西尾の文化財(30) 幡豆・龍蔵院

久しぶりの「文化財」カテゴリーの更新ですね(笑)。今回は、幡豆は小野ヶ谷にある、龍蔵寺を取り上げます。

今、西尾市立図書館(岩瀬文庫)で 西尾の古代・中世 吉良荘と吉良氏の光芒 という特別展をやっています(2021年1月31日まで。無料)。

展示資料に「大般若経」平安時代 長寛2年(1164)写」があったんですね。大般若経※って、すごく長い経典(600余巻)なんだけど、大乗仏教の基本経典らしいです。 1164年に書写された・・・1164年って平安時代末期、平清盛が全盛の頃です(1167年太政大臣就任)。

これはもちろん西尾市の文化財ですが、それを所蔵しているのが龍蔵院なのです。龍蔵院には他にも文化財として「聖観音菩薩 不動明王 毘沙門天像」があります。(ただし秘仏。7年に1回御開帳ー次は2024年)

歴史ある寺なんだな〜と興味がわいて家に帰って地図を見たら、 龍蔵院もさることながら、このお寺のある小野ヶ谷という地形も気になり、見に行くことにしました。

google マップ、航空写真より  ちなみに、画面の南端が海岸線(三河湾)です。

山懐に谷が入り込んだ谷戸地形ですねえ。(鎌倉みたいだ)谷の中央を小野ヶ谷川が流れ水の取得も容易。人家もかなりあるし、ここは古くから人が住んでいた、豊かな土地に違いありません。その上流部に昔から鎮座していた歴史あるお寺なんだな!

ってことで到着。趣のある石垣の向こうに、まだ新しい本堂が・・・

趣がある・・・って感じではないけれど・・・まあこれは仕方がないですね。案内看板に書かれた説明によると、虎洞山龍蔵院は835年創立(寺伝)だそうです。835年って、空海(弘法大師)が亡くなった年です。まあこの寺は伝教太師系の天台宗だったそうですが。(現在は浄土宗西山深草派) 

その後源義経主従が寺に立ち寄り写経を行い、その時、弁慶が書いたのが、先の大般若経と伝わっているそうです。実際の経典の奥書に書かれたのは、別人のようだけどな。

お寺についてはこんな感じです。大般若経の実物が見たければ、1月31日までに岩瀬文庫に行ってみましょう!

お寺から少し奥に歩いていくと、小さな神社がありました。八幡社のようです。

特に特記することはないんだけど、積まれた石垣が少し気になりますねえ。何の石だろう?

赤さびみたいなのが浮き出ているってことは、鉄分を多く含むんでしょうね。そういえば、似たような石を幡豆の「青鳥山自然環境保全地域」で見ました(記事「岡本要八郎」を参照)けど、これももしかして両家閃緑岩ですかね??

「青鳥山自然環境保全地域」近くの神社石垣の写真

それほど距離は離れてませんな。

山に挟まれてこもっているけど、けっこう人家があって、特に農業(水田耕作)の観点から、住みやすそうな土地でした。

龍蔵院から小野ヶ谷を望む。あんまり眺望は効かないけど。

※大般若経について

『大般若波羅蜜多経』(だいはんにゃはらみったきょう)とは、唐代の玄奘三蔵が大乗仏教の基礎的教義が書かれている長短様々な「般若経典」を集大成した経典。通称は『大般若経』(だいはんにゃきょう)で、『般若経』(はんにゃぎょう)と略称することもある。全16部(会)600巻に及ぶ膨大な経典群である。
 現在日本においては、この600余巻の教典を読経する大般若会が真言・天台等の密教系宗派や禅宗において盛んに行われている。但しこの膨大な教典を完全に読誦することは過去に数例の記録があるのみで、現在は転読と呼ばれる、教典をパラパラとめくっては、般若心経末尾の真言や『転読大般若経中唱文』などを読誦して一巻を読誦したことにする儀典で行われることが多い。
日蓮宗・浄土真宗等を除く、日本の大部分の宗派はこの経をその教義の基礎と位置づけ、依用しているが、当然ながら玄奘以前は旧訳の各種般若経が用いられていた。

大般若波羅蜜多経 wiki

ちなみに、西尾市内には、金蓮寺にも室町時代の大般若経が残されています。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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