三河の海の玄関口、大浜

碧南市の大浜地区に行ってきました。今はひっそり静かな大浜漁港を有する町。ですが

昔は大浜湊といえば、三河でも随一の交易港だったのです。

大浜漁港は、南北朝時代(1336年~)から海運の要所としてその名が出てきています。
  米、酒、みりんなどの物資の集散地として、海上交通の重要な港として発達しました。当時は、水上輸送を仲介し、年貢の輸送・保管・販売や旅館を兼ねる問屋であった問丸があり、当地随一の港でした。(当時の問丸の存在がはっきりしているのは、伊勢の桑名、大湊、駿河の沼津ぐらいです。)

大浜漁港の概要  愛知県

現在の西尾市のあたりは昔は幡豆郡といい、幡豆郡には饗庭、津平などに、伊勢神宮領である御厨がありましたから、大浜港はその年貢を納めるための積出港でもありました。それをもとに発展したのかも。 

ともかく、交通の要所だし交易で人が集まる場所なんで?いろんな施設ができます。例えば1339年という早い時期に、大浜港のほど近い高台に「大浜道場」(現・称名寺)という時宗道場が開かれた記録が残っています。 

当時の大浜は三河湾に突き出た半島の先端だったらしく、風光明媚だったのか「大浜の称名寺」って歌の世界では有名なようでして、足利将軍家の歌道師範である飛烏井雅康(1499)や冷泉為広(1513)、連歌師宗牧(1544)などが、伊勢国から船で知多半島を経由してこの大浜港に着岸し、称名寺を訪れています。

 大浜の 波路わけぬと 思ひしに 早彼岸に 舟よせてけり

波路を超えて船で大浜までやってきて、連歌にゆかりの深い称名寺の本尊阿弥陀仏の前で休んでいると、早くも彼岸に達したように思われる   飛烏井雅康

新編 西尾市史 通史編1 より

この現代語訳、ちょっと意訳しすぎじゃないかなぁ・・・ 

そんなこんなで1543年、この称名寺でとある連歌会が催されました。主催者は、大浜を支配していた岡崎城主の松平広忠。徳川家康のお父さんですな。 その時に広忠が詠んだ「めぐりはひろき 園のちよ竹」という句をもとに、寺の住職が家康の幼名として「竹千代」を献上したそうな。

そう、「竹千代」命名の寺なのです!

これ以外にも、大浜や称名寺は徳川家(松平家)と結構縁が深いんですな。まず松平家初代、松平親氏は、時宗の僧侶として諸国放浪中の時、時宗であるこの寺で厄介になり、親氏の親はここで亡くなったそうな。

次に、家康の曽祖父である松平信忠、松平家を相続したけど、うまく一族をまとめることができず、早期に引退させられ称名寺で出家。ここで亡くなりました。  

そんな経緯だからか、寺には徳川家祖廟なんてものがありました)  

敷地内には東照宮もありました。あまりぱっとしない建物だけど。個人的には最近のものでしょうが、茶庭がよく手入れされてて好感持てました。

本題に戻ります。徳川家康も、嫡男・信康を切腹させる際、いったん大浜に蟄居させたり

天正7年(1579年)8月3日、家康が岡崎城を訪れた翌日信康は岡崎城を出ることになり、大浜城に移された(『家忠日記』)。その後、信康は遠江の堀江城、さらに二俣城に移されたうえ、9月15日に家康の命により切腹させられた。享年21。

wiki

本能寺の変で伊賀越えした際には、伊勢国から船に乗り、大浜港近くの大浜稲荷社に上陸し、岡崎城に帰ったと伝えられています。 なお、この稲荷社は曽祖父・信忠が創建。

   

参考文献: 碧南市「『どうする家康』-碧南と徳川家康との関係」

そういや、織田信長の初陣は、敵対する松平・今川家支配の大浜の焼き討ちでしたなあ。

伊勢とのつながりと言えば、近くの海徳寺には、重要文化財の阿弥陀如来坐像があるのですが、こちらの仏像は山門の仁王様と共に、明治時代の廃仏を逃れて伊勢からやってきたものだそうです。 なかなか立派な建物。

ほかにも西方寺など、立派な寺が立ち並んでいます。 下の写真は、西芳寺の前にある「碧南市藤井達吉現代美術館」の館内から撮影した西方寺です。

この地区を散策したい場合は、 「大浜まちかどサロン」(藤井達吉美術館前)で「大浜てらまち散歩地図」を入手してから歩くと便利です。 

本当は、達吉美術館で開催されている 「生誕160年 清沢満之の世界展」を見て、清沢満之とはどのような思想家ぞや?(晩年は西方寺副住職) ということを記事にしたかったのですが、さっぱりわからんかったので、大浜めぐりでお茶を濁した次第。 勉強して、何かわかったら記事にします・・・

清沢満之ほど知名度の薄い、それでいて、これほど重要な人物は、ちょっといないのじゃないでしょうか。 司馬遼太郎

展示会を見れば、彼がどのような人生を送ったのかという伝記(歴史的事実)は分かるんだけど、司馬さんが触れているのは、もちろん彼の思想の中身のことだよね。ま、それを展示会で分かろうとするのは傲慢かな。連本でも買って読んでみまーす。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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