1月28日、経済アナリストの森永卓郎さんが亡くなった。67歳だった。’23年12月に「膵臓(すいぞう)がん」のステージ4と診断されたことを公表。その後、「原発不明がん」と診断されていた。
「森永さんは東京大学経済学部卒業後、日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社「JT」)に入社します。その後、三井情報開発や三和総合研究所などで研究員を歴任し、頭角を現しました。
森永 卓郎(もりなが たくろう、1957年〈昭和32年〉7月12日 – 2025年〈令和7年〉1月28日)は、日本の経済アナリスト、エコノミスト、タレント。専門は、マクロ経済・計量経済・労働経済・教育計画、オタク文化論など。愛称・通称は「モリタク」。獨協大学経済学部教授などを務めた。
まずはお悔みを。67歳って若くして亡くなられましたな・・・
正直、経済アナリスト「モリタク」については、僕は評価していません。「日経平均が3000円まで落ちる」とか、悪いけどガンが脳まで転移したかと思った(笑)。
今後、消費税は15%に向かって突き進み、バブル状態だった日本の株式市場は弾けます。日経平均は年内にも1万円台、最終的に3000円台にまで落ちるでしょう。住宅ローンの変動金利も間違いなく0.15%は上昇しますから、株をやっていない国民にも大きな影響が及ぶと思います
が、上記記事にも出てくるけど、「今後、消費税は15%に向かって突きすすむ」という認識や「ザイム真理教」 と言った現状分析・解説。そして「年収300万円時代を生き抜く」や「トカイナカ」 と言った地に足のついた対策提言と実践は、庶民生活防衛コンサルとして実に見事でした。
『ザイム真理教――それは信者8000万人の巨大カルト』は、国の会計について税収の範囲内で支出するという財政均衡主義の問題点を指摘した森永卓郎さんが、日本経済を好転させる方法を提案した経済解説です。森永さんにお話を伺います。(聞き手・畠山智之キャスター)
2003年に私は、『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)という本を上梓 し、大きな反響を得ました。・・・いまの経済状況は当時より深刻です。・・・これからは「年収200万円しかない」といった危機感をもち、生活スタイルを変えていく必要があります
私は1985年、28歳で埼玉・所沢に家を購入し、数年前からは近くの畑で野菜や果物を作っています。都会と田舎の中間ということで「トカイナカ」と名づけていますが、そういう暮らしは、都会ほど生活費が高くなく、田舎ほど人間関係が濃過ぎません。
庶民の味方〝モリタク式〟4つの節約術 「卵かけご飯は値上げの心配なし」「省エネは最大のウクライナ支援」など 経済アナリスト・森永卓郎氏が伝授
まあ、米も卵も値上げしてるので、外してますが、大道としては間違ってないかと。その森永氏を失って痛い と思ったのは、エリートや有識者層で「庶民の生活実態」を本当に理解し、しかもその悲惨な状況を何とかしようとあがいてきた人 が確実に一人いなくなってしまったということです。
もう少し詳しく書くと、いきなりですが。
聖書に「人はパンのみにて生くるものにあらず」ってありますよね。
人間は、物質だけではなく、精神的にも満たされることを求めて生きる存在である、ということ。
一方で、「賢いアンタはそういうがね、庶民はパンが十分なければ、そんな形而上の話なんてどうでもいいんだぜ」 という強力な反語も存在します。「衣食足りて礼節を知る」です。
人は、物質的に不自由がなくなって、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる。
現在の社会情勢を一言で言うと、エリートや有識者層は「人はパンのみにて生くるものにあらず」に取りつかれ、庶民層は「衣食足りねえから礼節なんて知らね」というずれが生じていると思うんです。モリタクさんは後者を意識し、前者に発信しようとしていたんだと。そういう人は希少です。
例えば今現在、日本の国会では「夫婦別姓」や「政治資金改正」などの議事が進められています。マスコミではフジテレビの昭和時代の組織経営が報道されてますか。まあこういう話はもちろん議論しより良い方向に進めていった方が良い話なのですが、「明日のパンや衣服」には直接つながりません。そういう意味では「礼節や宗教論争」と言った形而上学論争と言ってよいでしょう。
以下のような日本の現状を踏まえると、
60歳では8割近くが働き、70歳では45.7%の人が就業している。〈経済成長率の鈍化や人口の高齢化によって、中高年の賃金や定年後の退職金は減少し、政府の厳しい財政状況から厚生年金の支給開始年齢引き上げなどによる公的年金の給付水準の引き下げも進んだ。こうしたなか、寿命の延伸によって増加する老後生活費の原資を高齢期の就労なしに獲得することは難しくなってきている。
昨今の経済的な事情が、働き続けることを選択する人が増加していることの主因になっているとみられる。
日本人は平成期以降、転げ落ちるように貧しくなっています」と指摘する。
「1世帯あたりの平均所得は、ピークの1994年には664・2万円でしたが、2022年には140万円も下がって524・2万円になった。もう30年間も右肩下がりが続いているのです。
原因は、経済の低迷だけでなく、重すぎる税金と社会保険料の負担です。1994年には世帯平均年間117・4万円だった所得税や社会保険料などの負担額は、2022年には134万円を超えました。所得が下がったのに、負担は上がっているわけです」
だとすれば、今すべきなのは形而上学論争ではなく、パンの話、例えば「ガソリンの暫定税率撤廃」とか「年収103万円の壁を178万円に引き上げ」でしょう。けれど、そういう話を実現させようという話は全く進みません。
そりゃ、パンの話は実利が絡むので調整とか実施に向け大変でしょう。一方で「聖書談義は尊い」みたいな風潮もありますよね。「ポリティカル・コレクトネス(=政治的に正しい言動)」を追求するになんの差しさわりがあろうかみたいな。 あまり実利絡まないし。
それが、ここ最近の世界的な流れとして「形而上学論争」はもうたくさん。それより「今日のパン」をよこせ という反動的な動き、あるいは揺れ戻しが来ているのが昨今の情勢だと認識しています。
「環境保全」や「ポリティカル・コレクトネス」論議にNoを突き付けたアメリカ大統領選挙。 トランプ氏はパリ協定を脱退。石油を「掘って掘って掘りまくれ(働け、生産しろ)」って言ってますし、「あなたの仕事を奪う移民を規制」「不法移民は救済せず送り返す」ってやってますよね。正しいかどうかはさておき、パンに密接した政策が多いように思えます。
移民の問題は欧州でも問題になっていて、これまで穏当に受け入れていた政権はほぼすべて選挙に負け、移民排斥を訴える極右政権が実権を持ち始めています。環境に優しい(という物語はあんた達が作ったんやけど)EVも、安い中国製が席巻すればそれに関税かけて規制。結局アンタらも形而上学論争よりパンを選んだってことだね。
ま、ある意味「地に足の着いた」話なのかもしれません。(「正しい」とか「あるべき姿」ということではなく、これまでそうだったという流れに戻るというか。「保守回帰」というべきか)
まあ、こういうのは流行ですから、数年すると「反動の反動」が来て、また戻るような気もするけれど、少なくともここ数年の傾向としては顕著に現れるのではないかと。
そのあたりの時代の流れをよむことに長けた人でしたので、 将来的にもその見方を披露してもらいたかったなあ と思いました。 合掌。
参考追記。僕の感じた「形而上学論争よりパンを選んだ」感や「ポリティカル・コレクトネス」論にNo論をトランプ氏再選にからめ、うまくまとめた産経の記事(抜粋)を紹介します。さすがに上手に書きますね。
以前このコラムで文学の素養がないとトランプ大統領を腐(くさ)した。その見立ては変わりないが、いまはそれゆえの彼の無思想性に期待するところもある。というのも民主党政権は、社会をひと握りのエリートの思うがままに設計できるという「設計主義」に毒されていた。そして自分たちの理念や価値観を他国にも平然と押し付けたからだ。
その筆頭に挙げられるのが、人種、性別、宗教、国籍、年齢、障害などを理由にしたあらゆる差別的な表現や扱いをなくそうとする「ポリティカル・コレクトネス」(略してポリコレ)なるイデオロギーの押し付けと、それに基づいた施策だ。ポリコレこそ米国社会分断の最大要因ではなかったか。
・・・
ちなみに「設計主義」とは、オーストリアの経済学者、ハイエクの造語だ。彼は社会秩序の形成を合理的な設計のみに基づかせようとする発想を厳しく批判し、社会のなかで長い時間をかけて蓄積・生成された自生的秩序を重視した。言うまでもないことだが、社会主義国は設計主義の産物だ。トランプ大統領の「常識の革命」とは、民主党政権の過剰な「設計主義」傾斜への決別宣言である。ジャイアン、トランプ大統領との交渉術 ドラえもんのいないのび太は正々堂々と
モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら(196) 産経新聞
なるほど、バイデン民主党の動きは「設計主義」という言葉で表せるんですね、勉強になります。
まあ僕は、バイデン民主党のポリコレ方針は理想としては正しいと思う(ただ実行法が稚拙だった)という意見なので、総論としてのこの記事には賛成しかねるのだけれど、この抜粋引用した部分の見方については全く同意見です。

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。