はて、坂本に御殿なんてあったかな? まあ、どうぞ。
門跡というのは、皇族・公家が住職を務める、格の高い寺院のことです。天台宗(山門派)ではいくつかの門跡寺院があります。有力なところとして、青蓮院、三千院、妙法院や上野と日光の輪王寺(上野は通称寛永寺)がそうです。この辺りは出家した皇族(法親王)が住職を務めました。
滋賀院も門跡ですが、さらに別格でここに住む住職が天台座主になります(つまり総本山比叡山延暦寺の住職の住まいが滋賀院)。先に挙げた有力門跡寺院の住職から選ばれることが多かったようです。
てなことで、延暦寺の山上には住職はおらず、必要な時だけ山上出張してました。宗教的にそれでいいのかよ?とも思いますが、まあ、この辺は「大人の事情」ってやつだな。
と、ともかく、そんなことで、地元では滋賀院を「滋賀院御殿」とも呼んでるそうです。滋賀院へのアプローチは、他の里坊とは別格です。
こんな道を進んでいくと
まるで城塞のような正門(勅使門)が現れます。 石垣も高いですね(人と比較してください)。時代劇でも出てきたような・・・しかし、寺というより城です。 武田信玄の迷言「寺は城、寺は石垣、寺は堀、金は味方、他人は敵なり」を思い出させます(毒効きすぎてごめんなさい。調子乗りすぎました)
通用門。だいぶ敷居は低くなってて(笑)拝観入口はこちらです。座主がおられた寺だからか、門(右側)には「延暦寺事務所」と書かれていて、さらに天台宗務庁が隣接してます。 宗務庁、宗議会、審理局。うぉー、バチカン市国みたいっす。(昔はまさにそんな感じだったでしょう)
天台宗の機関 より
寺の内部は、大きな建物を渡殿でつないだ作りになっていて、寺院というより御殿(高貴な方の住まい)という感じが強いです。
二階書院
寝殿には、座主接見の間もあります。上段の間にさらに二畳畳が重ねて敷かれており、将軍様の謁見の間のようです。 昔の天台座主の権威がどれほどのものだったのか、よくわかります。
内仏殿から望む琵琶湖(遠くに見える丸山は、近江富士と呼ばれる三上山)
庭園 作庭は小堀遠州 ちょっと石が多すぎて、うるさくないかなあ・・・
建物は、明治10年に火災で全焼し、多くの建物は明治12年に延暦寺の山上から移築してきたものだそうです。重機もない時代に、山上から山下へ移築って、どんだけ金掛かるんだよ・・・あるところにはあるものですねえ。
と、全体的に批判的な視点で書いてしまいましたが、500円で御殿建築の体感できるので、建築に興味ある方にはお勧めです。建物内の襖絵は狩野派で、ガラスに収まらず直に眺められます。まあ、永徳とか探幽のようなビックネームの「おお!」って感嘆するほどの出来ではありませんけど・・・