趣味の一つに、第二次大戦時の軍艦模型(1/700スケール ウオーターラインプラモデル)を作ること があります。
最初はお気に入りの軍艦を作り、何隻か並べて「艦隊」を作っていたのですが、傾向が変わりました。
海外の似たような艦種の船を並べ、その差異などを少し調べてみたりするように。 名付けて「比較軍艦模型学」みたいな。それを、少しまとめておこうかと思った次第。完全に趣味の領域です。
第1回は、日本の戦艦伊勢(1919)とイタリアの戦艦ヴィットリオ・ヴェネト(1934)との比較です。
建造年次も艦の大きさ(排水量)も違うので直接の比較はできないのですが、この2艦の建造時期の間に「ネイバルホリデー(海軍休日)」と呼ばれる15年間の国際的な戦艦建造休止期間が挟まれています。
その間に軍事技術も発展し、古くなった伊勢も大改造により近代化がなされてはいるものの、新造艦(ヴェネト)とは大きな差異が生まれています。そのあたりを何点か比較してみようかと。
海軍休日(かいぐんきゅうじつ、英: Naval Holiday)は、第一次世界大戦終了後のワシントン海軍軍縮条約の締結(1922年)からロンドン海軍軍縮条約の失効(1936年)まで、軍艦の建造に国際協定によって制限が加えられた約15年間の時期をさす。建艦休日とも呼ばれる。
戦艦伊勢(と同形艦・日向)の建造時と最終時の形態は大きく異なっています。まあ大和型以外の日本の戦艦は、古い船を魔改造して使ってたのでみんなそうですけど。
学研「日本海軍艦艇図鑑」より
伊勢を選んだのは、ただ単純に僕がこの艦の中二病的改造形が好きだから(*)。
伊勢の場合、新造時と比較すると、後部の主砲2基4門を外し、航空甲板を設け「航空戦艦」になったことが大きいのですが、煙突が一本化されていたり(機関の進歩)、なにより艦橋の形がまったく違います。(何なら幅と長さも違います。魔改造だからね(笑))
なお、中二病的発想「航空戦艦」についてはここでは触れません。興味ある方は以下の外部記事をどーぞ。
「戦艦と空母を合体!」日本だけが作った夢の「航空戦艦」本当に中途半端だったのか?乗り物ニュース
*主砲を2門下した代償に、高角砲や機銃を大量に搭載し、実は大和級に次ぐ強力な対空能力を持つ艦に生まれ変わったという側面も。
新造時は低い建物の上に三本マストが立っていたスマートな艦橋が、次々と部屋が付け加えられ巨大かつ重層の建造物に。複雑怪奇な日本戦艦の艦橋は「違法建築」とも言われ、その筋のマニアに愛好されています(模型としては見栄えがいい)。最も「違法建築度合」が高いのは伊勢の前級扶桑の艦橋で、なんと、艦橋だけのモデルが発売されています。不安定さたまらんわね。
なんで、こんな複雑構造になってしまったか・・・答えは、艦橋に設置すべき機器が飛躍的に増えたから です。
例えば、改造後の伊勢の艦橋の最上部には幅10mの測距儀(レンジファインダー)が備えつけられました。 測距儀は、左右に離れた2個のレンズで取り込んだ対象物画像の角度差から、対象物までの距離を測る道具です。1905年の日本海海戦時の三笠の艦橋絵にも載ってます。
日露戦争当時は、敵艦が十分視認できる比較的「近距離」で主砲の打ち合いをしていました。だから低い艦橋に設置した幅1.5mの測距儀で十分だったのです。ですが兵器の発展とともにだんだん「遠距離」砲戦へと変わっていきます。
すると、できるだけ大きな測距儀を、できるだけ高い位置に設置したい。 また射撃もそれを統制する「射撃指揮装置」が開発され、それもできるだけ高い位置に設置したいという要望が出てきます。
そうなると、それを動かす動力を置く機械室、操作室が必要になり・・・観測室も必要。射撃指揮装置も主砲用だけでなく、副砲、高角砲、機銃、予備が必要・・・ 最終版には電探(レーダー)も必要だし・・・また、回転する機器は、他の部材と干渉しないよう距離を取る必要も出てきます。 光学機器なので視野確保も必要だしね。
で、ものすごい階層の複雑艦橋ができました。 諸外国は日本のバカでかい艦橋にあまりいい評価を与えませんでした。まあ、でかいマトになるのは確かですね。 それらの批判の最先鋒がイタリア海軍のプリエーゼ造船総監です。曰く「八方美人的で個性がなく、平時の訓練には便利だが、実戦には向かない。」と
じゃあ、そのプリエーゼさんの作った艦橋はどうなのよ?んで、プリエーゼさん作の新造戦艦がヴィットリオ・ヴェネト級戦艦なのです。
両者の艦橋を比べてみよう。全体のサイズは最初の写真で比較してもらうとして細部は・・・ 左が伊勢、右がヴェネト
直径の異なる円筒を積み重ねたような特徴的な塔型艦橋が立つ。・・・本級の艦橋の構成は上から装甲射撃方位盤室、上下2段に重ねられた装甲7.2m測距儀塔、戦闘艦橋、操舵艦橋の順で、艦橋全体が装甲で覆われているために司令塔は設けられていない。
洗練されたデザインというか、円形にして徹底的に避弾経始しやすい形状になっているのはお見事!ですが・・・時代が下がり、艦橋に搭載が必要な機器が事前にわかっていれば、それに合わせてすっきりとした塔型艦橋を作ることも容易だったでしょう。 あまり何も載っていない艦橋を改造し、次々に乗せる機器に合わせ増築していった結果が伊勢の艦橋だった。まあ仕方ないんじゃね?という気もします。
それでも、どこかの時点で「要求をうのみにして増設するだけじゃなく、もう少しよく調整して、全体サイズを小さくすることができなかったのか」とは思いますけど。それが「八方美人的で個性がない」という評価かもしれませんね。
とはいえ、技術の発展途上の形状としてはやむを得なかったんじゃないかな。 事実、 ヴィットリオ・ヴェネトと同時期に造られた日本戦艦(大和型)の艦橋はすっきり整えられているわけですし。
あ、これ、城の天守閣の構造の違い(望楼型と層塔型)が、石垣を正確に方形に積めるかの差(技術力の時代差)という話を連想させるなあ・・・詳しくはこちらをどーぞ。
閑話休題。 伊勢の模型を作ってて、ちょっと気になった点その2
ウオーターラインモデルなので、水面断面形状が分かるんだけど、伊勢の形状、艦首からしばらく行ったところで艦幅が急拡大してて、いかにも水の抵抗を受けそうな(速度の出なそうな)形状をしています。これなんで?
答え。 魔改造で重くなった重量(31,200t→38,500t)を支える浮力を得るためと、水中防御力強化のため「大型バルジ(ふくらみ)」を設置したから。
防御力はこれでアップしたんだけど、水中抵抗が増えるから、速度が遅くなるのは仕方ないよね。もちろんそれを補うため機関を新しくしたし、抵抗を減らすため全長を伸ばしたりもしたんだけど。
一方、ヴィットリオ・ヴェネトは速力30ノットの高速戦艦ということもあり、水中抵抗増加は見過ごせずバルジを設置しませんでした。おかげで水面断面形状はずいぶんスマートになりました。 でも、水中防御はどうしたの? まさか防御力ナシとか?
いいえ、さにあらず。ここから先は模型には表れてこないんだけど、船内にプリエーゼ式水雷防御という新技術を採用しています。名前の通り、プリエーゼ造船総監の発明です。
舷側装甲下端から艦底の間に、内側に湾曲して厚さ40mmの水雷防御隔壁が張られ、外板との間の空虚部には直径3.8mの中空のドラムを保持しその周囲を液体で充填している。防御隔壁の内側には、水防区画として乾室が設けられていた。 水中爆発に対しては、中央の中空ドラムが圧壊することで爆圧を緩和し、隔壁が破られるのを防止する。
とまあ、模型を眺めながらそのあたりまで調べて時間潰せるので、なかなか楽しい趣味です(笑)。まあ役には立たんけど。
あと模型を作ってて思うんだけど、イタリア艦はやっぱデザインとか色使いとかすごいんですよ。
実際の性能はともかく、船体中央の高角砲群は「宇宙戦艦ヤマト」を思い起こさせる未来的デザイン?だし、
艦載いかだは黄色に塗られているし(救命時には発見しやすいけど、プラモデルとしても映えるけど、目立ちすぎて戦闘艦に塗る色としてはどうかなあと。ちなみに当時の日本海軍の軍艦には、救命いかだなんていう軟弱なものは搭載されておりません。)
船首上面は紅白ストラップに着色され、なんとも目立ちます・・・味方識別にはいいんだろうけど・・・同型艦がイタリア降伏時にドイツの誘導爆弾で撃沈されたんだけど、この紅白着色が目印になって良くなかったんじゃないの~?
少し豆知識だけど・・・ヴィットリオ・ヴェネトの主砲は「OTO 1934年型 38.1cm(50口径)砲」というんですが、OTOはイタリアのオート・メラーラ社製であることを示しています。 現代、オート・メラーラ 76 mm 砲と言えばイタリアはもちろん、日本やアメリカ合衆国の艦艇など世界40ヶ国以上で用いられている優秀な砲です。 へタリア、実は兵器大国だった・・・あ、紅の豚でもそうか??