「Go To キャンペーン」というのは、実施することでコロナウイルスの感染が広がる可能性があるし、感染による死者も増えるかもしれない。 けど、観光・飲食・運輸を始めとする地域経済を回さないことには、日本はそれ以上の被害を負う可能性がある から、実施せざるを得ない と言うのが実態なのでしょう。
これだって「人の利害を平等にするのではなく、国民全体で利益を得る事業を実施する」に当たるかと。(オマエが判断して大丈夫か っていうのもあるけど・・・それが本来、政府の役割ではあります・・・)
参考
昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。それだからそうした経験に従って造られたものは関東震災でも多くは助かっているのである。大震後横浜から鎌倉へかけて被害の状況を見学に行ったとき、かの地方の丘陵のふもとを縫う古い村家が存外平気で残っているのに、田んぼの中に発展した新開地の新式家屋がひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時につくづくそういう事を考えさせられたのであったが、今度の関西の風害でも、古い神社仏閣などは存外あまりいたまないのに、時の試練を経ない新様式の学校や工場が無残に倒壊してしまったという話を聞いていっそうその感を深くしている次第である。やはり文明の力を買いかぶって自然を侮り過ぎた結果からそういうことになったのではないかと想像される。
寺田寅彦「天災と国防」 青空文庫
昭和9年に書かれた文書です。人間ってのは進歩しない というべきなのか、「人間活動の制御は困難」と取るべきなのか、僕は「だから進歩すべきだ」というより、最近は後者の見方になりつつあります(諦めって言うのか・・・。でもそれが人間という生き物だ という気もするんです。「河川管理者」という専門家なら失格かもしれないですが。)
河道の直線化と堤防の強化で水をかぶりやすかった地域が都市化していく流れはどこも同じようなものですね。
近ごろ国土地理院がバンバン公開してくれている古い航空写真や様々な地形図を見ていると河道の直線化と都市化の間にギャップがあることに気がつきました。八王子あたりでは、1930年代後半から1950年代に大きな川への築堤と合わせて水田地帯にあった中小河川が次々に直線化されているんですね。この時代、戦争や増大する人口対策のための食糧増産政策のもとで、河川や水路が「近代化」され(自然現象を制御し)、農地が水をかぶらなくなり(遊水池機能がなくなり)、続いて高度成長期の前後から都市への人口集中が起こり、これらの都市周辺の農地が「家があんまり建っていない土地」として住宅や工業開発の受け皿となっていった、という順番がありそうです。
近世の治水では中小河川は蛇行しているのが普通ですが、これは「出来なかった」のではなく「しなかった」のではないかなあと思っています(全部とは言いませんが)。近世地水は流速を抑えて、どこかにあふれさせるのが基本。都市周辺では農地ならば何年かに一度水をかぶっても蛇行した川からじんわりあふれる水ならば表土の流出が少なく、その年の収穫は減っても上流からの客土効果も期待できる。下流の市街地へのバッファ効果も期待できるし。基本はおっしゃるように自然現象の制御は困難という哲学でしょうね。
近代農業はそんなのんびりした水哲学を許さなかったのではないでしょうか、都市周辺の農地が都市化する前に「農業」のための公共投資での河川と小規模な水路の「近代化(制御可能自然観の下で)」が先行した、という仮説です。
コメントありがとうございます。
順番はその通りですね。
近世の治水については私は違った見方をしています。本当は直線化したかったけど、予算的技術的制約から「出来なかった」だけではないかと。
近代である江戸時代においても、治水思想が関東流(制御困難)から紀州流(制御可能)と変遷していますし。
これについては、 治水技術の系譜 ~「関東流」と「紀州流」 – 関東地方整備局 等が参考になるかと
そういえばお礼を言うのを忘れてました。前回の投稿で川の左右で差をつけた治水実例へのアドバイス、ありがとうございました(いくらなんでも遅れすぎか)。
さて、この関東地建のサイトについては、制御不能自然観に立った関東(甲州)流から制御可能自然観に立った紀州流(ただし技術的には伝統工法)へ、さらに最新技術に裏付けられた近代河川工法へという、進歩史観で書かれていていますが、東洋大学の松浦先生のように「紀州流」の実態が実は不明であるという異論があるようですhttps://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010928325.pdf
http://www.mizu.gr.jp/images/main/kikanshi/no32/mizu32c.pdf。
個人的には井沢為永が進めたといわれる連続堤防や直線化は治水というより利水のためじゃなかったのかなあ、と思います。彼がかかわったことが確実な埼玉県の見沼水田が現在どのように評価されているのか、というと東京を水害から守るための最後の(上流から見て)遊水池として市街化調整区域になっています。都市化したほうが絶対もうかる場所なんですけどね、怖くて開発できない。
洪水は自然現象で制御できない、可能なのは水害の最小化のみという制御不能自然館から見ると、あちこちで近代治水のほころびみたいなのが見えてきた今、治水(による土地利用)利水という人の都合とどういう風に折り合いをつけるのか(今は農工業、引用だけですがかつては舟運という目的もありましたから)、それとも近代治水の次の技術的ブレイクスルーがあるのか、興味深いところであります。
素人が勝手な事ばかり書いてすみませんでした、この話題はとりあえずこの辺で終わりにします。
頂いたコメントのこの部分、私の関心もまさにこの部分にあり、全く同意です。
「近代治水のほころびみたいなのが見えてきた今、人の都合とどういう風に折り合いをつけるのか、それとも近代治水の次の技術的ブレイクスルーがあるのか、興味深いところであります。」