うっせ~、うっせ~、うっせ~わ♪
つい口ずさんでしまう、中毒性のあるメロディーライン。そして、痛快な歌詞は、社会をこうぶった切る。
クソだりぃな
酒が空いたグラスあれば 直ぐに注ぎなさい
皆がつまみ易いように 串外しなさい
年齢や役職が下の者は、上の者にかしずき従え。そういわんばかりな謎の常識を、「くせぇ口塞げや 限界です」と糾弾する。
「子どもに宿題しなさいと言っても、うっせえ、うっせえと歌うばかりで言うことを聞かない」
「不快感と、重めの“中二病”を感じた」
「心の中でいきってて、可哀想」
子育て中のママは「教育によろしくない」と眉をひそめ、大人たちは「調子に乗るな」と否定的。皆さん結構イライラしているようなのだ。「『うっせぇわ』は子どもに歌わせない」という親たちに伝えたいこと
ええ~、なんで? なんで? すごくいい歌詞じゃんと、当方、不思議でたまらない。だってこれ、私のような50代中年だって心に沁みる。
いやあ、当方40代中年男っすけど、共感できますし、なかなかよい曲だと思いました。
子供がこれを真似て歌うのも、「大人もすなるサラリーマン哀歌といふものを、子供もしてみむとてするなり。」(©「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」紀貫之・土佐日記)と人間が昔からやってきたこと。何の問題もないですよ。
若手サラリーピープルが、職場の飲み会とかで理不尽な思いを抱え(そしてそれに適応するよう強く勧告され)鬱屈を抱えるのとまったく同じように、子供だってそれぞれの社会で同じ感覚を抱くことも当然あります。むしろ、大人ほど自由に動けないだけ鬱屈は深まるかもしれません(僕の経験ではそうです)。会社は自分の意思で辞められるけど、小中高校ってなかなかそうもいかないですよね。。むしろこの歌に共感して歌ってくれるなら、年齢を問わず「同志」みたいでうれしいけどな。
「クソだりぃな 酒が空いたグラスあれば 直ぐに注ぎなさい 皆がつまみ易いように 串外しなさい」って、かわいそうだけど子供たちが将来「日本で勤め人」になるなら、確実に洗礼される現実です。学校という隔離施設では決して教えてくれませんがこれも現実ですから隠したってしょうがないです。、早めに知っておいた方が良い知識かもしれませんよ。
というか、現実はもっと過酷だったりします。
エライ人「おい幹事、この店、サッポロビールがねえぞ!」
僕「はあ・・・(だから何だよ)」
「はあ、じゃねえ。いいか、うちの課長は北海道大学出身で、サッポロビールが好きなんだ!だからうちの課の呑み会は、サッポロビールを扱ってるところでやると決まっているんだ、覚えとけ」
「はあ・・・(ここは名古屋なんだから、おとなしくアサヒ飲んどけ!)」
こんな時、内心は「うっせ~、うっせ~、うっせ~わ」じゃあ済みませんよ。「死ね!」でしょう。例え表面ではしれっとしてたとしてもね。 しかもこれ、課長本人が自分でそう言うとか、課長の前で言われるんじゃなくて、周りの人間の忖度なの・・・
「うっせ〜。ビールなんぞ第三のビールでもサッポロでも、出てきたもんおとなしく呑んどけ!どうせ二次会は無ブランドの焼酎の水割りで酔うんだろうが。てか、おとなしく幹事やってやってるんだから、文句あるならお前がやれや!」
僕は気が小さいので、とてもそんなことは言えませんが。まあ、歌うくらいで現実逃避できるなら、大いに歌えばいいじゃん。
と、おっさんがあんまり論評するのは野暮ってもんす。 最後にこの曲に関連して、「はっ」と思った文があったので載せておきます。
せっかく本稿を読んでくださっている人に、どうしても知っておいてほしい事実がある。それは、現代の日本社会において、若者はマイノリティだということだ。
筆者が5年前から東京大学で開講している講義「ボーカロイド音楽論」の中では、必ずセクシュアル・マイノリティについて触れる。国内外にさまざまな調査があるが、人口の8〜10%がLGBTQなどのセクシュアル・マイノリティに該当すると言われる。
対して、現在の日本の10代(10〜19歳)の人口は約1100万人。日本の総人口(約1億3000万人)に占める割合は8%程度ということになる。セクシュアル・マイノリティの割合と同じくらいなのである。
「社会がセクシュアル・マイノリティを存在しないもののように扱うことは、あなたたち10代全員を存在しないもののように扱うことと等しい。それがどれだけ暴力的なことかわかりますよね?」
もちろん割合によらずすべてのマイノリティは尊重されるべきだが、この事実に学生はリアリティを感じてくれるのであろう、講義でこのように言うと聞く姿勢が俄然真剣になる。
あるいは筆者が言う前から、若者は自分たちもまたマイノリティであることをすでに直感的に知っているのだと思う。
もちろん、マイノリティが声を潜めなければいけないということはいっさいない。断じてない。だが、多数決の論理のもとでつねに強者となるマジョリティ=大人に対して、そしてその「強者性」への無自覚さに対して、若者たちが世代全体として諦念を共有していたとしても、なんの不思議もない。繰り返すが、もうずっと前から若者は、盗んだバイクで走り出していないのだ。「うっせぇわ」を聞いた30代以上が犯している、致命的な「勘違い」
だがやはり、年長世代は数が多いのだ。若者があなたたちを「一切合切凡庸な」と指差してしまうのは、数が多すぎて顔が見えないのだ。マジョリティは強者である。ではマジョリティであるだけで加害者になるのかというと……ときにそういう場合もあると言わざるをえない。「うっせぇわ」は、その被害者たちの声なのだ。
なるほど。「いまや日本はこういう国なんだ」ということは、認識しておかないといけないことですね。
僕は、若者の方が「マイノリティに対する理解が深い」と見ていますが、その理由はそういう教育を受けているから と思っていました。
ですが、「自分らもマイノリティであることを直感的に知っているから」 という分析のほうが説得力があるように思うなあ。
また、この曲の分析も見事ですね。
「うっせぇわ」は、2010年代に先輩マイノリティとして10代を過ごしたsyudouが、現在10代を過ごす後輩マイノリティに向けて送る「年長世代をスルーする」処世術の実践的アドバイスなのだ。
本音は音楽に託して、マジョリティである年長者には期待しない。そうすれば「問題はナシ」。そうやって世界をやりすごす一方、「頭の出来が違う」と、「俗に言う天才」だと自分に自信を持っていろ。盗んだバイクで走り出さずとも(3回目)、大人に垣間見せない内面の中ではずっと尊大で不遜でいろ。そう力強く勇気づけてもいる。
ああ、この気持ちとてもよくわかる。てか、個人が取り得る唯一の現実的処理策だと思う。自分もそれに近い処理してるかも。でも、これって「中二病」・・・なのかなあ。