笹島ウオータフロントの出来は?

所用で名古屋に出かけ、名古屋駅周辺で時間つぶしをすることになりました。さて、どこへ行こうかな?

Google mapでゴソゴソやっていると、名古屋の新都心?である「ささしまライブ」が、中川運河の終着点であることを思い出しました。名古屋駅から南に一駅下った(十分徒歩圏内)商業施設と水辺の集合体。

僕は水辺の景色が好きなんですけど、特に都会って、街と水辺をいかにうまく繋げるか で、街に魅力が出ると思うんです。

東京で言えば、隅田川の河畔が桜の名所の遊歩道になってたり、浜離宮から浅草寺まで、隅田川クルーズしながら、ビルや橋梁を船から眺めるような。 

名古屋の街で水辺と言えば、堀川と中川運河です。堀川は名古屋城が築城されたときに掘られた運河で、上の地図では右側を流れています。今回訪れた中川運河は、ささしまライブ(下方で囲んだ範囲)から名古屋港まで続く運河。

そういえば、ささしまライブから、名古屋港までクルーズ船が出てるって情報もあったな・・・。うん。名古屋のウオータフロントの出来を見に行こう!

実際行ってみた結論を言うと、イマイチでした。

ま、まず写真をどーぞ。

北を望む
南を望む
東を望む

ダメなとこ。まず人がいねえ。これ平日の15時ころです。名古屋駅から南へ一駅という抜群の立地なのに。隣に大学のキャンパスがあるのに、 学生さんもいないの〜??

・・・そもそも ささしまライブ商業施設からお客がいません。 名古屋駅から線路の高架沿いに南へ歩くんだけど、道中全く店がないから、歩いてて楽しくないんですよね。お隣の商業施設とささしまライブの商業施設 に抜群の集客力がある という感じもないしな。そもそも盛り場って、人が来ないと始まらんぜ・・・

ま、それはそれとして。この公園だかキャンパス設計の問題点だって思うのは、せっかくウオータフロントとして水辺に接しながら水が遠いんです。

段差があることを考慮しても、二重の柵で人と水とを分離しています。 愛知大学建物の1階は、食堂と図書館なんですけど、その建物と水辺の間にもコンテナ置き場とかあって、完全に建物と水辺が切り離されちゃってる。

本来であれば、大学の建物の1F部分は水辺にオープンテラス席を設けるとか、手前の公園部分は水と触れ合えるような階段にするとか、なだらかな斜面で水辺と接するように施工するとか、もう少し設計のやりようがあったんじゃないのかな? ここから名古屋港行の遊覧船が出るとは信じられないような・・・

もっと進められるなら、愛知大学に寄付講座とか設けて、体育とか地域体験とかの名目で、この堀留めを使ってカヌーとかSUPとか、学生さんが楽しめるようにしたらいいと思うんです(似た事例:横浜国大では、景観は抜群だけど、水質はキタナイ横浜港を使ってカヌー体験をやってた。水質的にはそんなに変わらないよねぇ?だから景観イマイチの中川運河の堀留めでも、それなりに楽しめるはず?)。ついでに艇庫を造ったら、水路っぽくていいよね。

そうすると、そのうち同好会とかクラブとかできて勝手に遊んでくれるんじゃないかな。そしたら商業施設にアウトドア用品店を呼んで来ればいいよね。あ、ワークマンプラスとか、名古屋にはないから、いいんじゃないかなぁ?

あと公園に人工の滝を設置するのもいいんだけど(下水の高度処理水)、せっかくならその水を触ったり、暑い時は子供がここで遊べるような親水施設にしたらよかったのに。

そうすればこんな感じのうたい文句で、このエリアに人がよってくると思うんだけどなあ。

「都会の一等地で、若い人が水辺で遊んでるのを眺めながらオープンテラスでコーヒーが飲めます。コーヒーは学食だからお値打ち価格!(※1)さらに紫外線をカットする屋根付き(※2)、子供が遊べる人工滝つき。

※1 もちろんセレブな方は、隣の商業施設で高級なものをいくらでもケータリングください。いくらかチャージ料を大学に納めてもらおう! ついでに社会人講座受講とかどーすか?

※2 名古屋高速道路の高架下ですんで。多少の雨や紫外線は気にせず、お外でコーヒーとかビールをどーぞ。そのまま名古屋港クルーズに出かけちゃってください。

神谷伝兵衛 

神谷 伝兵衛(かみや でんべえ、神谷傳兵衛、安政3年2月11日(1856年3月17日) – 大正11年(1922年)4月24日)は三河国松木島村(現在の愛知県西尾市一色町)出身の実業家である。東京都台東区浅草の洋酒バーの神谷バー、茨城県牛久市のワイン醸造所のシャトーカミヤの創設者。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西尾市出身の有名人です。てか、 地元でも長らく忘れられていた人で、最近少し騒がれるようになりました。市の広報に取り上げられ(2月16日号)、一色町にある「一色学びの館」で、今日までミニ企画展が開催されていました。          ※以下写真はその企画展で出されていたもの。

でんべえ氏

さて、この伝兵衛氏の業績のなかで一番知られているのは、浅草の門前町に「神谷バー」を創設したこと。神谷バーは浅草の観光地としてそれなりに有名ですよね。(たぶん)

神谷バーでは「電気ブラン」というカクテルを飲むことができます。

電気ブラン

味の好みは人それぞれだと思いますが、個人的評価は 「まずい」の一言。

デンキブランのブランはカクテルのベースになっているブランデーのブラン。そのほかジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされています。しかしその分量だけは未だもって秘伝になっています。

神谷バー デンキブランとは

何せ「薬草」が入っています(笑)わし養命酒嫌いだわ。

しかし当時はこれが日本人好みの洋酒であり、ハイカラなものだったのです。以下、大正時代に都会を闊歩したであろうモボ(モダンボーイ)の記述をお借りしましょう。太宰センセーです。

淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。

太宰治「人間失格」

いや、今の言葉で言えば、「吉牛とかウイスキーちゃんぽん酒ってコスパいいよね!」って記述だから、ほんとにハイカラなのか、これ(苦笑)。でも 「料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分」ってこれは現代、確実にハイカラでしょうから・・・

まだひっぱります「ブランデーにジン、ワイン、キュラソーをブレンド」って、ちゃんぽんでそれなりの量を呑んだら確実に悪酔いしますね。※神谷バーでは小さなカクテルグラスで提供されますんで問題ありません。しかし強いお酒であることは間違いなし。

閑話休題。バーだけではなく、ワイン販売も手掛けた伝兵衛さん。 でもワインもそのままでは当時の日本人の味覚には合いません。そこで・・・

「輸入ワインにハチミツ・漢方薬を加えて甘みの強いワインに改良しました。」

今度は漢方薬入り(笑)。恐ろしくて呑みたくありませんが、それを「蜂印香竄葡萄酒」として売り出します。蜂印香竄葡萄酒のポスターは、女性がワインを片手に登場するもので、とても美しく魅力的で目を惹きつけました。

ポスター

美しいかはいろいろ意見の分かれるところでしょうけど、PRのセンスはいいんじゃありません?おかげで大当たり!

儲けたでんべえさんは、その後国産ワイン造りにも手を出します。現在の茨城県牛久市にワイン醸造所を造り、それが現在も「牛久シャトー」として残っています。 しかし牛久って、ワインづくりに向いているのかねえ??(向いてるからそこにシャトーを造ったようなんですが、隣のつくば市元住民としてはちょっと不思議に感じるなあ)  

文末に追記あります

そのほか災害対応など様々な社会活動にも巨額の資金を投じ、皇室から銀杯を下賜されているほどなんですが、あまり知られていないのは、 どうもそれらの行為にあまり名前は出していないからみたい。

もちろん地元発展にも尽くしました。愛知県に設立された「三河鉄道」の大株主であり、赤字経営の立て直しのため請われて社長になっています。でも直後に死亡。

三河鉄道関係


彼の死後、三河鉄道は蒲郡まで延伸されることになり、地元一色町松木島には二代目でんべえさんが寄贈したコンクリート造りの駅舎が建ち「神谷駅」と名づけられました。駅名からしても、地元がどれだけ喜んだか分かりますね。

松岡敬二編「古地図で楽しむ三河」より

駅がこのままの名前で残っていれば、少なくとも彼の名が地元で埋もれることは無かったでしょう。 地元の実業家であり、やはり各種社会事業に私費を投じた岩瀬弥助※に匹敵する実業家でしたから。  

ですが、神谷駅は昭和24年に「松木島駅」と改名されているのです。地元に住んでいたわけでもないし、名前が消えれば段々人々の記憶からも忘れ去られてしまうのは仕方がないですね。

しかし、 田舎の人々が我田引水の恩を、駅名を変えるって形で返すような事象が、そう簡単に起こるとも思えません。いったい何があったんでしょう?? 

ここから先は推測ですが・・・神谷家は社会貢献を精力的に行ってきたから、昭和24年という戦争終結直後の時期に、公職追放等でなんらかの処罰を受けたのかもしれません。すると「地域として個人名の駅は具合が悪いし、あんまり顕彰するのもどうだべなー」って、あり得そうなシナリオじゃないかと・・・

※岩瀬弥助は、 集めた古書を元に岩瀬文庫を造ったことで有名です。ですが同時に大成功した実業家であり、伝兵衛と同じように地元「西尾鉄道」の初代社長でもありました。 余談ですが西尾鉄道と三河鉄道は 現在名古屋鉄道の西尾線と三河線の母体となっています。

※2019年12月27日追記 中日新聞によれば、神谷伝兵衛がご縁で、西尾市と茨城県牛久市は、大規模災害に備えた防災協定を結んだそうです。両市の距離が離れていて、同時に大災害に見舞われる可能性が低いことからだそうですが、よい取り組みだと思います。縁は異なものですねぇ。