妙高への道すがら~文学とともに?~

前回記事(上田城)に引き続き、妙高は赤倉温泉へスキーに行きました。

公共交通機関で西尾から妙高へ行くにはいったん名古屋へ出て、 名古屋から特急しなので長野へ。長野からしなの鉄道で妙高高原駅へ行きます。  往路は上田経由のため松本で車に乗り換えましたが、帰路はこの経路で帰りました。  

さて、濃尾平野の名古屋を出発した特急しなのは中央本線を走り、 木曽谷・松本平を抜け、善光寺平にある長野駅までを約3時間で結びます。

木曽谷は谷幅がすごく狭く、町に山が迫っています。 それを一言で表すなら、まさに「木曽路はすべて山の中」という言葉でしょう。

奈良井宿

木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
 東ざかいの桜沢から、西の十曲峠まで、木曾十一宿はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷の間に散在していた。

島崎藤村「夜明け前」

「木曾十一宿はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷の間に散在していた。」状態を車窓から観察するなら、藪原駅周辺(木祖村)がよさげ。

奈良井宿を抜けるとじきに長い渓谷を抜け、ぱっと空が広がります。長野県は山国なんだけど、人口の大半は4つの平(盆地)に集中しています。次点が木曽谷など川沿いのわずかな平地です。長い間、平らで広い耕作地が生活の重要な糧でしたから。

信濃の国は十州に 境連ぬる国にして 聲ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
  松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき

長野県

「万ず足らわぬ事ぞなき」って、山国には「塩」がないじゃねーか、とか突っ込みはさておいて、うまく地理をあらわした歌だと思います。 

閑話休題。広い耕作地が取れない「山中」の暮しは苛烈です。下の写真は善光寺平に出る直前の「姥捨」です。車窓としては申し分ないのですが、地名でわかる通りわずかな棚田を耕す厳しい生活だったかと。

昔、年よりの大きらいなとの様がいて、「60さいになった年よりは山に捨(す)てること」というおふれを出しました。との様の命れいにはだれもさからえません。親も子も、その日がきたら山へ行くものとあきらめていました。

・・・

(千曲市教育委員会のきょう力をえて、「姨捨の文学と伝説」から要約しました。)

長野県

なかなかスキー場につかない(笑)。 

写真を見ての通り善光寺平まではほとんど雪がないのですが、それを過ぎ山間地に入ると急激に雪景色になります。 長野駅から妙高高原駅までは44分、7駅の距離ですが・・・乗ってみれば、そこはやがて雪国であった。

妙高高原駅
駅からみた風景

こういう比較的短い区間で劇的に雪景色に変わるのを見ると、川端康成の「雪国」(ノーベル文学賞)の冒頭を思い出します。読んでないから、冒頭しか知らないけど。 

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 これは群馬から新潟(越後湯沢)に向かう上越線のトンネル(清水トンネル)を通過した時の描写ですけど、 ここらにトンネルがあったら、やぱりこの光景が見られたはずです。

ところで、僕は今まで冒頭の「国境」をふつうに「こっきょう」と読んでいたのだけれど、これ、「くにざかい」って読むのが、分国制の長かった日本の言葉としては正解なのかなあって、風景を見てそんなことを考えていました。

 と、文学的には美しい表現なのだけれど、「夜の底が白くなった」というのは、あまり使わない表現ですよね。後に語られるであろう主人公の心象を表現をしたものなのかな・・・。

気を取り直して、宿に到着!

赤倉温泉の宿泊宿

うむ、ここは小林一茶の「これがまあ 終の棲家か 雪五尺」を思い出すところ。

一茶は「柏原」というところで生まれ、江戸に出て俳諧師として名を上げたあと、晩年故郷に帰って一生を終えました。だからか、この歌には都会から地元に戻り「ああ、これが俺の終の棲家か・・・」と、雪かきだけじゃない、田舎暮しの大変さ、そして諦観がにじんでいるように感じられ、おっさんになって地元に帰ってきた僕が共感する句です。

その気で見ると、他の代表作もUターン暮らしへの鬱屈とした気持ち、そしてやるせなさのようなものが込められていると思いません?  「めでたさも 中位なり おらが春」「やせ蛙 まけるな 一茶これにあり」  うむ、偏見これにあり、だらうか。

柏原って新潟県だと思い込んでいたんだけど、実は長野県信濃町の地名だそうな。そして、信濃町は赤倉温泉や妙高高原駅がある新潟県妙高市のおとなり(くにさがいを挟んで向こう側とこっち側)なんだと! 

つまり、一茶はまさにこんな風景を見て、あの句をつくったんです(「雪五尺」なので、もう少し先の時期の風景だと思うけど)。思わぬ偶然に、ちょっと高揚しました。

したから知人数人に写真と俳句をラインを送ったのだけれど、一人は「こんなうた知らない」、一人は「え君、長野に移住したんだ?」と。まあ、確かに「終の棲家」とあるし、僕は過去に長野(伊那)移住をそれなりに考えた事あるんですけど、なあ・・・。 歌人なら、この気持ちを詠むときっと名句になると思うですよ・・・

よ、ようやくスキー。

なんつーか、 「たのしさも 中位なり おらが鋤」って感じだったかな。

いやもちろん楽しかったけど、疲れも早かったような。「もう年かしら ね 身体にこたえる わ(律子)」  で疲れたから酔いがまわって、前話の「酒に酔いつぶれる」につながる・・・いや、「呑みすぎ」だがな。

・・・。

このスキー場、リフト接続が良くなく、乗るまでかなり歩かせます。動く歩道は停止してるし、雪は豊富なのに停止しているリフトはあるし、メンテも微妙。昼食も、スキー場だから許せるけど値段の割にイマイチ。

観光リゾートスキー場と温泉スキー場を、ちょっと無理して接続させた大型スキー場ですけど、共通リフト券を買うと1日8,000円です。諸物価高騰でやむを得ないとはいえ、現在の経済状況を鑑みると、スキーって大学生も行けるちょっと贅沢な遊び(僕の大学生時代)から、高級リゾート施設(現在)へ位置づけを変えつつあるような気がします。

日本人のスキー人口は人口動態に輪をかけて減っているでしょうから、その方向に早めに舵を切り、裕福な外国人観光客を呼び込み客単価をあげないと地元としてはやっていけない時代かと。

でも高級リゾートにはその値段に見合ったサービスが必須です。ここは、かなりサービス面や施設再投資に頑張らないと厳しいかなって思いました。レンタルスキー店は現金対応オンリーでしたし、せっかく来た若い子たちが困ってました。

まあ、ふもとの旅館街も「予算ないっす」って感じでしたから、もう起死回生の一撃を放つ余裕はないかも(名誉のため言っておくと、宿もレンタルスキー店も値段を考えるととても良かったです。でも高級リゾートとはそういうものではない かもです。)。

今そこに必要なのは豊富な資金力と決断力と実行力。  ちょうど事例が出てきたので参考まで↓

 スノースポーツ人口が減少する中、全国的な雪不足の年を除き、入場者数が右肩上がりの「グランスノー奥伊吹」。去年は過去最高を記録したとのことですが…徹底しているのは、「利用客の満足」の追求、そして、そのために惜しまない「投資」だと言います。
・・・利用客の満足度を上げるうえで一番大きなポイントは、レストランやレンタルショップなど、スキー場施設を全て自社で「直営」していること。
(草野丈太社長)「価格コントロールだったり、サービスの均一化という部分で、クオリティーを施設全体で上げていくことができるので」
グランスノー奥伊吹の成功の要因はこの「直営」にあると、スキー場の立て直しに関わる専門家は言います。
 (マックアース 一ノ本達己CEO)「(複数オーナーで)合議で物事をジャッジすると、無難なところに収まる。スピード感もそうですし、尖ったことができなくなります。(誰かが)『そんなことやったら潰れる』みたいな話になる。(直営でないと)経営判断ができなくなる」

【人気の”尖ったスキー場”】ゲレンデまでエレベーター!?毎年最新のレンタルウェアに”山価格”じゃないグルメ! 投資惜しまずニーズ追求する「グランスノー奥伊吹」

まあ希少事例だからニュースになっているので、たぶん現実的にそれに近いことが期待できるのはニセコみたく黒船だけだろ・・・と考えてたら。1月8日(これ書いてる前日)にニュース。やっぱりそれしかなす。

 シンガポールの不動産投資ファンドが、長野・新潟両県境に近い妙高高原のスキー場で約700億円を投じ、外資系ブランドのホテル2棟と分譲型リゾートマンションを2028年冬に開業する。近くの斑尾高原でもホテル建設に乗り出し、投資額は最大で計2千億円に膨らむ可能性がある。国内のスキー人口の減少により誘客で苦戦が続く中、日本人の富裕層とインバウンド(訪日客)の需要を取り込むことで、スキーリゾートの再生を期す。

妙高高原と斑尾高原、スキーリゾート再生へ 2028年冬開業、外資系ファンドが最大2000億円投資

でもさ、せっかく投資しても、肝心のスキー場のサービスを向上させないと「スキーリゾートの再生」は無理です。事業主体が違うでしょうから、そこをどうするかですね(スキー場って、その地方の既得権益や規制の塊みたいなものだから、そこが一番大事なんだがね)。いっそスキー場丸ごと外資に売っちゃえば、おのずと向上されると思うんだけど。 

この記事は「白馬の別荘地林道の路線価高騰率が日本一になり、野沢温泉、志賀高原でも同様に外資系企業がホテル整備を予定」と続くんだけど、スキー場の再開発とホテル開発を外資が一体化して進めたら、それらの地と差別化できると思うんですよね。

ま、経済的にはその素敵な一体化リゾートの入り口に「犬と日本人は立ち入るべからず」と書かれないことを祈るばかりですが。

中国で初めて一般人も利用できる公園になった。スコットランド人の庭師がヨーロッパ式にデザインし、休憩所、テニスコートが作られたが、それは1840年代に上海が国際貿易港となって以降増え続ける外国人租界の居住者の利用を意図したものだった。
パブリック・ガーデンは1890年から1928年の間、中国人の立入を禁じたが、よく知られた作り話として、公園の入口に「犬と中国人は立ち入るべからず」という注意書きがあったというものがある。

しかしその時期の写真によると、注意書きは10項目あり、その1番目は「この公園は外国人が利用するためのものである」、4番目は「犬と自転車は禁止する」というものだった。いずれにせよ、黄浦公園や中国の他の公園で中国人の立入が禁じられたことは、19世紀から20世紀前半にかけて西洋列強から中国が辱めを受けた多くの例のひとつとして、一般民衆の心に残った。

黄浦公園 wiki

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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