西尾市の茶臼山に登る

先日の休暇に登ってきました。 と言っても標高291mの里山ですけど。

登り口は、メインの登山口は「平原の滝」にある薬師堂の横です。駐車場は、無の里駐車場(30台程度)。無料で利用できますが、11月の平日10時ですでに路駐状態。

無の里駐車場 11月15日午前10時

いかに地元の人に愛されているか分かりますなあ。

頂上までは、僕の足で40分。お手軽な山旅・・・と思いきや、尾根まではかなりの急登が続きます。トレーニングによさそうです・・・ハア、ハア。

登山道の様子

んで、尾根に着いた途端、道に迷うことになります。頂上方面への道に看板が出てるんですが、その看板には「茶臼山はこっちね」とは書かれておらず「立ち入りはご遠慮ください・by西尾市」 と書いてあるんですよね。

迷い看板

最近は登山ブームなので、懇切丁寧に看板が出ている山が多いんですが、この山はそういう意味で易しくはありません。 地形図を持ってたり、事前に調べておけば、「尾根を高いほうに登って行けば頂上に着くはず」とこの看板を無視し突き進めば登頂できるんですけど(というかそれしかない)。でも行政の看板が出ていると、躊躇しちゃいますよね。

てか、地形図見ても、薬師堂(卍マーク)から頂上まで、登山道が記入されてないんだけど・・・

なかなか良い山だから、地元行政としては観光名所としてPRしたいんでしょうけど、いろいろ大人の事情でうまく整備できてないんでしょうねえ。

と、ともあれ頂上に着くと、このような風景が眺められます。

茶臼山頂上
頂上からの風景

あちこち眺め渡すと、西尾も意外としっかり山があるんだな って新発見するかもしれませんね。

頂上看板の下のボックスに、有志の方が造られたマップがあります。大変ありがたいんですけど、等高線が全く入ってない・・・うーん、残念ながら使いづらいのう。

頂上から徒歩5分で、電波塔が立っている場所に行くことができます。

と言うか、地元の人には「茶臼山」というより、「電波塔の立ってる山」と言ったほうが分かりやすいかも。

電波塔は2基立ってて、大きな機械室もあるんで、こんな山奥に良くこれだけの施設を立てたな・・・と思うわけです。が、建屋の裏に回ると立派な舗装道路があって、て、歩いて登ってきた登山者は脱力・・・。って、これも地図を見て予習してこれば、がっかりすることもないんだけどねぇ。

頂上には多くの登山客が登られるんで、立ち入りしても大丈夫・・・だと思うんですけど、心配な方は頂上を諦めて、「203展望台」へ行きましょう。こっちは「ご遠慮」しないでたどり着けます。 標高203mの位置にある展望台です。

なお、一部戦史マニアの方は、これを「にひゃくさんこうち」と呼びたいでしょうけど、眼下に港があるわけもなく、特に関係はないものと思われます。(「203高地」は、旅順港攻略を目指した日露戦争激戦地の一つ

眺めもなかなかよろしいです。

帰りには、無料休憩所「無の里」へ寄ることをお勧めします。(11月30日までの営業ですが) 100円で抹茶を頂けます。

旧徳山村から移築された建物

ここで店番のおばさんと、いま登ってきた茶臼山の話をするのも、面白いかもしれません。

ちなみに、標高300m以下の低山のくせに、夏に3度も救難ヘリが飛んだそうな。まあ携帯電話どこでも通じそうだしなあ。このくらいの山なら、少し頑張れば、どこかで道に出るか、頂上に出そうなもんですが・・・

浅井千坊 須美千坊について

既出。とりまとめ記事です。

西尾市の文化財 万燈山で行われる「鍵万灯」 について、西尾市のHPでは次のように記載されています。

市の東端、標高160余メートルの万灯山西斜面で毎年盆の8月14日に行なわれる火祭り。柴の山「ツボラ(スズミ)」を並べて点灯し、遠方から見ると火線が「かぎ形」に見えることから「かぎ万灯」と呼ばれる。午後8時半から9時頃に点灯し、20から30分ほどで終了する(天候によって異なる)。

その由来や始まった時期については明らかではないが、寛永7年(1630)に創建した長圓寺が山号を「万燈山」と称したことから、この頃には既に行われていたことが分かる。最も古い史料は、長圓寺創建から間もない頃に編まれたと思われる『万燈山長圓寺記』で、「山頂に戦国時代に戦で亡くなった人を埋葬した古塚があり、これを祀るために里民が七月の中元に万灯を焚く」としている。

また一方、明和6年(1769)『友うづら夢物がたり』では、「応徳・寛治の頃(1084から94)に周辺の真言宗と天台宗の寺々(「浅井千坊」「須美千坊」)が宗論から争い、多くの死者が出たため、その霊を鎮めるために始めた」とされる。

「かぎ形」の由来についても諸説あり、「火でレ(さんずい)形を作り、火を以って水を手向ける」(『友うづら夢ものがたり』)、「梵字イの形で、除災、祈幸福の意」(『万燈山長圓寺由緒』)などある。古くは火の付きの良し悪しやかぎの形によってその年の稲の豊凶を占ったという。

僕は、この須美千坊と浅井千坊がどこにあったのか、とか天台宗と真言宗の宗論争いがどんなものだったか、気になって仕方がなかったのです。

(オイオイ、そんなブッソウな話が、この西尾にあったんか? って。不謹慎ですが、もしそんなことがあったなら、おもしろいよねー。)

で、須美千坊とか浅井千坊ってどこ?西尾にはそんなに天台宗とか真言宗の寺は残ってねーぞ。(真宗に改宗した寺で、もとはそうだった という話はちらほらある)

「須美千坊」については、「須美郷土誌(幸田町立図書館蔵)」により、

幸田町大字須美字向屋敷47にある敬覚寺(真宗大谷派)が、元は真言宗の寺院で、妙覚山等覚寺と称し、須美千坊の一つだった

ことが分かりました。

敬覚寺

「浅井千坊」については、愛知県西尾市西浅井町古城1にある宿縁寺(真宗大谷派)の説明看板により、

元は天台宗の宿坊として建てられ。往時はたくさんの天台宗の僧侶がこの辺りに住み、浅井千坊って言われ宿縁寺はその中心だった

ことが分かりました。

宿縁寺

須美千坊(真言宗)と浅井千坊(天台宗)の位置を航空写真に落としてみてのがこちら。須美千坊は、蘇美天神社のあたり とご理解ください。

間に横たわる、万燈山を含む須美北山・・・連峰(?)の写真がこちらです。

須美北山(平原203展望台より撮影 奥の小山が、宿縁寺のある浅井地区)

そして敬覚寺の裏山である茶臼山の麓には、平原の滝があります。

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滝の傍らには薬師堂もあり、修行の場であることがわかります。この滝は慈覚太師(円仁)が平原の里に泊まった時、不思議な夢を見てこの山に滝があることを発見し、薬師如来を彫って祭ったのが始まりとか。それ以来、滝は「薬師の滝」と呼ばれ、滝水を飲めば長寿に、打たれると難病も治ると伝えられているそう

ここまでくると、宗論争いって、なんか山岳宗教(修験道)と関りがあるんじゃないかな?って思いません?

あと符牒が合うな って思ったのが、修験道の法流が、大きく分けて真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派に分類される ってこと。

で、推論ですが、

「真言宗と天台宗の寺々(「浅井千坊」「須美千坊」)が宗論から争い」ってーのは、真言系と天台系の山伏(修験者=修験道を極めんとする人たち)の宗論争いおよび修行の場である山の使用権を巡っての戦いだったんじゃないか と。

・・・根拠はないんですが、一般的には山と無縁の西尾市(沖積平野が中心部)で、そのような山にまつわるような話があったとしたら、ちょっと面白いと思いません?

 

以下、リンクです。

万燈山、平原の滝、宿縁寺、敬覚寺、それぞれ散歩するには楽しいところです。よろしければ探訪記をお楽しみください。

平原の滝:西尾の文化財(9)  上永良神明社の大シイ  (+平原の滝)

宿縁寺:西浅井町散歩(西尾市 源空院、宿縁寺)そして かぎ万燈

敬覚寺:建稲種命を取り巻く話題(志葉都神社・蘇美天神社)

万燈山」マントウヤマノボレ0401