西尾の文化財(6-2)花岳寺 後柏原天皇宸翰御消息 はく少将宛

「後柏原天皇宸翰御消息 はく少将宛」 国の重要文化財なんですが、そもそもなんて読みますか?、中身はなんですか?

まず読み方は、「ごかしわばらてんのう・しんかん・ごしょうそく はくしょうしょう・あて」

中身は、西尾市のHPによると以下の通り。

吉良若狭守義冬(吉良上野介義央の父)の寄進の品。

天皇直筆の書を宸翰(しんかん)といい、本宸翰は後柏原天皇(1464~1526)が左少将(のち神祇伯)の白川雅業(まさなり)に宛てた消息(手紙)である。

出奔遁世をしようとする雅業をたしなめ、念仏三昧は老年になってからでよいではないか、使命をわきまえ神祇伯家の伝統を保つために一心に尽くすべき、と諭す。天皇の高い見識と年若き廷臣への情愛に溢れた文言が雄渾な筆致と相俟って心を打つ。

本文は女房奉書に擬した散らし書きで書かれ、短い文を改行しながら右上から左下へと散らして書かれ、紙がいっぱいになると小文字で行間に書き足されている。吉良家と姻戚関係にあった大炊御門(おおいみかど)家から吉良家に贈られたものとみられる。

あんまり西尾市と関係ない(笑)。

要するに「牛飼い家業なんかヤダ!オラ東京さ行くだ!!」とどこかで聞いたような駄々をこねる若い幾三お坊ちゃまに、主筋の長老が「わがまま言うんじゃねえ。家を継げやコラ。」と送った手紙ってことだ。いつの時代も、同じような葛藤があって、微笑ましいねぇ。

国の宝(重要文化財)に指定されてますけど、当人達にしてみれば、「人に見せたくない内容の手紙だから、捨ててくれよう!」 と思っているだろう(笑)。

 

今の世で言えば、歌舞伎の家元に生まれた子が、「歌舞伎なんていやだい」と、ロック歌手を目指しているところに本家の団十郎が訓告の手紙を送ったって感じ?

 

どういうロジックで説得しているのか、是非現代語訳を見たいものです・・・。雅業くんは結局、出家は諦めて家を継いでいるもん。まあ恐れ多いから訳は出ないよな。

 

がぜん興味が出てきたので、関係人物とかまとめて表を造ってみました。これをみて下司の勘繰りを進めます。

右から、「天皇家」「吉田家」「白川家」「本願寺」の家系図になっています。縦軸は上から下に時代が流れています。

後柏原天皇は、「天皇家」の第104代ですね。雅業くんは、後に更生して(笑)、白川家11代当主になります。

さて、この白川家というのは、天皇家の子孫(源氏)の家柄です。当時は皇族男子が臣籍降下と言って、苗字を与えられ皇族から臣下に下ることがありました(天皇家に苗字は無く、臣下には有る)。「源氏物語」で、天皇が「光君」(第二皇子)の元服に際し源氏の姓を与えられ「光源氏」が誕生しますが、あれが典型的な臣籍降下です。

白川家は、第65代の花山天皇の孫が臣籍降下したので、天皇家との血のつながりはどんどん薄くなっていくんですけど、世襲家業として「皇室の祭祀を司る」神祇官という役所の長官(神祇伯)を務めていました。しかも「皇室の祭祀を司る」特殊な仕事であるので、神祇伯を務めている間は「王」を名乗ることができたのです。ゆえに、神祇伯とか白川伯王家と呼ばれる名家だったのです。

そんな名家に生まれたお坊ちゃんが、出家遁世(出家して世を捨てること)を考え、天皇が「ダメだぞ!」と手紙を書いたのは、1507~1509の間だと言われています。(19歳とか20歳のころ)雅業青年に何があったのでしょう?

以下は下司の勘繰りです。

1.応仁の乱で、天皇家(檀家)は疲弊の極致。

京都は応仁の乱(1467-1477)で壊滅的な被害を受けていました。当時の天皇は後柏原天皇の父、後土御門天皇の時代ですが、皇居も公家の邸宅も丸焼け。目端の利く公家さんは地方に難を逃れ、各地の大名の庇護を受けました。でも、天皇は都を離れられないので、足利義政の屋敷に同居してました。死んでも朝廷にお金がなく、葬式ができたのは40日後だったとか。金欠は後柏原天皇の代も続き、この人は在位21年目にやっと即位の儀式を行うことができたそう。そのくらいお金も権力もございません。 そんな金のない家の祭祀を司る(檀家みたいなもんだ)のはねえ・・・

2.伝統あるけど窮屈な家を継ぐの?・・・出家して自由になりたい?・・・あとなお母さんの実家は、新興コンツェルン総帥・本願寺門主さまだ。出家すれば・・・

雅業くんのお父さんである資氏は1490年神祇伯を辞しています。その時雅業くんは2歳。幼過ぎて継げないから大叔父の忠富さんが後を継ぎます。直系の雅業くんは、将来大叔父の娘と結婚して忠富さんの養子としてその跡を継ぐ道がすでに引かれています。

1501年、父親の資氏さんは出家しています。「あー自由でいいよな、親父は!」と思ったのかもしれません。その親父は1504年に死去。

ところで、雅業くんのお母さん(資氏さんの嫁)は、本願寺中興の祖、8世蓮如の娘だったのです。 蓮如さんのおかげで、真宗本願寺派は、破竹の勢いで信者を増やしています。しかも後を継いだ9世・実如はお母さんの同母兄(蓮如氏は精力絶倫で、5夫人に27子)。この人もやり手で、後柏原天皇の即位の儀式は、足利幕府と実如氏(本願寺)からの寄付で賄われたほど。

「母方の伯父」というのは、強力な後見人なのです。雅業くんがどうだかわかりませんが、僕だったら信仰のためというより、新興イケイケ企業の近しい親族であることを利用し、宗教界でがんばろーと出家します(笑)。

3.家業が斜陽だぞ。

家は世襲の神祇官の長官なんですが、お祖父さんとお父さんの代の神祇官の次官に、「吉田兼倶」という天才がいたのです。この時代は白川家の神道以外に両部神道とか伊勢神道も流行ってたんだけど、この兼倶は、それとの対抗上、神祇官の神道を換骨奪胎し?あらたに吉田神道(唯一神道)ってのを立ち上げたんですな。

それがよくできてて、吉田兼倶は後土御門天皇に講義したりしてます。天皇は信者だったという説もあります。長官である神祇伯も、伯家神道(白川家神道)を打ち立て対抗していくんですけど、何せ相手は「天才」ですから、徐々に伯家神道は廃れていきます。

下司ならここは絶対出家するとこ。ですけど後柏原天皇からすれば、「オイオイ、勝手言うんじゃねーぞ。そもそも家に縛られると言えば、天皇家なんてその最たるものじゃねーか!お前ひとりだけ抜け駆けは許さんどー!!!」という気にもなりますよねえ。「許さんどー」にもいろいろな書き方、読み方ができるわけで(たぶん)、公式にはこのように書かれます。

「使命をわきまえ神祇伯家の伝統を保つために一心に尽くすべき、と諭される天皇の高い見識と情愛に溢れた文言が雄渾な筆致と相俟って心を打たれた」 良い子の雅業くんは出家をあきらめ、白川家を継いで頑張りましたとさ。 めでたしめでたし。

僕なら行間を読みたいところ・・・。

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雅業王

生没年:1488-1560
父:神祇伯 資氏王
義父:神祇伯 忠富王
初名:雅益
1500 従五位下
1500 侍従
1501 従五位上
1501 左近衛少将
1506 正五位下
1509 従四位下
1510-1560 神祇伯
1510-1518 左近衛中将
1512 従四位上
1515 正四位下
1518 従三位
1522 正三位
1522-1526 信濃権守
1529 従二位
1536 正二位
1539-1544 信濃権守

世界帝王辞典 白川家(伯家)(半家)より

 

 

 

 

 

 

 

西尾の文化財(7-2)華蔵寺 伝・池大雅襖絵

華蔵寺に初詣に行ってきました。(1月2日)

華蔵寺には、池大雅と伝わる襖絵が40面とたくさんありますが、普段は非公開です。

しか~し。正月三が日は、普段宝物庫に納められている襖(ふすま)がすべてはめられ、さらに無料拝観できる そうなので、物見遊山・・・いやお参りに。

池大雅(1)
池大雅(2)
池大雅(3)

なかなかのものですな。・・・スイマセン。私、絵は疎いものでよくわかりませぬ。一部鮮明なのもありましたが、色が薄いし、保存状態が悪いんか?近くで見てもよー分からんなあ というのが本音でございました。

池大雅・・・江戸時代、18世紀の画家・文人で、「瀟湘八景」とか、国宝・重要文化財級の画家ですな。

で、なんでそんな人の絵が大量にこの寺にあるんだよう?

伝池大雅作品群

9世澧川(れいせん)は駿河国松陰寺の白隠(はくいん)に師事し、大雅とは兄弟弟子の間柄であった。本襖絵は大雅が澧川を訪ね、本寺に滞在した折に描かれたといわれる   西尾市の文化財より

こちらの襖絵は「伝(そう伝わっている)」なんすけど、寺には池大雅と伝わる書がありまして。そちらは確認されているようです。

池大雅書の木額、その他書幅

木額は山門にかけられた山号「片岡山(へんこうざん)」、中門の「華蔵世界(けぞうせかい)」および本堂西の間の「香水海(こうすいかい)」の3面で、「片岡山」については版下となった墨書も残っている。書は禅語「一二三四五六」「碧眼胡僧数不足(へきがんのこそうかずぶそく)「烹金濾(ほうきんろ)」の3点で、いずれも独特の書風で書かれている。     西尾市の文化財より

これですねー。そういうことだとは知らなかったので、画像が小さくてスイマセン

山門(額に注目!たぶん、片岡山って書いてあるとおもう・・・)
中門の額

共に前回訪問した夏の時期に撮影したもの。中門の「華蔵世界」は、ちょっといい感じだな〜と思ってアップで撮影したんだけど、僕の感性も捨てたもんじゃないね(笑)。おかげでブログにアップできました。

池大雅の書があり、住職との交友や滞在もあったということは、たぶんこれらの絵も真筆でしょう!

これ知名度のないまま朽ち果てるのすごく惜しい観光資源ですよ!おりしも、今年の4月から、京都国立博物館で、池大雅展をやるんです!

池大雅 天衣無縫の旅の画家 2018年4月 7日 ~ 2018年5月20日

僕が市の広報あるいは観光担当にいたら、「なんでも鑑定団」に鑑定してもらって、この展覧会の開催時期にあわせて放映してもらうんだけどな。

 華蔵寺なら、吉良さんの関係もあるからテレビネタには事欠きませんし、モノはたぶん本物でしょうし(テレビ出演すれば、無料でお墨付きと全国PRができる)、そのうえで絵が40点もあれば、展覧会で関心を深めた客がわんさか来るじゃないですか!しかも、京都まで絵を鑑賞に行く上客ぞろいでっせ。

(肝心の絵が、正月しか公開されてないけどな)

有名になるとどこかの博物館に強制送還されるかもしれないけれど、絵の修復に国費が投じられるかもしれないし、そのほうが長期保存にはよいのかもしれない。寺や地元としては、複雑な心境かもしれないけど。

 

さて、お寺の裏には、遠州流と伝わる庭があります。

遠州流の庭

小堀遠州?と言いたいところですが、そこまでは行かないかもしれないなあ。

それでも、どーんとデカイ築山があって、なかなかよい庭だと思います。苔の生育具合も良いようです。ここは腕の良い写真家に、かっちょいい苔の写真を撮ってもらって、ネットに「小京都の庭」をうまく広めるべきじゃ。あ、でも近隣に、他の名庭候補がないかぁ・・・。

こちらの庭は常時拝観100円で見られます。でも平日に行くと、(お客は少ないから)お寺の人が受付にいない時間帯もあり、しばらく遠慮してました。わざわざ100円徴収のためにお呼びするのもねえ。

そういうこと気にせず無料で見られるから、正月はええのう。

ちなみに山門と中門は無料で拝見できます。寺の前には駐車場があり、車が10台くらい停められる感じ。公衆トイレもありますよ~。