最近考えていることを文字起こしすると、少し難しいタイトルになってしまいました。
えっ、「自然」を守ることと「里山」を守ることって、同じ意味じゃないの? 里山保全※って大事なことだって言われているし、棚田の広がる風景とか、里山だか自然だか考えたことないけど、日本の残したい代表的な風景じゃない?
※一般には「里山」という言葉がよく使われるのですが、環境省のHPでは「里地里山」という単語で使っているので、以降はこの言葉を使うことにします。確かにこの言葉が指す範囲は、「山」だけじゃなく平地も含んでいますからね。
そうですねえ。例えば、この植物で考えてみましょう。
これは、「アザミ」という植物です。 里地里山にはえる雑草。風流に言えば山野草かな。
見ての通り紫色の鮮やかな花をつけます。さらに蜜を好むのか、アゲハ蝶がよくこの花に止まっています。この写真にも写ってますね(モンキアゲハ?)。
美しい花の咲く野草、アゲハチョウが好む植物といえば、「保護すべき自然」の象徴ともいうべき存在ではないでしょうか? 散策している人の目を楽しませますし、写真を取る人にも人気です。 「できれば、刈らないで残しておいて」と言われることもあります。
しかーし。触ったことがある人は知っているでしょうが、この植物の葉や茎にはトゲがあり、触るととても痛いのです。その上、針が細く柔らかく、刺さるとなかなか抜きにくい、めんどーな植物なのです。僕はキラーイ。
さて、先ほど出てきた環境省のHPによりますと、里地里山とは以下のように定義されます。
原生的な自然と都市との中間に位置し、集落とそれを取り巻く二次林、それらと混在する農地、ため池、草原などで構成される地域です。農林業などに伴うさまざまな人間の働きかけを通じて環境が形成・維持されてきました。
環境省 > 自然環境・生物多様性 > 里地里山の保全・活用
里地里山は、特有の生物の生息・生育環境として、また、食料や木材など自然資源の供給、良好な景観、文化の伝承の観点からも重要な地域です。
ここで注目したいのは「農林業などに伴うさまざまな人間の働きかけを通じて環境が形成・維持されてきた」という点。ってことはだ・・・
農林業に使う、もしくはそれに近接した土地(里地里山)にアザミが生えていたら、人間(お百姓さん)は、アザミを真っ先に刈り取ったんじゃないかと思うのです。トゲがあって農作業の邪魔だし、家畜も食べないだろうから。 つまり、里地里山の生活(今の言葉に直せば保全だ)で、アザミは「有害植物」に分類されたことでしょう。
先ほど自然の例として思わず「棚田」を上げてしまいましたが、棚田だって土地を改変し、特定の植物(稲)を植え、それ以外の植物を排除し、水位を人工的に維持管理し、それらの作業に関わる場所の草刈りを行うなど「人間の営みにより維持されてきた二次的自然」である点、本来の自然とは違いますね。
もちろんだから価値がない ということではありません。それに適応した生物たちの貴重な生息域です。ただし上記の理由で、棚田の周辺には「アザミ」はあんまり残っていないと思います。 畦に咲いているときれいだろうな とは思うけれど。
「里地里山を保全する」ことに反対 という立場の人はほとんどいないと思います。でも、その保全を突き詰めて考えると、「人間の働きかけ(ここでは草刈り)」をどこまで認めるのか」という点において、人によって基準はいろいろ違ってきそうです。
植物や昆虫が好きな人は「アザミは残すべきだ」と考えるでしょうし、維持作業員や快適な散策を楽しみたい人は「トゲのあるアザミは刈るべし」と考えるかもしれません。 もう少し範囲を広げると、「なんでアザミだけ大事にするの?私の好きなハルジオン※を残してくれない理由は?」とか議論が広がっていく可能性もありますね。それだと草刈りできねえ・・・
※この植物を選んだ理由は特にありません。なんでも良いんです。何を残して何を刈るか、いつ刈るか なんてのは、結局「人の都合」です・・・
たぶん「里山保全」とざっくりとした目標として意見をまとめることはできても、本当はもう少し目指すべき目標を明確に打ち出さないと、本当の意味での「保全」はできないと思います。しかし、この明確にするということ、実は非常に難しいのではないか とも感じられます。総論賛成各論反対、空中分解しそうな・・・。