五公五民

財務省は2月17日、国民所得に占める税金や社会保険料など公的負担の割合を示す国民負担率について、2021年度は前年度比0.1ポイント増の48.0%となり、過去最大になる見通しだと発表した。

税金や社会保険料の「国民負担率」、過去最大の48.0%に

なるほどねえ。所得に対する税金や社会保険料を含めた公的負担が、過去最高の48%にもなるんですね。道理で「働けど働けど猶わが暮らし楽にならざり じっと手を見る」という状況なわけか。

今後、この割合は増えることがあれど、劇的に低くなることはありません。つい「これからは五公五民の生活か、江戸時代の農民じゃないんだから・・・」と思ってしまいますね。

が、たぶんこの比喩は、あまり正しくないのです。江戸時代の税金は、取られるばかりで、あまり「お返し(行政サービス)」がないからです。いまは・・・

と、まずは五公五民から見ていきましょう。

江戸時代の年貢(ねんぐ)率を表現したことばで、収穫米の5割を年貢(本途物成(ほんとものなり))として上納し、残り5割を農民の作徳米(さくとくまい)とすること。大石久敬(ひさたか)の『地方凡例録(じかたはんれいろく)』によると、享保(きょうほう)年間(1716~36)までは四公六民で、以後は検見(けみ)法の実施による五公五民になったとされるが確かではない。

・・・本途物成以外に付加税も課せられたから、五公五民では農民の生活はかなり苦しく・・・

日本大百科全書(ニッポニカ)「五公五民」の解説

一般的にこのように考えられていますが、細かく言うと、幕府直轄領(天領)と大名領でだいぶ違うのです。司馬遼太郎「この国のかたち二 天領と藩料」から引用します。以下の記述も適宜抜粋引用してます。

江戸時代、米の収穫の四割を公がとり、六割をその農民の取り分とすることを四公六民といった。幕府は天領における税率をこの程度の安さにおさえていた。・・・八代将軍吉宗が幕府を改革し、中興の祖と祝えた。かれは、天領の租税の安さに気づき、なんとか比率を引き上げようとしたが、五公五民になることだけは自制した。

先の記事にある「享保年間」とは、吉宗幕政改革時の代表的な年号です(だからこの改革を「享保の改革」という)。じゃあ、大名領はどうだったのか?例えば吉宗の出身地である紀州藩の場合・・・

紀州は山ばかりで穀倉地帯というものがなく、その上、紀伊徳川家は顕門だけに出銭が多かった。さらに初代以来家臣の人数がばかばかしいほど多かったから、紀州の税率は八公二民にまでのばった。

「五公五民でも暮らしはかなり厳しい」そうですから、八公二民とか、もはや持続不可能な領域ではないかと・・・一揆じゃあ!逃散じゃあ!!

ともあれ、いまでも江戸時代に天領だったところ(例えば、大和地方、倉敷、日田、高山など)に「瓦屋根の瀟洒な民家が立ち並ぶ景観」が残っているのは、税負担が軽かった天領の富の蓄積の名残 とも言えます。

閑話休題。大名領の税率が高かったのは、大名がもともと多くの戦闘員を抱えた戦闘集団だったものを、そっくりそのまま行政官に衣替えし、多数の消費者集団を抱えたこと(そんなに職もないので、無役だったり、3日に1日交代勤務だったりもする)、参勤交代や江戸滞在費用、幕府から土木工事を命じられたり(費用は藩が負担)するからです。

幕府も軍事組織由来ですから、江戸に「旗本八万騎」という消費者集団を抱えていたのですが、直轄領は八百万石もあります。その上、天領を治める出先の役人は極めて少ないのです。 南大和七万石を治めていた代官所の役人数は、せいぜい十人だったそうです。(7万石の大名領なら、約千五百人の藩士がいる・・・。)

もともと「江戸時代の五公五民」と「現代の国民負担率48%」を同格に比較するのはちょっと無理があるのですが、 天領の税率とほぼほぼ同率だとしても、天領の公的機関(役所)は、民に対してほぼ何もやってくれない役所だ ということがよくわかるかと。なにせ、役人が十人しかいません。これだと税収事務しかできないよね(笑)。

じゃあ税金も高いけど、余剰役人のいる藩政なら、多少は民になにかやってくれるんだろうか・・・。 ってことで、江戸時代の小浜藩と、現代の小浜市の支出内訳を比較してみました。(図説県史の公開、福井県さんナイスです!)

図説福井県史 近世19
小浜市ホームページ(令和3年度予算について)

はあ、藩政において、民生費はほぼゼロ(笑)。まあ、江戸時代も長いですから、中期や後期には多少変わるのかもしれませんが、これらの固定費でほぼカツカツですから、期待はできませんな。

それでもいちおう「普請費用」ってのがあります。河川改修などの土木工事をやったのかもしれません。が、もちろん十分な額ではありません。各地に当時の「個人名のついた堤防や水路、あるいは神社」が残されていますが。これは、業を煮やした民間富裕層(庄屋等)が個人私財をなげうってでも公工事を行ったことの証です。今では、公的機関が実施することが当たり前なので、なかなか理解しづらい状況です。

このように、現代ではその使い方に色々問題はあるとは言え、「雇用保険」「年金」「生活保護」「各種補助金」そして「土木工事」「図書館」「教育」等々、色々な行政サービスや福祉を提供した上での負担率ですから、税負担が重すぎる!と江戸時代と比較して文句ばかりも言えないですなあ。

それに、八公二民まであったとなると、五公五民ならまだ・・・という気もしてきました。もっとも、こういう右肩上がりのグラフを見せられると、腹が立つのは当然なのですが。

投資と節約で資産と知識を増やすブログ「税金や社会保険料の国民負担率」より引用

これ、江戸時代と比較するより、労働者人口の推移とか、年金受給者人口の推移とかと重ねたら、うまく状況が説明できそうな気がしますね。 とすると、この先も負担率は上がるでしょうね。

まあでも、民主主義社会では八公二民までは行かないと思うから、きっと大丈夫。紀州藩はとりあえず江戸時代は乗り切った(笑)。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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