西尾の文化財(11)今川氏発祥の地+伝・義元首塚

西尾中学校の校庭前に、今川氏発祥の地の碑があります。今川氏は、「桶狭間の合戦」「今川義元」で有名な戦国大名ですが、もともと吉良氏の分家みたいな存在で、この地から発展したんですね。

今川氏発祥の地
広場

この辺りは「今川町」と言われ、今川氏発祥の地(今川荘)とされています。元々は吉良氏の祖である吉良(足利)長氏の隠居領として与えられた土地を、次男に与えたのが始まりとか。 ま、長氏の隠居所は、現西野町小学校の西「丸山」の地にある丸山御所じゃないの?という突っ込みもあるんですけど。

この今川氏発祥の地は、この石碑と中央にお墓があるだけで、寂しいものです。墓は今川了俊のものとされていますが、了俊とは誰でしょう?

駿河守護になった今川範氏の弟で、南北朝の時代に北朝(室町幕府)の九州探題として九州に赴任。永らく南朝の根拠地だった九州を幕府勢力として統一したのだけれど、独自の勢力や朝鮮との独自外交ルートを持つ危険性、讒言などから、統一の直後解任され、遠州半分の守護に左遷されました。 歌人としても有名でした。

しかし、そんな有名人の墓が、お寺でもないこんなところに、ポツンとあるんでしょうね?正確には後世に造られた供養塔のようです。

静岡県袋井市(遠州)にある海蔵寺は、了俊が開基したと伝えられていますが、この寺にも了俊の墓があります。こちらにあるのはむしろ自然なのですが、その墓も供養塔のようで、後の時代(1749年)の建立だとか。

wikiに項目が開設されている有名人なのに、正確な墓の位置がわからない。不自然と言えば不自然ですねぇ。  南北朝時代の北朝の武将、しかも将軍家から反逆を疑われた となると、お墓もないものですかねぇ?

今川了俊の墓(供養塔)

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市内には、もう一つ今川氏ゆかりと伝わるものがあります。 駒場町の東向寺に、今川義元の首塚 なるものが伝えられているのです。(塚は文化財指定されていません)

浄土宗西山深草派 東向寺

このお寺には、平安時代後期と伝えられる 観音菩薩立像(市指定文化財)もあります。

さて、寺院内に塚の案内看板はありません。どこかな・・・本堂の仏さまに「拝見させてもらいますね〜」とお声がけ(お参り)して、捜索しましょ。まあ、山側に祭るのが自然だわね。

はい。本堂向かって右手の山側にこのような階段があります。それを登っていくとありました。

伝 今川義元首塚
説明書き(看板表側は風雨に晒されて読めないが、裏側に説明文が貼ってあります)

桶狭間の戦いで、大将今川義元の首はちょん切られ、首は織田軍に持ち去られました。残った胴体は今川の家臣が回収し豊川市にある大聖寺に葬りました(胴塚)。首は戦国のならいとして信長の見分後街道に晒されました。

それを今川方の武将・鳴海城主岡部元信が、城の開城と引き換えに首の返却を受け、駿河へ持ち帰り埋葬したと言われています(墓所は静岡市葵区の臨済寺)

が、お寺にある説明によると、このお寺の四世住職の得順上人が今川義元の伯父に当たる縁で、駿河へ帰る途上に当たるこのお寺に、義元の首(首塚)と戦死者を祀ったそうです。

胴体も傷みが激しく豊川市で葬ったぐらいですから、晒された首も相当傷んでいたでしょう。そこで道中の途中で葬ったという説も、もっともだなあと思います。 戦国時代は、有力大名と言えど生きるのも大変ですし、死んでからもいろいろ大変ですね。 なかなか一回の合戦で大将の首が取られて総崩れ という合戦はないでしょうけど。

(10月28日補足、東向寺分を加筆)

西尾市の文化財(10) 御剣八幡宮(西尾城跡)

西条吉良氏の居城、そして西尾藩の拠点であった西尾城跡、そしてそこにある御剣八幡宮です。

西尾城は妙な城で、本来城の中心たる本丸には、神社(御剣八幡宮)が鎮座され、二の丸が城の中心である御殿や天守閣がありました。

以下は勝手な推察です。

本丸は絵図を見る限りほぼ方形ですので、室町時代は城ではなく「武士の館」だったのかもしれません。たとえば、こんな感じね。その武士が死んだので神社が勧誘され、しばらくは神社だった。でも地形がいいから、後代にそれを中心に拡張し、城に仕立てたと。だから本丸には神社があり、新造した二の丸に、御殿や二の丸を建てたんじゃないかと。

本丸と二の丸(正保城絵図)

閑話休題。写真の上側の廓が本丸、下側の廓が二の丸です。城の建物は、神社を除き廃城のおりすべて破壊されました。ただし絵図の本丸左隅に書かれた三層の丑寅櫓が、現在城の目玉の一つとして復元されています。絵図を見ると、城は土塁で覆われ、主要部のみ石垣を使ってますね。(鉢巻石垣?)

丑寅櫓

御剣神社(本丸左隅に赤く書かれてる部分)の由来について

三河国守護に任じられた足利義氏が、西条城の築城にあたり、源氏重代の宝刀「髭切丸」を奉納したので、御剣八幡宮と呼ぶようになったそうです。

その宝剣は源頼朝も所持していたと伝えられ、実在すれば、国宝か重要文化財だったのでしょうが、西尾市の文化財リストには載っていませんから、少なくともここには無いのですね。※

・・・一応、神社の建物等は、市の文化財に指定されています。

※一説では、髭切は鬼切とも呼ばれ、現在は京都の北野天満宮にあるようです。

御剣八幡宮本殿

二の丸の右下に描かれているのが西尾城天守閣で、現在ここは石垣のみが復元されています。ずいぶん立派な石だなぁ。

復元天守台

地元の幡豆石を使っているそうですが、本丸の石垣の石とは種類や大きさ、積み方が違ってますな。史実がどうだったのか不明ですが。さらに天守台はコンクリートで固められている等、見栄えはイマイチ。安全面やコストからすると仕方がないのか・・・?

比較 本丸の石垣

二の丸御殿の跡地は、現在芝生広場になっています。昔はここに市立体育館がありましたね。

天守台から二の丸を望む

また、城の西側(シャオ方面)は、低地、昔の絵図だと「深田」になっており、城が台地の端に築かれ、地形をよく見て造られたことが分かります。

天守台から西側を望む

あ、そうそう。7月9日(日曜日)に、西尾城に関する講演会がありますよ。興味ある方は、申し込みが必要だそうなので、忘れず申し込みをしてくださいね。

日時 平成29年7月9日(日曜日) 午後1時30分から午後3時 ※開場午後1時
場所 西尾市岩瀬文庫 地階研修ホール
講師 広島大学大学院教授 三浦正幸 氏「独創性に溢れた西尾城の天守と櫓」
定員 70人 ※申し込み多数の場合は抽選とさせていただきます。
申込方法

6月27日(火曜日)(必着)までに、郵便往復はがきで文化振興課「西尾城講演」係(〒445-0847 亀沢町480)へ。