6月くらい?に、西尾で、沖縄のソールフードとも言われる沖縄そばが食べられる店がオープンしました。
普段、お米を買いに行っている地元のお米屋さん(うちの田んぼの耕作をお願いしているオペレーターさん)から、「うちで育てた小麦を使っている沖縄そばの店があるから、一度たべてみてください」という情報ももらいまして。
「沖縄そば」ってだけでも興味ありますが、「西尾産のきぬあかりをつかう沖縄そばが西尾で食べられる」って興味あります。えっと、こういうのは地産地消っていうのかな?
小麦新品種「きぬあかり」は、これらのめん用として愛知県農業総合試験場が開発し、愛知県の農家の皆様によって丹精込めて育てられています。
愛知県 園芸農産課
「きぬあかり」を使った「うどん」や「きしめん」は、色が明るく、つるつるシコシコな美味しいめんに仕上がります。
で、今日食べに行ってきました。 沖縄そばと酒処カヌシャさん(公式インスタ) です。google mapならこちら。評価4.2とかなりのもの。
沖縄そばっていっても、「蕎麦」じゃありません。小麦100%でかん水もちいる「中華そば」系統です。
「沖縄そば」は、そば粉を使わず小麦粉だけを使い、かん水で練って作る太めの麺と、豚骨やかつお節からとった濃厚なだしで仕上げたこってりとした汁が特徴。麺の上に乗せる具は、豚の三枚肉の煮つけ、棒かまぼこ、ネギ、紅生姜が定番だったが、近年はソーキそば、軟骨ソーキそば、野菜そばなど多種におよぶ。また、地域により麺、具ともに特徴があり、宮古そば、八重山そばなどがある。
・・・沖縄そばのルーツは、 明治中期に唐人が那覇にそば屋を開いたことが始まりとされている。
うちの郷土料理 農水省
炙りソーキそばと替え玉を頼んで1,130円。写真は・・・撮り忘れた。 上記リンクをみたくれい。
ここのスープは豚と鰹節で取ったのでしょうが、こってりというより薄めの優しい味で、すべて飲み干せます。食べた感じは、僕はラーメンときしめんの中間 という感じをうけました。もちろん麺はひらぺったくないですけど、もちもち感が似たような感じかと。
替え玉頼んだくらいだから、僕はこの味好きですね。 値段は安くはないけれど、相応だと思います。
この日はしばらく他のお客さんがいなかったので、なんで愛知県産の小麦を使って、沖縄そばをつくろうと思ったのか、店主さんに聞いてみました。
沖縄から粉を仕入れることも考えたけれど、そもそも沖縄では小麦の需要と供給が釣り合っておらず、多くの場合、輸入した小麦で麺を打っているそうです。であれば、国産、特に地元でつくられた小麦で製麺したほうがいいんじゃないかと思った ということのようです。 なるほど~。 地元産の小麦と言っても、品種によって全く香りが違ったり、そもそも製麺は全くの素人だったから、求める味にするまで、いろいろ苦労されたそうです。
いや、でもいい製麵具合と思いますねえ。
家に帰ってから、そもそも沖縄では小麦なんてほとんど生産してないはず。なのに、小麦100%の沖縄そばがソールフードになる、これなんでだろ? と思いました。
戦前、沖縄ではさまざまな麦を栽培していたといわれていますが、基幹作物などの影響で麦栽培はなくなっていったそうです。
金月そば
でも実は沖縄各地で自家消費でつくられつづけていたことが最近わかってきました。
先日、農林水産省より令和4年産麦の概要が発表されましたので、興味ある部分を簡単にまとめてみました。・・・北海道と九州を合わせると、全収量の80%になります。逆に東京、大阪、和歌山、沖縄は、「生産がない」もしくは「無視できるほどの少量」である地域です。
木下製粉株式会社
発祥については諸説あるが、庶民の食べ物としての「そば」が紹介されたのは明治後期のことで、県民食として大々的に普及して現在のような形態となったのは戦後、県外にもその存在が知られるようになったのは沖縄復帰以降のことである。・・・戦時中の食糧不足と沖縄戦によってすべて消滅したが、米軍占領下で小麦粉が豊富に出回るようになってからは次々と復活し、また戦争で寡婦となった女性たちが新しい店を立ち上げるなどして、戦後沖縄を代表する軽食として急速に普及していくこととなる。店の数が増えるにともなって、それぞれの店がさまざまな具材や、鰹や昆布を用いた和風の出汁を用いるなど競い合って工夫を凝らし、県民食として発展していった。
wiki
すば(沖縄そば)は、すば屋にしかない。潟原市場の通りにはすば屋が並んでいて、芝居を見た帰りなどによく食べる。すばはメリケン粉に灰汁を入れて練り、生地をつくる。それをのばして切り、ゆでる。中華めんの作り方と似ており、そうめんよりこしがあって太い。すば汁は豚骨とかつおだしと味の素が主体で、醤油と塩で味付けをする。
那覇の食(昭和初期) 日本の食生活全集㊼ 聞き書 沖縄の食事 より引用
歴史はあるのですが、庶民まで大々的に普及してきたのは、戦後の話なのかぁ。割とあたらしいのね。米軍占領下で小麦粉が豊富に出回るようになったのも広まるきっかけの一つらしいから、 スパム(ポーク)とよく似たような経緯かも。です。
沖縄の県民食スパム
まず、スパムについて書く前に一つ言わせていただきたい事があります!沖縄県民でスパムと言う人はいません!ポークと言います。スパムはポーク缶の中の商品の一つです。・・・ポークランチョンミートはアメリカから沖縄に伝わりました。戦後沖縄は1952年から1972年までの20年間、アメリカの占領下にあった時の事です。ポークランチョンミートは元々、戦時中の米軍の非常食として作られた品物ですが、沖縄県民は米軍に占領される前から、豚肉を好んで食べていたので、すんなり受け入れられたとされています。根強い人気なのでもう少し書くことがあるかと思ったのですが、歴史は浅いようですね。
美ら木家
沖縄は島国で、自然環境もありなんでもかんでも島内自給はできない という特性があり、かつ貿易立国で、自分のところで取れないものは運んできて消費すればいい という感覚が強かったのかもしれないですね。昔から昆布の消費量が多かったと言われるし。 ・・・日本の縮図みたいだなあ。
沖縄で昆布の消費量が多い理由とは? Z会ナビ ⇔これ大人でも面白いす。
その上に米軍による長期間占領の影響もあり、いまや本土の人間を魅了する食文化が形成された のかもしれませんな。 行ったことないけど(昔は円高だったので、僕は沖縄に行くより物価が安く飯も旨い台湾ばかり行ってた。)