はて、坂本に御殿なんてあったかな? まあ、どうぞ。
坂本比叡山口から徒歩で西教寺に向かうのであれば、 日吉大社を先に拝観し、東本宮の脇を通る「山野辺の道」から西教寺に向かうのがお勧めです。 駅前の観光案内所でまちあるきMAPをもらっておきましょう。 琵琶湖の眺めが良いから。
坂本の街。山麓は重要伝統的構造物群保存地区ですが、湖畔は新興住宅街として開発されています。それもあってか、石山坂本線は結構若い人も乗っていました。かわいい2両編成の電車なので、経営状況はどうなのかな?って思っていましたが、考えてみれば、滋賀県の県庁所在地である大津市も沿線だし、それなりにうまくいってるの かな。
沿線には東レや日本電気硝子などの工場、大津市役所や各種学校などの公共施設が多数位置する。そのため、朝のラッシュ時間帯は通勤や通学により一部の列車は混雑するが、夕以降のラッシュ時間帯は下校と退勤で時差があるため朝ほど混雑が見られない。また、石山寺、三井寺、近江神宮、日吉大社などの神社仏閣が多くあるため行楽客で賑わうこともある。
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京津線と2線あわせて年間15億円程度の赤字が出ていた・・・+その後の経営合理化と、沿線の人口増加、昼間の電車の増発(発車間隔の短縮化)、ラッピング車両の運行、おでん電車やビール電車などのイベント列車(詳細後述)の運行などのサービス向上により、2013年時点で収支は大幅に改善している。
途中には、千体地蔵尊もあります。
解説看板によれば、この辺りには無数の地蔵尊が散在しているそうです。比叡山は修行の山で一般人の参詣には制限があったので、せめて山麓に小さな像を祀って成仏を祈ったのではないかとのこと。近世、田畑耕作で出てきた地蔵尊をここに集めたもの なんだそうです。比叡山への信仰の篤さが感じられる場所ですね。
と、西教寺に着きました。
立派な門構えですね。 それもそのはず。このお寺は天台真盛宗総本山なのです。
んー、簡単に言うと、天台宗には3つの主流派がありまして、天台宗(山門派)の総本山が比叡山延暦寺。天台宗寺門派(天台寺門宗)の総本山が園城寺(三井寺)、んで天台真盛宗の総本山がここ。 違いは・・・各自調べてくれい。
山門派と寺門派は古くから派閥争いしており、激しいその武力抗争は、映画「仁義なき戦い」シリーズで取り上げらえたほど有名です(嘘です)。一方、真盛派の分離はあんまり知られていません。年代的にも比較的新しいです。
以後、延暦寺の円仁派は山門(山門派)と呼ばれ、園城寺の円珍派は寺門(寺門派)と呼ばれ、対立・抗争を繰り返した。こうした抗争に参加し、武装化した法師の中から自然と僧兵が現われてきたのである。
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延暦寺による園城寺への攻撃、焼き討ちはすさまじく、中世末期までに園城寺は全焼7回を含む大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。
詳細は「山門寺門の争い」を参照
天台系の本山寺院のうち、延暦寺や園城寺(三井寺)が密教色が濃いのに対し、西教寺は阿弥陀如来を本尊とし、念仏(阿弥陀如来の名を称えること)を重視するなど、浄土教的色彩が濃いが、これは中興の祖である真盛の思想によるところが大きい。
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近世には他の天台系寺院同様、日光山輪王寺の支配下にあった。近代に入って宗派独立の動きが強まり、1878年(明治11年)から天台宗真盛派を名乗るようになる。1941年(昭和16年)には国策によって天台宗、天台宗寺門派、天台宗真盛派の三派は合同したが、太平洋戦争後の1946年(昭和21年)三派は再び分離し、天台宗真盛派は天台真盛宗として独立した。
ちなみに、延暦寺の本尊は薬師如来。園城寺は弥勒菩薩です。
えーと、御殿の話だったな。 この寺には、本堂の奥に「客殿」があるのですが、この客殿は豊臣秀吉の伏見城にあったものを慶長3年(1598)に移築したものです。桃山御殿とも呼ばれるそうで、桃山様式を伝える数少ない建物だそう。
建物内部は覗くだけですけど、外周の広縁のところを歩いて回ることができます。内部には、上段の間もあって、秀吉が座ったの?とか思える感じです。細かいことを書くと、座敷の床の間と違い棚の配置が現代と逆だそうで、「時代を感じさせる」そうです。
外見見ても、結構見ごたえありますよね。
写真でも、広縁(広い縁側のこと)に引き戸が何か所か付けられているのが分かりますね。普通の建物ではついていないと思うのですが。この戸は貴人がいるときは閉めて、警護しやすくしてたのかな とか思ったり。
このお寺に、こんなレベルの高い御殿建築が残っているのは知りませんでした。
ここにも、小堀遠州の庭園が残されています。
あと、明智一族の墓とかも残っているので、関心ある方はどうぞ。
明智一族の墓
明智光秀の妻の墓