おしぼりそば  と川中島古戦場跡

おしぼりそば ってご存じですか? 松代(長野市)に行ったときに食べました。お店は、川中島古戦場跡にある、横綱さんです。

おしぼりそばは、長野県北信地方の郷土料理の一つで、
ねずみ大根という大根をすりおろし、その絞り汁に信州味噌を溶かして汁をつくり、それにそばをつけて食べるというものです。
また、ねずみ大根以外にも中之条大根、上野大根、戸隠大根などの大根が使用されることもあり、これらの大根の特徴はすべて辛みが強いという点です。絞り汁は大変辛味が強く、味噌を加えることで辛さを調節しながら食べます。
長野県は山に囲まれている地域のため、昔から昆布やカツオ節など出汁をとる材料が手に入らず、蕎麦やうどんを食べる時には大根おろしの汁をしぼり、そこへ味噌を溶き入れ、食べていました。
このつゆの名称は「絞り汁」の「おしぼり」であり、手を拭く「おしぼり」ではありません。

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この解説の通り。味は・・・辛すぎて測定不能でした。だから、旨いかと言われると「微妙」。(ちなみに、僕は伊那市にある梅庵の「行者そば(辛み大根のおろし汁入りそばつゆ)が大好きで、辛み大根は好きなはずですが・・・さすがにつゆが辛み大根のおろし汁そのものですと、厳しいものがありましたねえ。味噌を加える量が足りなかったのかしら? まあ、山里の味だとは言えます。旅したら食べてみたらいいんじゃね?

ちなみに、食通であった池波正太郎の小説 「真田騒動ー恩田木工ー」に、木工(松代藩家老)が家族とこのおしぼりそばを食べるシーンがあります。それを読んでいたので、「おしぼりそば」がこのあたりの名物だってことを知ってたわけ。

 いま手元にないので引用はできないのですが、 あまりの辛さに木工の子供が涙を流しながらそばを食べているシーンで、木工が「松代藩のものは、原(ライバル)を含め皆この辛いそばが好きなのだ」という述懐をしていたシーンだけははっきりと覚えています。うん、辛かった。

信州松代藩立て直しの特命を受け、家老の孤独な闘いが始まった。表題作『真田騒動』、直木賞受賞作『錯乱』他、珠玉の五篇。

 信州松代藩――五代目・真田信安のもと、政治の実権を握り放縦な生活に走った原八郎五郎を倒し、窮乏の極にある藩の財政改革に尽力した恩田木工を描く表題作。関ケ原の戦い以来、父昌幸、弟幸村と敵対する宿命を担った真田信幸の生き方を探る『信濃大名記』。ほかに直木賞受賞作『錯乱』など、大河小説『真田太平記』の先駆を成し、著者の小説世界の本質を示す“真田もの”5編を収録。

真田騒動―恩田木工―池波正太郎/著

木工の改革は、他藩のような商業的な改革ではなく、領民の人心を得ることで解決する改革であった。これは財政改革に当たらないとする見解もあるが、松代藩は木工の政策により財政を多少持ち直し、また当時の封建社会において百姓領民から直接話を聞くという率直な態度をとった木工の改革は、後世からは高く評価されている。

wiki 真田 幸弘

ついでに言うと、ここで出てくる松代(城)、その昔は海津城と呼ばれていたのです。というと、歴史好きの人は「ああ、川中島の合戦に備えて、武田方の山本勘助が築城したあの城ね」と、むしろこちちらの名の方が有名かもしれません。

★川中島とは、犀川と千曲川に挟まれた土地だからそう呼ぶのです。この二つの川はもすこし下流で合流します。

第四次川中島の戦いにおいて、妻女山に陣する上杉軍一万三千と対峙する武田軍二万は、この海津城におりました。が、状況は膠着。士気の低下を恐れた武田軍は、軍を二つに分け、別働隊一万二千に妻女山を襲わせ、あわてた上杉軍が山を下りるのを本隊八千が待ち構え、本隊と別動隊で上杉軍を挟み撃ちにするキツツキ戦法を立案・実行しました。

が、上杉軍は武田の戦法を見破り、武田別動隊が妻女山を襲う前に山を下り、八千の武田本隊を、上杉軍一万二千(一千は千曲川河畔に置いて武田別動隊への備えとした)で奇襲します。不意を突かれた武田軍は混乱。その渦中に、武田本陣に突撃してきた上杉謙信の剣を、武田信玄が軍扇で防いだ という有名なシーンが来るわけです。

これが事実であったかともかく、そういう「物語」になってまして、この物語の銅像が残るのが「川中島古戦場跡」です。

武田本隊は大苦戦。信玄の弟・信繁や山本勘助が戦死するわけですが、なんとか持ちこたえて別動隊が川中島に到着すると形勢は逆転。挟み撃ちになった上杉軍も多くの戦死者を出すこととなり、どっちが勝ったかは微妙なとこ。

その後、海津城は松代城と改められ、1622年に真田信之(幸村の兄)が上田から松代に移されます。信之は上田以外に沼田も領しており、沼田(三万石)は信之の長孫が、松代(十万石)は信之の次男が継いでいます。が、沼田はじきに改易となり、松代藩が真田宗家として幕末まで続くことになります。 

てなことで、変な組み合わせでしたが、松代と川中島ってすぐ近くにあるんだな ということが分かっていただければと。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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