「建国記念の日は、二月十一日」とした。2月11日という日付は、1873年(明治6年)に定められ1948年(昭和23年)に廃止された紀元節と同じである。紀元節の日付は、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔)に由来する。
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初代天皇と言われる神武天皇の即位日を西暦換算すると、2月11日になるのだ ってことです。まあ、神武天皇なんて神話の中の存在ですから、その即位日の正確性なんて神のみぞ知る という感じですが。それもあって、「建国記念日」とは言わず、「建国記念の日」と呼んでいます。
名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし
同上
ただし、戦前に「神武天皇の即位日の正当性なんて怪しいもんで」なんていう言動を取ると、不敬罪だか国家反逆罪だか、ともかく非国民として憲兵に捕まっちゃうでしょう。「紀元節」という言葉も出てきましたが、戦前の日本では、神武天皇即位年を元年とする紀年法が公式に用いられていたからね。
神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする日本の紀年法である。『日本書紀』の記述に基づき、元年は西暦(キリスト紀元)前660年とされている。異称は皇紀(こうき)等。
戦前、戦中(第二次世界大戦前)の日本では、単に「紀元」というと神武天皇即位紀元(皇紀)を指していた。条約などの対外的な公文書には元号と共に使用されていた。ただし、戸籍など地方公共団体に出す公文書や政府の国内向け公文書では、皇紀ではなく元号のみが用いられており、皇紀が多用されるようになるのは昭和期になってからである。他に第二次世界大戦前において皇紀が一貫して用いられていた例には国定歴史教科書がある。
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1891年(明治24年)には天皇皇后の御真影(写真)に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などからなる儀式を小学校で行うことになった。
同上
個人的には、現在日本の「元号と西暦の併用」って、換算しなきゃいけない実用上の非効率から西暦に一本化すべきと思うのですが、
元号とイデオロギーの乖離が進み、そして、元号ではなくシステム上の利便性を優先させるために西暦の使用を望む声が優勢であるにもかかわらず、なぜ日本は、今も元号を使うのか。
世界で日本だけが「元号」に固執し続ける理由
その上さらに「皇紀も併用していた」とか、頭悪すぎですね。ま、戦前は天皇制の権威強化のため必要だったという面もあったんでしょうけど。現在では生産性低下の一因でしか(笑)。
先の記事には書いてないけど、元号維持が「思考的に重要」と考える、非実務的な右人(保守を名乗る政治家とか)が多いから?廃止とかありえなそうですけど。
いずれにせよ、皇紀って昭和の歴史を見てると時々出てくるので(例えば兵器の名称とか・・・後述)、換算できると便利です。その一里塚としては「昭和15年が皇紀2600年」と覚えておくとよろしいかと。この年、日本では「紀元二千六百年式典」が開催されました。
内閣主催の「紀元二千六百年式典」が1940年(昭和15年)11月10日に、昭和天皇・香淳皇后出御の下、宮城外苑で挙行された。式典のために寝殿造の会場が設営された。・・・翌日11日には同会場で式典同様、昭和天皇・香淳皇后出御の下に奉祝会が行なわれ、高松宮宣仁親王(奉祝会総裁代理)とジョセフ・グルー(第13代駐日アメリカ合衆国大使)による奉祝詞奏上、奈良朝風の奉祝舞楽「悠久」の演舞、高松宮による聖寿万歳三唱などが行なわれた。参列者にはお祝いの食事(食饌)が用意されたが、日本酒のほかはパン・果物など簡素なものにとどめられた。
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ここで出てくる「お祝いの食事」のメニュー、以前出かけた安城歴史角物館で紹介されてましたな。うん、まずそう。
折箱に軍用携帯食が詰められていた
安城の「安祥城址」
御汁:携帯粉末味噌
口取り;魚の缶詰
御肴:味付乾燥牛肉
御飯:圧搾口糧(米・麦・鰹節・梅干しを使ったポン菓子みたいなの)と乾パン
祝餅:戦力餅(?)
お酒:航空元気酒と葡萄酒
★兵器の名称、特に昭和期の日本陸海軍の軍用機の命名について
昭和に入って以降、第二次大戦中まで、日本の陸海軍(旧日本軍)が用いた兵器の制式名称には、主に皇紀の末尾数字を用いた年式が用いられている。
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航空機を例に取ると「ゼロ戦」の通称で知られる大日本帝国海軍の「零式艦上戦闘機」は、皇紀2600年(西暦1940年、昭和15年)に採用されたことを示す名称である。したがって、同年の採用であれば「零式三座水上偵察機」「零式輸送機」など、同じ「零式」の名を冠することになる。ただし、この命名則には、陸海軍で若干の差があった。
海軍のゼロ戦(零式艦上戦闘機)が皇紀2600年に採用されたことは有名です。日本が真珠湾攻撃に用いた飛行機はこの零式艦上戦闘機以外に、九九式艦上爆撃機(皇紀2599年採用)と九七式艦上攻撃機(皇紀2597年採用)ですね。あと初期で有名なのは一式陸上攻撃機(皇紀2601年採用)か。
陸軍だと九七式重爆撃機(皇紀2597年採用)、一式戦闘機(皇紀2601年採用・通称名は「隼」)とかです。ただし皇紀2600年採用の場合は海軍と異なり「一〇〇式司令部偵察機」になるとかビミョーに違ってめんどくせー。
さらに、海軍は陸軍と一緒の命名法がいやだったのか、途中で名称規則を変えてしまいました。 戦闘機は「風」、爆撃機は「星」、攻撃機は「山」とか。これにより
零式艦上戦闘機の後継機は烈風(未完成)、九九式艦上爆撃機→彗星、九七式艦上攻撃機→天山などなど。いつ完成したのか、見ただけじゃわからーん。
陸軍は基本通りに運用し、四式戦闘機や四式重爆撃機(皇紀2604年・ 昭和一九年採用)などの名称を使っています。(それぞれの通称は「疾風」「飛龍」)
そんな規則を知っていると、例えばこんな記事タイトルを見ると、にやりとしちゃうわけです(笑)。いわゆるマニアってやつです。
早くしないと戦争終わっちゃう! 日本軍最後の「五式」兵器5選
1945年(昭和20年)8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ日本の敗戦が決定します。しかし、そこまでの8か月間、全力で戦うべく開発が続けられ、最後の最後に実戦投入された兵器がありました。戦局には影響を及ぼさなかったものの、皇紀2605年に制式化されたことを示すこれら「五式」兵器は、日本が最後まで戦った日々の証人でもあるのです。
同上
ちなみに、現代の国産兵器は皇紀ではなく西暦を使っています。 戦車でいえば、61式(1961)→74式(1974)→90式(1990)→10式(2010)と進化?しています。
ところで、ロシアのウクライナ進攻に対して、ついにドイツは戦車を供与するんですが、台湾有事があれば、日本は供与するんですかね?(現行法上、不可能ということは分かっていますが、その時は綺麗事じゃすまないだろうね・・・。台湾海域周辺を敵対国に封鎖されたら、輸入大国日本は立ち枯れますんで。)