夏の夜の(悪)夢

もし今の日本にシェイクスピアがいたら、日々起きる様々なニュースを、そして今進行している悲劇(微笑うしかないから喜劇か?)を、格調高く、文学にまで昇華させたことでございましょう・・・題材としては、かの四大悲劇を上回るものかもしれませんし。

ウイリアム・シェークスピアの戯曲三八編のうち、『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』をいう。いずれも一七世紀初めの作品で、人生に対する深い洞察を示している。

コトバンク

もちろん僕にその才能はないけど、様々なニュースに、シェイクスピアの名言を組み合わせてみました。 なかなか意味深じゃね?

シェイクスピアの名セリフは、本棚にあった 安西徹雄「英和対訳 シェイクスピアの名セリフ100」から引用しています。英語も味わい深いけど、面倒なので和訳部分のみ。英語が知りたい人は買って読んでね〜。

参院内閣委員会の閉会中審査が15日開かれ、政府の新型コロナウイルス対策分科会の尾身茂会長が東京都に4度目の緊急事態宣言が出ていることを踏まえ、「人々が緊急事態(宣言)に慣れ、飲食店も『もう限界だ』との声も聞こえる中で、人々の行動制限だけに頼るという時代はもう終わりつつある」との認識を示した。
尾身氏は新型コロナの感染防止について、PCR検査の拡充や二酸化炭素モニターの設置、下水でウイルスを高濃度で検出する技術などを例に挙げて「日本には優れた科学技術がある」と説明。そのうえで「休業要請はもちろん大事だが、サイエンス・テクノロジー(への投資)は、それに比べるとずいぶん効率の良いお金の使い方だ」として、科学技術への投資を拡大して感染拡大の抑制を図るべきだという考えを示した。  

朝日新聞

遅きに失したとは言え、「まともな意見」ではあります。漕手の多い船の乗員だし、この名言が当てはまるかと期待したんだ。  ”あの阿呆、阿呆であることを隠れ蓑にして、その姿の陰から知恵の矢を放つのだ。”「お気に召すまま 5幕4場」

と思ってた翌日。

尾身茂会長は16日、夏休みやお盆、東京五輪・パラリンピックがあるこの2カ月間が「新型コロナとの闘いの山場」として、感染拡大を防ぐための「お願い」の談話を発表した。東京の新規感染者数が3日連続で1千人を超えたことに触れ、「感染拡大のスピードを少しでも抑えないといけない」と呼びかけた。
 尾身氏は談話で都道府県を超えた移動や、普段会わない人や大人数・長時間での飲食は控えめにすること、五輪は自宅で応援し、広場や路上、飲食店での大人数の応援は控えることを求めた。

朝日新聞

「賢者かも」と思わせた翌日に言うことは「人々の行動制限を求める」のみ。「知恵の矢」放ってないのう。このあたりが「悲劇」たるゆえんか。

”阿呆は、自分が賢者だと思っている。だが賢者は、自分が阿呆であることを心得ている”「お気に召すまま 5幕1場」

お次はこちら。

コロナ感染抑止策の一環として政府が画策した酒取引停止要請が全面撤回を余儀なくされた。関係する金融機関や酒事業者団体の反発に加え、与党内からも不満が噴出したからだ。
 今回のドタバタ劇の主役を演じたのは、コロナ担当の西村康稔経済再生相だ。
・・・ 西村氏は、その対策を菅首相らに示したのは7日のコロナ対策関係閣僚会議だったことも認めた。ただ、菅首相や出席閣僚は関心を示さず、議論の対象にもならなかったと説明。菅首相の「具体的に議論していない」との釈明を裏付けてみせた。

菅政権は末期に、酒取引停止問題で露呈した限界 東洋経済

この名言はいかがでしょう。

”ずるい主人は召使いどもをけしかけて、狂暴な行動に走らせておきながら、後になって叱ってみせる。われわれの精神にも、同じことをさせるものだ” 「ジュリアス・シーザー2幕1場」

ハイ次。

新型コロナウイルスのワクチン供給をめぐり、政府と自治体との間で、意見の食い違いがあらわになっている。自治体や医療機関に約4千万回分の「在庫」があると主張する政府に対し、供給減少に苦しむ首長らは真っ向から反発。混乱はいつまで続くのか。
 問題となっているのは、自治体の接種で使われる米ファイザー製の供給だ。加藤勝信官房長官は12日の記者会見で、「約4千万回分は未接種の状況で、各自治体、あるいは医療機関がお持ちになっている」と述べ、市中在庫があるため供給は足りているとの認識を示した。6月末までに約8800万回分を自治体に配送し、接種状況を国が一元的に管理する接種記録システム(VRS)によると、接種実績は約4800万回だったという。この説明に納得できないのが…

食い違うワクチン在庫 「はしご外した」河野氏に不信感 朝日新聞

 ”「時」はやがて、美辞の陰に奸知の包み隠した真実を明らかにし、過ちを隠す人々は、ついには恥辱を受けて世の嘲りを浴びるもの。” 「リア王 1幕1場」

そもそも、供給が減るってことがわかっていながら、それを隠して地方自治体や企業体にワクチン接種を急ぐよう尻を叩いていた国が悪いんだが。

”世間の目を欺くためには、世間の者と同じ姿にみせなくては。・・・罪もない花と見せて、その実、花陰の蛇でいなくては。” 「マクベス 1幕5場」

次。

時事通信の世論調査(9~12日に実施)で、支持率はついに29.3%となり、危険水域に入った菅内閣。しかし、菅義偉首相は超ポジティブな言動で周囲を驚かせている。官邸関係者がこういう。
「この間の動きを踏まえれば当然の数字ではありますが、やっぱり衝撃的な数字でした。それでも菅首相は異様に強気で、五輪、ワクチンの一辺倒です。五輪もワクチンも今やネガティブな要素になっているのですが、このふたつを成功させさえすれば、自分はまだいけると思えるポジティブさは一体、どこからくるのか……」

バッハ会長の圧力で五輪有観客を再検討 菅政権は支持率up狙いで「新Go To事業も」  AERA

”人間は、それぞれ自分流に物事を解釈するもの、物事自体の意味とはまるでかけ離れてな。”「ジュリアス・シーザー 1幕3場」

書いてて打ちひしがれてきたんで、ニュース記事との組み合わせはここまでにします。あとは読んでて、なるほど と思ったものをいくつか引用しておきます。

”わしらはみんな、この世界という、阿呆ばかりの巨きな舞台に抛り出されて、泣きわめくのだ。”  「リア王 4幕6場」

”来るなら何でもくるがいい。どんなに荒れた嵐の日にも、時は過ぎる” 「マクベス1幕3場」

最後に

”わが航路の舵をとりたまう神よ、わが船を導きたまえ。” 「ロミオとジュリエット 1幕4場」

*「夏の夜の夢」は、シェイクスピアの戯曲の一つ。喜劇ですけど。

コロナ禍を理由に、「式典」なんて全部やめたらどう?

東京五輪開幕まで10日となった13日、選手、関係者が生活する東京・晴海の選手村が正式オープンし、各国・地域の選手団を受け入れる準備が整った。新型コロナウイルスの再拡大で東京都に緊急事態宣言が発令され、首都圏1都3県と北海道、福島県の会場が無観客となる厳しい状況を踏まえ、通常なら行われるセレモニーなどはなく、異例の静かな開村になった。

五輪選手村、静かなオープン コロナ禍異例、式典なし

いやあ、いいニュースだなあ って思いました。ここね。

「通常なら行われるセレモニーなどはなく、異例の静かな開村になった。」

たかが選手の宿舎の開設に際し、いちいち式典なんて必要無し。事務手続きだけ粛々とやればよろし。金と時間の無駄遣いしなくてよかった。 

どうせ無観客なんだし(「五輪関係者」と称する人々が臨場するそうだが)、密を避けるため、開会式もやめたらいかがでしょう?誰もボッタクリ男爵の話とか聞きたくないだろ。 そもそも「開会式」なんて式典、運動競技にまったく関係ないし。

というか、僕、式典って大嫌いだから、これを機にいろいろやめてほしいな。

社会人になったからは少なくなったけれど、学校時代ってやたら式典がありますよね。入学式、卒業式、始業式、終業式、体育祭には開会式・・・個人的には、全部いらない。まあ好きな人もいるだろうから、有志でやってくれと思います。

僕は、入学式とか卒業式で「感極まる」経験がなかったし、そもそもいい記憶ってないもので。てか、おとなしく流されながら、心のなかでいつも毒づいてたよう。

 生徒一人ひとりに卒業証書を渡し(時間の無駄)、きれいに見えるよう教師が怒鳴りながら事前練習を繰り返す卒業式(中学)、 「見に来られる来賓の方に立派だと褒められるよう」指先まで手を伸ばして入場行進の練習を繰り返す体育大会開会式の練習(これも中学だ)。胡散臭い選手宣誓(ルールさえ守れば、勝敗を争う競技に「正々堂々」って余計だよ)   主役は俺らのはずなのに、一体誰のための式典なんだよ・・・、行進や開会式は、競技と全く関係ないだろ、練習するなら競技の練習をしろよ・・・とか。

それにさ、こういう場所で披露される来賓挨拶とかって、中身のない形式的なものですよね。 そんな話聞くのも時間の無駄だし、面倒だから全部文書にして、壁に貼っておけばいいのに。  あるいはそういう無意味な時間に耐える訓練なのか(半ば真面目にそう思ってた)。

でもさ、主役である僕らが、そんなくだらない話を聞いてあげるのに、なんでこっちがお礼をしなきゃならないんでしょう(「起立、礼、着席」と司会の人が声かけるよね)? 会社でプレゼン研修受けると「話者はプレゼンの最初に『本日は○○について話をさせていただく機会を与えていただき、誠にありがとうございます』と言って始めましょう」と習ったんだ。とすれば本来式典の場合は誰がお礼をすべきか・・・

ありゃ、ただの愚痴で終わってしまったなあ。これではまずいから、歴史から、僕が「これが『式典』と言われるものの本質だ」と感じたエピソードを抜き出して終わりにします。 式典ってそもそも、アスリートのためにやられるものではなく、体制のためにやられるものなのです。だれが体制なのかは、いろいろあるでしょうが。

 古代中国で、漢王朝の初代皇帝となった劉邦という人、この人の出自はまあ、ゴロツキみたいなもんで、非常にガラが悪かったようです。(人望はあったんだけど)

そんな出自もあって、彼は堅苦しい礼儀作法を重んじる「儒家」が大嫌い。「口先だけの役立たず」と思っていたようです。あるときは酔っ払い、儒家のかぶる帽子を奪い、そこにオシッコしちゃったり。まあお行儀わるい。

でもねえ、回り回って、その劉邦が中国全土を統べる皇帝になりました。とはいえ、皇帝の出自がその程度だから、にわかに諸侯(高級貴族)になった連中も、作法とか知らない奴ばかり。 宮中で勝手に酒盛りしたり、酔って喧嘩したり好き放題してました。(いや、別に悪気はなかったと思う)

「流石にな〜」と思ってた劉邦。ある日、儒学者が「私が皆を教育します」と名乗り出、その教育の後、皇帝の御前でとある式典が執り行われました。 儒者にキビシイ教育を受けた諸侯たち、ビシッとした態度で式典に望み、無事に式典が終わって劉邦はこう言ったそうです。「わしは今日、初めて皇帝が偉いものだと知った」