(2)で述べたように、僕は カロリーベースの食料自給率が37%でもあんまり心配はしていないのですが、もしそれでも心配だなあ と思う方は、どっかに土地を借りて家庭菜園とか始めたらいかがでしょう?
「食料自給率が低くて心配」と着目された原因の一つに、ロシアによるウクライナ進攻があると思うのですが、そのロシアは、過去にソビエト崩壊に伴う経済危機&食料危機を経験しています。彼らはその食料危機をどう乗り切ったのでしょう?。
その答えの一つが、大型の家庭菜園(ダーチャ)の存在とも言われております。
短い春と2ヶ月あまりの夏。都市部に住むロシア人の生活はダーチャを抜きに語ることはできない、と言ってもあながち誇張にはならないだろう。ロシア語でダーチャとは「別荘」を意味する。だがここで言うダーチャとは、住宅地から1、2時間ほどの郊外にある、いわゆる家庭菜園と、夏の間そこに寝泊りができる、普通は持ち主自身の手作りになる小屋を指す。・・・面積およそ300から400平米程度の土地に、人々は2番目の主食とも言えるジャガイモや、そのほかトマト、きゅうり、キャベツ、玉ねぎなど、好みによって幾種類もの野菜を栽培する。・・・ちなみに、ソ連邦が解体されていく90年前後の食糧危機を救ったものの1つも、他ならぬこのダーチャだった。
ダーチャからグリブィへ、そしてモロースへ
世界がきなくさくなっている。戦争が現実のものとなり、私たちの暮らしを揺さぶりはじめた。ここにきて注目を集めているのが、「食料安全保障」(以下、食料安保)という考え方だ。島国ニッポンが紛争に巻き込まれ、海外との交易が滞ってしまったとき、私たちは食べていけるのか。備蓄は大丈夫なのか。アグリメディア研究所は、食料安保を考えるうえで、1つのライフスタイルを示したい。皮肉な話だが、国情が不安定な国の市民ほど、真面目に食べ物と向き合っている。
食料安全保障が意識される今こそ「ダーチャ」を知ろう
ロシアに「ダーチャ」という住まいがあるのをご存じだろうか。日本語に訳せば「農園付き別荘」で、都会のひとが週末や長期休暇を利用して気軽に行き来する。日本にある「クラインガルテン」(滞在型市民農園)とほぼ同じと思えばいい。寝食できる建屋に農園がセットになっており、利用者は家族らとのんびり過ごす。
驚くのは裾野の広がりだ。少々古いが、こんなデータがある。
「首都近郊のモスクワ州の場合、全世帯の3分の1が菜園を所有している。ロシア国家統計局の2003年のデータによると、国内3400万世帯の8割が菜園をもつか野菜づくりの副業経営を行い、同国のジャガイモ生産量の92%をまかなう」(東京新聞2004年4月15日)
都市住民の大半が集合住宅に住むロシア。夏になると、多くの人が郊外にある住まい付き自家菜園「ダーチャ」で農作業にいそしみ、家族が食べる1年分の食料をこしらえるという。
トマト、スイカ、キュウリ、ナス、ブドウ…。平均600平方メートルの敷地に、数十種類に及ぶ野菜や果物が実る様子に「こりゃ、兼業農家のレベルやな」。福岡市東区の農業体験農園「百姓園」の園主、北本一孝さん(67)が驚きの表情を浮かべた。
ロシア人1人当たりの国内総生産(GDP)は約140万円。所得という物差しからすれば日本の30%程度で、とても「豊かな国」とは言い難い。
ロシアの自家菜園を訪ねて 1年分の食料 自給自足 野菜、果物…兼業農家並み
ただ、有事の際はどうだろう。もし世界的な気候変動や国際関係悪化などで食料輸入に支障が出たら-。ロシアの場合、85年以降、何度も経済危機に見舞われたにもかかわらず、餓死者が出なかった。それは国内3400万世帯の8割がダーチャなどの菜園を持ち、ジャガイモの国内生産の9割、野菜の8割を自給していたからといわれる。
長々と引用をしてしまいましたが、なかなか興味深いですよね。「首都近郊のモスクワ州の場合、全世帯の3分の1が菜園を所有している。ロシア国家統計局の2003年のデータによると、国内3400万世帯の8割が菜園をもつか野菜づくりの副業経営を行い、同国のジャガイモ生産量の92%をまかなう」
食料自給の観点からすれば、すげえ!です。輸出入の制限で、ロシアを飢えさせるのは、なかなか難しそう。
ロシアの統計がどれほど正確かはわかりませんが、日本でも首都圏世帯の1/3が、自家用のジャガイモやサツマイモ、野菜くらい育てるようになっていれば、かなりサバイバルできるのではないでしょうか。コメを作るのは機械とか必要になって大変だし、そもそも減反政策下で自由に作れないから「非常時だ、貧乏人は芋を喰へ。生きてはいけるでせう」
ま、日本だと農地は農家でないと買えない という不思議な禁足事項がありますので、都会人が「面積およそ300から400平米程度の土地でダーチャを」というのは難しいかもしれません。
一方で、耕作放棄地というのが増え続けており、不思議な現象ではあります。農地として使うならだれでも買えると規制緩和すれば、需要も供給もあり、双方有益な取引ができ、真の意味での自給率も上がると思うんだけどね。まあ、これも農政の結果。
となると現実的な解として、森永卓郎さんが言ってる「トカイナカ」生存戦略なんて、いい線だと思うのです。
災害にも強いトカイナカ
森永卓郎「東京を捨て田舎暮らしを選んだ理由」
都会に比べると、トカイナカは災害のリスクに強いのが特長です。東日本大震災のときも、私の家族はほとんど困りませんでした。普段から家の中に物が山のように積んであるし、食料も1カ月もつぐらいのストックはあります。
私は自分で畑もやっていますし、家の周りは畑だらけなので、スーパーに買いに行かなくても、旬の野菜が農家の「直売所」で買えます。ケージのようなものが置いてあり、そこに100円を入れて持って帰る方式です。
コロナ禍では、ニューヨークで野菜が買えなくなりパニックになりました。ところが私のところは野菜がなくなることはありえません。近所の畑だけではなく、わが家の庭にも畑にも、野菜が植えてあるからです。
移住までできなければ、市民農場を借りて家庭菜園やりましょう。作業は結構楽しいし、食える作物を育てていると、たとえ量的に足りてなくても、なんとなく「いざとなったらこれ喰えば大丈夫!」と根拠のない精神的安定が得られ、とりあえず安心できます!
(↑これ、昔の僕が得た感覚ですね。「今は、ラピュタがなぜ滅びたのかあたしよく分かる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。”土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう”。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」©シータ)
ちなみに、37%という食料自給率の計算には、家庭菜園や、農産物を販売しない自給農家の生産品(要するに、市場を通さないもの)は計上されていません。(埋蔵金だ)
さらに、トカイナカはともかく田舎では、旬の時期になると「たくさん取れてもったいないから」と、旬の野菜や果物を知り合いに押し付ける文化があります。非農家ならうれしいかもだけど(土付きは勘弁して~流しが詰まる。てか核家族なのに多杉。)、農家の貰い手だと(え、うちにもっとうまくできたの余ってるんだけど・・・)とか時に思いながら。(いや~カニとか欲しいな~。)。。。それが、つきあい というものです!
か、かくて双方の力学的作用による、非常に高度な贈与文化が形成されているわけであります。 卓上の食料自給率算出という粗雑計算には、この偉大な文化的要素が考慮されておらず、けしからぬ限りであります。
あー、都会に住んでいる人でも「田舎の実家から野菜やコメを送ってもらって助かってる(困っている)」という人もいるでしょう。この偉大な愛の結晶も、もちろん計算外です。
たぶん、昔はこれがさらに激しくて(周りのほとんどが農家で、しかも露地栽培ばかりだから、同じものばかりしかできなかった。巧拙はあれど)容易に人に押し付けもできなかったことでしょう。それで、その土地ではある時期にある作物ばかり集中して大量に取れ、「もうこれ食いたくなす。でももったいないから捨てられん」って、手を変え品を変え、なんとかさらに食べよう、保存しようと意地汚く奮闘した結果が誉れ高き「郷土料理」の誕生神話なのれす?・・・ だから早い話、それを復活させて、あとはコメか芋でカロリーを確保すれば、田舎でもトカイナカでも、かなり喰っていけそうな気がします。都会は・・・知らんけど。