第二次世界大戦における、日本とアメリカの防空駆逐艦の比較。前回の船体編の続きです。
wikiを主に参照しました。
①主砲および射撃指揮装置
秋月は、10センチ高角砲を連装砲塔として4基(8門)、ギアリングは12.7センチ(5インチ)両用砲を連装砲塔として3基(6門)積んでいます。 両用砲っていうのは、対水上(対地)戦用の「平射砲」と、対空戦用の「高角砲」を兼用した砲のこと。
秋月以前の駆逐艦は、12.7センチ「平射砲」を主砲としていました。これは最大仰角40°程度なので、対空戦には使えません。 が、それを両用砲として使おうとした取り組みもあったのです。 駆逐艦「吹雪」級の一部に搭載された同砲塔は、最大仰角を75度まで上げ、対空戦もできるように・・・と考えられていました。
が、砲弾装填のとき、いちいち砲身を水平に戻す必要があったこと(高角度で射撃する対空戦で、そんなことしてたら連射できないじゃん・・・)、対空にも使える射撃装置をつけなかった(!)等の不備があり、「高角度でも打てますよ、一応」というレベルに留まりました。結論としては、砲塔機構が複雑化し重量が増加しただけで使えねえと。作る前に気づけ!
そういや巡洋艦高雄でも、英国軍艦でも同じような話があったな。なんか流行り悪夢だったのかもしれん・・・
主砲塔は対空射撃を考慮し最大仰角は70度もあり、通常砲弾用とは別に対空砲弾用の専用の揚弾機を持っていた。実際にテストしてみれば重すぎる砲弾のために射撃間隔が長く発射速度もお世辞にも実戦に耐えうるものではなかった。なお、イギリスもカウンティ級重巡洋艦で同様の失敗をしている。
高角砲を単装砲架で4基4門装備した。前型の単装6基から減少したのは主砲による対空攻撃を期待したものであったが・・・、
高雄型重巡洋艦
以降、日本は主砲での対空戦を基本諦め、高角砲と機銃に頼る方向を選びます。でも秋月以前の駆逐艦に高角砲はついてないから、日本の駆逐艦の対空戦能力は低かったんです。
これは、日本海軍が「万能艦より対水上戦闘能力の傑出した艦を求めた」 という戦略思想に基づいた設計なので仕方なかったんですけど、実際には、この戦争で必要だったのは万能艦だったね・・・結果論だけど。
閑話休題、秋月に装備した10センチ砲。口径は小さいけど砲身が異様に長く、初速も出たので、対空戦では標準とされた12.7cm高角砲を上回り、対水上戦でも高評価を得ていました。。アメリカの5インチ両用砲と比較しても劣らない、優秀な「両用砲」と言えるものでした。
問題は、その射撃を制御する射撃指揮装置と砲弾に格差があったこと。射撃指揮装置は、目標の位置、移動方向や速度、距離などを正確に測定し、それらのデータをもとに機械式計算機(アナログコンピュータ)でその将来位置を算出する装置です。 その諸元に従い、砲弾に爆発タイミングをセット(時限信管)し、砲身の方向と角度を調整し、砲を発射すると当たる・・・はず。
日本は、これらの測定に「光学機器」を使っていました。アメリカは「レーダー」です。比較すると、光学式では特に距離の誤差がレーダーより大きかったようです。んで、日本はその誤差大の距離データをもとに、時限信管をセットしてたので・・・
アメリカは、レーダーで比較的正確な距離を算出できた上に、「近接信管」を使っていました。これは、砲弾が命中しなくても、目的の一定の近傍範囲内に達すれば起爆する信管のこと。目標に当てないでも、近くに持っていけばいい(逆に言えば、目標が点からそれを中心とした球に拡大。)これは大きな差ですよね。
最大の長所は目標に直撃しなくてもその近くで爆発することにより、砲弾を炸裂させ目標物に対しダメージを与えることができる点にある。二番目の長所は砲身の摩耗、装薬ロットのバラツキ、気温や気圧、降雨の影響による砲弾の初速や弾道バラツキに影響されないで信管が作動する点にある。時限信管は砲弾側のバラツキに対しては対応できない。三番目の長所は時限の設定作業が不要になる事で発射速度の向上に寄与した。これは従来の攻撃機よりも高速、短時間で接近するカミカゼ特攻機に有効であった。
近接信管 wiki
日本は、探索用の監視レーダーまでは実用化できたけど(後述するようアメリカと大差はあったにせよ)、より正確な測定が必要となる射撃レーダーも、近接信管も実用化できなかったんだよね。 ま、近接信管は実用化できても、予算的に使えなかったでしょうけど・・・
いちおう日本も、監視レーダーで、レーダー射撃をやったという事例はあります。
重巡「妙高」は浮上中であった「バーゴール」に対して主砲と高角砲で二二電探を使用したレーダー射撃を実施し、主砲弾1発を命中させたが不発であった
妙高(重巡洋艦)
ということで、砲そのものは優秀だったけど、射撃システムの優劣から、日米の間には超えられない格差(技術的な壁)が存在したんですね〜。
②機銃および射撃指揮装置
機銃も高角砲とともに、対空戦用の兵器です。違いは高角砲の方が大口径で遠距離を狙えること。 高角砲は、艦隊全体を守るエリア・ディフェンス用なのに対し、機銃は自艦を守るポイント・ディフェンス用と考えても良いかも。
機銃の装備数については、日米ともどんどん増加するので、あんまり気にしないでください。
注目すべきなのは2点。秋月は機銃用の射撃指揮装置を積んでないこと(砲側で目標を決めて射撃する)。のに対し、アメリカは40mm機銃を制御する射撃指揮装置がついていること。 ま、日本でも、大型艦には機銃の射撃指揮装置がついてたりするけど、駆逐艦にはついていません。予算上無理だったのか・・・
また、日本はほぼ25mm機銃一辺倒なのに対し、アメリカは40mm機銃と20mm機銃をバランスよく持っていること。 これって、日本が1重の弾幕形成を考えているのに対し、アメリカは遠近2重の弾幕形成を考えていたってことじゃないのかなあ。 どちらの手法が、対空戦に有効だったかと考えてみると・・・
そもそも、日本には「40mm」なんていう大口径艦載機銃は無いがね。
③監視レーダー
この頃になると、日本も対空、対水上のレーダーを備えるようになってきました。が、日本だけでなく、ドイツやイタリアなどの枢軸国は、この分野で技術的に連合国側に大きく劣っていたんですな。ま、レーダーの表示方法を見てみましょう。
日本を含めた枢軸国側は、ある方向への発射波とその反射波を一軸に表示するものです。敵はどこにいるかわかりませんので、レーダー手は、この装置をつかって全周操作して、それを自艦を中心とする二次元図に表すまでに、大変な時間と労力がかかるでしょう。やってる間に攻撃されたりして(笑)。
他方、アメリカ型では、機械が自艦を中心とした360°に存在する反射物を二次元図として表示してくれます(PPIスコープと言うそうです)。レーダー手は、ここから分析を開始すればいいのです。もちろん、初期のレーダーは日本と同じだったでしょうが、絶え間ない技術開発の末、実用化されたのです。
このような表示方式(PPIスコープ)の場合、レーダー波の波長が長いと近接した複数の対象物が同一の光点として表示されてしまうため、多数の目標を捕捉する際の分解能を高めるためには、レーダー波長の短波化が必須となったが、波長の短波化と送信出力の強化の両立には高度な電子技術が要求されるため、枢軸国では専ら送信出力を強化しやすい長波レーダーの開発に終始し、PPIスコープの採用までには漕ぎ着けなかった。
wiki レーダー
両ディスプレイの差に興味ある人は、映画「眼下の敵」を見てください。 アメリカの護衛駆逐艦と、ドイツのUボート(潜水艦)の戦いを描いたものです。 映画の導入段階で、お互い相手をレーダーで発見するのだけれど、そのレーダー表示がまさに「オシロスコープ」と「PPIスコープ」ですから。その後も見ていくと「爆雷」を使った対潜攻撃がどんなものかよく分かります。
PPIスコープの実用化が、現代の軍艦にも引き継がれる戦闘指揮所(CIC)というコンセプトにも繋がっています。
戦闘指揮所(せんとうしきしょ、英語: Combat Information Center, CIC)とは、現代の軍艦における戦闘情報中枢のことである。レーダーやソナー、通信などや、自艦の状態に関する情報が集約される部署であり、指揮・発令もここから行う。
水上戦にCICコンセプトを適用する試みは、これらとは別個に着手された。1942年の第三次ソロモン海戦およびルンガ沖夜戦において、新型のSG対水上レーダー装備の駆逐艦「フレッチャー」の副長であったJ・ワイリー少佐は、艦橋に隣接した海図室で、レーダーを直接操作して艦長が必要とするレーダー情報を伝えるとともに、内線電話によって砲術長・水雷長と緊密に連絡を取り、艦長の戦闘指揮を極めて効率的に補佐した。これは事実上、アメリカ海軍史上で初めてCICコンセプトが創出された例であり・・・
wiki 戦闘指揮所
フレッチャーというのは、ギアリング級の二代前の駆逐艦です。(フレッチャー級の最終発展型がギアリング級)その一般配置図を見ると、ちゃんとCICという室名が確認できます。当然、ギアリング級にも戦闘指揮所が設置されていたことでしょう。
日本にはこのような戦闘指揮所はなく、幹部は艦橋か、その頂上に設けられた防空指揮所で指揮していました。レーダーの表示器はレーダー室(電探室)に置かれ、随時報告を上げたはず。(映画「男たちの大和/YAMATO」で、臼渕大尉は戦艦大和の後部電探室でレーダー測定を指揮している最中、戦死しました)
一方アメリカは、ワイリー少佐の例に倣うなら、表示器はCICに置かれ、そこで幹部が戦闘指揮あるいはその補佐をしていたはず(未確認ですが)。つまり、情報と指揮が指揮所で統合処理されていたと思われます。
この日米のシステム差が、戦闘にどの程度の影響したか、興味ありますね。・・・現代の軍艦に繋がるシステムなので、CIC方式は随分効果があったのではないかと思いますが。
なお、フレッチャー級駆逐艦のうち2隻は、戦後日本に貸与され、「ありあけ型」として近代改修されつつ、1974年まで護衛艦として使われました。ギアリング級は日本への貸与は無いのだけれど、メキシコ海軍に売却された艦の退役は、なんと2014年。竣工は1945年なので・・・どれだけ働いてるんだ! それだけ傑作艦だったってことでしょう。
参考文献
深田正雄「軍艦メカ開発物語」光人社NF文庫 著者は、東北帝大卒の海軍技術士官だった方。専門は電気関係なので、レーダー(電探)とかの話も面白い。
歴史群像シリーズ「日本の軍用船」学研 解説や図表がかなりマニアックで、技術的な話が知りたい人には面白いと思う。
三野正洋「日本軍の小失敗の研究」光人社NF文庫 著者は造船会社に勤めた後、大学の工学部で教鞭を取られた方。技術とかシステムの観点から、日本軍とアメリカ軍を比較し、日本軍の「小失敗」を指摘しています。 小失敗というのは、そもそも、日本が人口大国、生産大国であるアメリカと全面戦争したこと自体が「失敗」だという指摘も面白いですね。