「資源」と「商品」 という考え方

家庭菜園をやってるある家庭での出来事。

ケース1:サツマイモが大量に収穫できました。

息子:今年はサツマイモが大量に出来たけど、サツマイモって大量には消費できないんだよな。だから、痩せて小さいのや、掘り起こす時に傷がついたものは、せっかく掘り起こしたけど、このまま畑に放置し、土をすき込んでしまおう。もったいないけど、家に持ち帰っても、捨てるだけだし・・・

父:畑に行ったら、サツマイモが捨てられてたから拾って来たぞ。喰えるのにもったいない。こんなことしたらアカン。

息子:Oh,My God!

ケース2:今年はピーマンが豊作でした。でもそれも限度があって・・・

父:今年は暖かいから、まだピーマンが収穫できたぞ!

母:えっ、こんな時期外れのデカイピーマンどうするのよ。固いしまずいし。

父:だって喰えるのに、もったいないだろ、いいところだけ使えばいいじゃないか

母:(誰がそのメンドクサイした処理をするの・・・黙って捨てるしかないわね。)これからはもっと早い段階で収穫してくださいね!

父:Oh,My God!

こんな感じの会話は、主に畑を担当するお父さんと、その収穫物を料理するお母さんとの間で結構あるんじゃないでしょうか。 うちもそうです。

父さんは「食べられるのにもったいないだろ」という価値観を持ってます。まあ苦労して生産したんだから理解はできますが。

息子と母さんは「全部はとても消費できないから、おいしいところから食べればいいの。それに消費できない部分、下処理しないと食べられない分は余分に取って来なくていいわ」って思っています。台所に立ってみると、これも分かります。

この両者の間には、深くて越えられない永遠の断絶の溝を伴っています。

前者は「生産者の視点」で「生産物を資源」として捉えており、後者は「消費者の視点」で「生産物を商品」として捉えている違いがあると見ています。

周りを眺めると、たいていの自給農家は「生産者の視点」を持っていて、食べられようが食べられまいが、とりあえず全部収穫して家に持ち運ぶ感じ。つまり「資源としての農業」ですな。でもプロの農家は「商品としての農業」をやってる一面もあります。

キャベツ、レタス、ハクサイ…野菜暴落 泣く泣く産地廃棄しても歯止めかからず
いま野菜産地が、価格の暴落に泣いています(表1)。このうち、キャベツやレタス、ハクサイの産地では、箱代や運賃にもならないと、畑でつぶす緊急需給調整=「産地廃棄」が行われ、なんとか価格暴落に歯止めをかけようとしています。「産地廃棄」は、丹精込めた野菜を処理しなければならず、生産した農家にとっては「一番つらい仕事」です。

「農民」記事データベース

僕(息子)は、よく「まだ喰えるのにそんなもったいないことするな」と批判されるんです。僕だってせっかく作った資源を無駄にするのはもったいないと思います。けど、商品価値がない(喰いきれない)資源に、労力をかける意味はないだろとも強く思ってるんです。家庭を市場としてみれば、上記のプロ農家がやってることと僕の行為は、そんなに変わらないとも思うんですけど・・・

まあ、それはそれとして、あるものを「資源」として見るか、「商品」として見るかで、いろんな視点が開けるのではないか と思うわけです。

例えば、こんな記事

日本の周辺海域(けっこう深いところ)には大量のメタンハイドレートがあり、きちんと調査が進めば記事にあるように「日本が資源大国になる」可能性はあります。が、それゆえに「資源・エネルギー外交において日本が優位な立場になる可能性」は、限りなく少ないと思います。 メタンハイドレートを利用可能なエネルギーに変換・運搬するのにコストがかかりすぎ「商品」にはなり得ないから。「商品」にならない限り、現存の石油・天然ガス・石炭なんかと戦えませんわ。

「メタンハイドレートさえあれば日本のエネルギーは大丈夫だというのは幻想ですね。存在している資源の全てが回収できるわけじゃない。これを輸出できてなんていうのは、現実を知らない人だけです。そう言って一般の人を惑わせてはいけないでしょう。資源については間違ったことが平気で流されて、時にはそれが政策にまで影響してしまうということがあるので、関係者には科学的事実を正しく理解し、共有してほしいと思います」
 メタンハイドレートはエネルギー資源として期待できるが、開発しても日本がエネルギー大国になることはない、というのが研究者としての松本特任教授の見解だ。ある意味では、これまでもてはやされてきたメタンハイドレートの幻想を打ち砕くものといえるかもしれない。ただ、純粋に学術的な意味でも、メタンハイドレートにはまだまだ興味深い点はある。

「燃える氷」メタンハイドレートは本当に日本を変えるのか

このように、資源と商品という特性の違うものを混同すると話がややこしくなります。でも、このたぐいの話は結構転がっているような気がします。

つまらん飲み会でよくあるのですが(最近は減ったけど)、宴会終了時に「餌(つまみ)を残すともったいないから、ガンバって食え」さらに「お前ら喰え、若いんだから喰えるだろ」と押し付けるジジイがいましたね。そういう輩に限って「俺は呑むとあまり食わない」ってあらかじめ予防線を張ってたりします。老獪というか老害です。てか、それ年齢に限らず体質っていう面もあるし、若いから食えるってのもそうとう個人差あるし・・・

彼らはおつまみが残るともったいない、つまり主に「資源」と見てるんですが、僕から見ると「まずいから(油モンばっかりいらない)」「食欲ないから(アンタと呑んでるから)」「お腹いっぱいだから(てか明らかに料理多すぎ)」残っているんです。つまり主に「商品」としての価値が低いから残っているんです。だから残っても仕方がないと思うんです。(もったいないとは思うけれど) 

決定的な視点のちがいがあるから、口には出しませんが「もったいないと思うアンタが食え」と思うばかり。まあ、そういう「かわいげのない」若手は嫌われます(笑)。

愛知県では、宴会時に乾杯後30分と終了前10分を席を離れずに食べ残しを減らす「3010(さんまるいちまる)運動」について推進しています。

愛知県食品ロス削減サイト

そもそも宴会の主務は傾聴や上司のビールの減り具合のチェックであって、食べることが最重要任務じゃないから仕方なくね? そんな席の料理は旨くない(あるいは旨く感じられない)からしょうがないんじゃとも思うね。

「食品ロス」をなくすためということで、給食指導を強化する動きがあることです。いわく、「日本は世界一の残飯大国で大量の食べ物を捨てている。世界には食べたくても食べられない人たちがたくさんいるのに申し訳ない。農家の人や調理した人たちにも申し訳ない。もったいない精神で食べ残しをなくそう」。
 こういった声に押されて、給食の残量調査が強化され、先生の中には自分のクラスの残量を減らすことに躍起になる人もいます。給食の後で「今日は25人が完食!」などと発表する先生もいます。これをやられると小食で食べ残す子はいたたまれなくなります。
 トレンド総研が2018年5月16日に発表した調査結果によると、小学校教員の86%が給食の残食率が気になっており、「頑張って残さず食べさせるように指導している」という教員が68%にも上るとのことです。

学校給食は「残すな」より「食べ残せ」が正しい

これも「資源」に偏った見方じゃないかと。 物言えぬ顧客に向けた「商品」として問題はないですか?

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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