「石破もすなるホテル静養といふものを、我もしてみむとて、するなり。」(名鉄株主優待利用旅)

名古屋は金山駅にある、「ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋」に泊まってきました。最近ちょっと忙しかったのと、世間が休むGWに働いた代休があり、シーズンオフで(それなりに)安くなってたので。一泊だけですけど。 

*紀貫之「土佐日記」の冒頭文をもじりました。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」男性が書く日記を、女性である私も書いてみようと思って書いています。という意味ですけど、貫之氏は男なんですよね。別に変体趣味があったからではありません。当時の男性が書く日記というのは、「漢文体の仕事日誌」でした(藤原道長の「御堂関白記」とか)。だから貫之は主に女性が用いた平仮名を用いることで、今風の日記(土佐からの旅の紀行文)を書こうとしたんです。日本最古の日記文学の一つとも言われますね。

「石破首相は4月27日から30日、ベトナムとフィリピンを訪れ、5月1日と2日は首相官邸などで公務をこなしたそうです。3日からは東京都内のホテルに移り、6日まで趣味の読書などを楽しみつつ、静養する予定だとか。しかし、このホテル滞在に批判の声があがっているんです」(全国紙政治部記者)

「国民の多くが巣篭もり」石破首相、GWの静養で予想される“高級ホテル”滞在に集まる皮肉意見

激務であるのは間違いないので、静養ぐらい好きにやらせてあげて~と思うのですが「人気のない首相」って大変ですね(笑)。

閑話休題。このホテルは名古屋の交通の要衝、金山駅の目の前にあります。その駅前に30階建ての高層ビルが建っており、その建物の上層がホテルになっています。

金山駅 名鉄の名古屋本線、JR東海の中央本線と東海道本線、名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)の名城線および名港線の合計3社局5路線が乗り入れており、名古屋駅に次ぐターミナル駅として機能している。  wiki

この建物の低層階は昔、アメリカはボストン美術館の分館が入っていたのです。今も建物の一階にその時の名残(記念碑)があります・・・そこ目的で何回か訪れたことがあり、その時から一回泊まってみたいなって思っていました。(つまり施設自体は古いのだ)

今回(僕としては)奮発して、中でも高層階ーハイフロアと呼ばれるーの部屋を予約しました。ホテルの公式ページにて、1泊素泊まり20,000円のところ、名鉄の株主優待*で20%OFFとなり16,000円です。  食事付の宿泊プランは株主優待の対象外なんですね・・・。

*名鉄(名古屋鉄道)とANA(全日本空輸)とは非常に関連深く、ANAの筆頭株主は長らく名鉄だったんですね。今も大株主なのかな。まあそのおかげでこの優待が使える!

 参考:ANAの躍進を支えた「名古屋鉄道」の先見の明 航空産業育成に尽力、いまも深いつながり

最近そこそこ良いホテルの朝食って、豪華だけど高すぎる(コスパ悪し)と思うので素泊まりで頑張りましょう!なに、場所が良いから少し外に出ればコスパよく食べられるところいくらでもありますぞ。(実はこのホテルに入っている中華料理屋が旨い と聞いてるので一度食してみたいのですが、夜のコースで9000円からだと・・・)

部屋はこんな感じ。豪華さとか特筆するものはないんだけど、窓際に一人用ソファー、机といすがあって、いい気分で読書ができます。光量も十分。チェックイン15:00チェックアウトは12:00。部屋でゆっくりするなら「ゆっくりチェックアウト」はありがたいです。

部屋から見た北側(街側)の眺めです。正面の高層ビル群が名古屋駅周辺。右端の緑の部分(写真切れてる)が名古屋城です。建物直下見えない部分に金山駅があります。視野直下にある建物が「アスナル金山」という商業施設です。 

アスナルは最近再開発が発表され、2028年2月までに閉鎖するそうです。

名古屋市では、金山駅周辺において、アスナル金山の再整備や新たな劇場の整備を核とした、市有地を中心とする整備の事業化を目指しています。

 アスナル金山エリアにおいては、アスナル金山が界隈性を有する商業施設として地域のにぎわい創出に貢献している一方、来訪者の行動範囲が駅を中心に限定的であるなどの課題や、アスナル金山の定期借地期間終了が控えていることから、本格整備により地域のにぎわいをより一層高めることが求められています。まちづくりのコンセプト「人・文化・芸術とともに育つまち-にぎわいと感性あふれる交流創造の場づくり-」も踏まえ、多様な人が集い楽しむ駅前のにぎわい交流拠点として、金山らしい都市機能を集積させた駅前複合施設を中心とした駅前空間の整備や、金山総合駅と新たな劇場をつなぐ空間の形成などの検討を進めています。

名古屋市

駅前複合施設・・・ありきたりな「でかい商業施設と有名店の誘致」なんてつまらないからやめましょうよ(近くの名古屋駅前がそうなっているから競合もする)、思い切って大阪駅の再開発みたくでかい公園作るといいでしょう!と思うけれど、まあ名古屋市では期待できないか・・・。

大阪駅前に巨大な公園 緑とイノベーションの融合「グラングリーン大阪」好発進

閑話休題。高いところに登ってみると、街が俯瞰できて非常に興味深いですよね。ついでにムスカ大佐ごっこ(もどき)もできて楽しいです。

ハハッ、見ろ!人がゴミのようだ!!ハッハッハッハッハッハッ!!

・・・ちょっと違うな。でもまあ、眼下に小さく人が見えてると、なんか変な優越感みたいなのは感じますよね。多分それがタワマン高層階に住みたい人の心情なんじゃないかな。

ま、暮らすとそういう新鮮な感情なんて、すぐ慣れて消えるでしょうけど。

ちなみに廊下から見た「駅の南側」はこんな感じ。

左の「赤↓」のあたりの森が熱田神宮(と白鳥庭園)です。脇を斜めに流れるのが堀川(運河)。右上の赤丸で囲った部分が名古屋港の主要部です。 熱田神宮のすぐ南に有名な「七里の渡し」があり、東海道はここから桑名まで船旅です。今や埋め立てられ海ははるか遠くになりましたけど。

 熱田神宮あたりを散歩した記事もありますので、よろしかったら読んでください。

さて風景をながめながら晩御飯(第1ラウンド)食べましょ。名古屋駅の高島屋デパ地下で買ってきた、牛ごぼう弁当です。一応旬のものですね。1,080円。

田舎に住んでてなかなか手に入らないのが「美味しい和食弁当」です。洋食(ハンバーグ弁当)とかエスニックならそこそこのものが手にはいるんだけど。田舎の方が高齢化率が高いから、「美味しい和食弁当」って売れると思うんだけど。(あたしもそういうのが欲しい年頃になったんだよ。)

ちなみに、金山で弁当を調達するなら、「アスナル金山」内に成城石井が入っているので、ここで買えばよいかと。デパ地下には負けるけど、なかなかよさげな弁当を売ってます。

本屋で買ってきた本を読んだり、夕寝したり、風呂に入ったりして、19時ころ、ラウンジへ行きます。そう、高層階ーハイフロアに泊まると最上階から夜景がたのしめるのです。アルコール付きで。

最初にシャンパンとオードブルを頂きました! (そのあとにカクテルと紅茶と乾きものも頂いたがね。) 休日直後なのでラウンジもガラガラで、思う存分夜景を楽しみました。まあ北側はレストランだから南側しか見れないのだけれど。

部屋から見た「南側風景」と同じ方向を見てます。金山より南側(海側)で、これだけ建物の灯がついているとは思いませんでした。(=「多くの人が暮らしている」)

というのも、このエリアは超低地(先の写真で紹介した「熱田神宮」が熱田台地の端。それより海側を指す)で、災害に対してかなり危険な地域なんですね・・・具体的には「伊勢湾台風」で堤防が切れ、全域水に浸かったというような・・・

この超低地帯、防災マニアに「東海ネーデルランド」と名付けられるくらいです。ここ、東京湾周辺、大阪湾周辺を上回る、日本最大のゼロメートル地帯なんです。

【東海ネーデルランドとは】「ネーデルランド」とは、オランダ語でオランダ本国のことを指し、「低地地方」を意味する言葉です。本協議会では、愛知、岐阜、三重の3県に跨る日本最大の面積を有するゼロメートル地帯を「東海ネーデルランド」と名付けました。

国交省中部地方整備局 東海ネーデルランド高潮・洪水地域協議会

いや、これだけの人、どこに逃げたらいいんでしょうね。真面目な話・・・

とか思いつつ、僕は二度目の夕食(夜食)調達にホテルを出ました。枕草子も言ってます「夜は夜泣きそば」

麺屋「律」

ふむ。丁寧に作られたラーメンですね。チャーシューも丁寧に作られているけど、これ鶏胸肉だな。きちっと作ってあるからもちろんパサパサではないけれど、やっぱり個人的には胸肉って美味しいとは思えないなあ。肉はもう少し油ほしいっす。 いや、でもごちそー様でした。

朝、部屋に好みの新聞が届けられます(最近では珍しいな)。優雅にコーヒーを入れて日経新聞を読みませう。 コーヒーマシンがないのは残念ですが。

そのあと少し散歩して朝ごはん。駅前のデニーズ(金山店)でモーニングっす。

撮影前にソーセージ食べちまったけど、これで(ドリンクバー付)682円。ホテルで食べるとこれが1,500円くらいになるんちゃいます?

てなことで、11時近くまで部屋でグタグタして、アスナル金山の成城石井でお土産の弁当を買いました(僕と家族の夕食)。高校生がたくさんいて、あちこちの店で楽しんでます。いい校外学習だなあ・・・

金山駅2Fのミュープラット金山で昼食食べて帰りました。 ミュープラット金山、久しぶりに入ったら、ランチお得合戦やってて、なかなか激戦区になってて利用者としては良い施設に変わってました。量は少な目ですけど、刺身と焼き魚が990円で食べられるの、すごいいいですよね。なかなか新鮮でしたし。880円の20食限定海鮮丼も興味あります。(11時半くらいで、かなり混んでました)

嘉文 金山店

宮路山・五井山、赤坂・御油宿そしてラーメン山岡家

地元で人気の宮路山(362m)・五井山(454m)に登ってきました。 地元なのに初めてだけども。

平日の7:35。自宅をカブ(原付二種)で出発。ちなみに仕事日はたいていこの時間に家を出ます。

宮路山登山口(内山駐車場)には8:30到着。車が2台くらい止ってました。まあもっと上まで車で行けるから、多くの人はそっちに駐車しますよね。山登りが久しぶりだったので殊勝にも「下から歩きたい」と。さっそく登り始めました。

こんな感じの気持ちいい里山を歩いていくと峠(切通し)に出て、

その脇に第一駐車場。行きはいいけど、帰りは「バイクここに止めればよかったー」と。

そこから15分ほどで頂上(9:15)。 標高の割に景色がよい(三河湾から渥美半島まで)のが人気の秘密です。

頂上には「宮路山聖跡」碑があります。 

大宝2年(西暦702年)の10月~11月、持統上皇が伊賀・伊勢・美濃・尾張・三河の五か国に行幸され、途上ここに来たことを記念し、大正時代に建てられた碑です。

*蛇足ですが、大宝2年(西暦702年)という年が少し引っかかっていました。で、思い出しました。西尾市吉良町にある幡頭神社。ここの創建が大宝2年と伝えられているんですね。 祭神は日本の建国神話に関わり合いのある人物だし、この神社の創建は持統上皇の行幸と何か関連があるのかも・・・。

三河湾を一望できる岬の先端に鎮座する式内社 幡頭神社(はずじんじゃ)は大宝二年(702)の創建と伝えられ、平安時代初期に成立した『延喜式(えんぎしき)』にも記される古い神社です。祭神は建稲種命(たけいなだねのみこと)で、日本武尊の東征に従った建稲種命が駿河沖で遭難し、遺骸が宮崎海岸に漂着し、当地に葬られたと伝えられています。

西尾市観光協会

持統上皇は行幸を終えた12月に亡くなられているんですね。 そんな死期を悟った上皇の行幸集団が、こんな山の上まで来るか?と思ったアナタ。

実は先ほど紹介した「切通し」の看板に記載があるのですが、この山は古代東海道の道中にあるのです。さらにこの山は先に亡くなった息子さんとも縁があったようなんです。だから、上皇は実際にここに来られたんじゃないかな。

宮路山の名が歴史に出てくるのは大宝2年(702年)。このころ、持統上皇が三河を巡行。その最中(701年)に大宝律令が公布され、穂の国は三川(西三河)と統合され、三河の国となりました。
壬申の乱(672年)の時、持統上皇の子、草壁皇子が宮路山山頂近くで守備にあたり、皇子は宮道天神社の祭神となっています。
今となっては、宮路山山頂付近に本殿があるのは不自然にも思えますが、東海道ができる以前は、むしろこちらがメイン道路であったと思われます。鎌倉街道も宮路山山頂を通過していました。

宮道天神社 音羽商工会

三河国府から岡崎方面に抜けるルートは一筋しかない。それは現代の国道1号線(近世東海道でもある)や名鉄名古屋線が通る山間の地峡を通るコースである。しかし、平安時代にはこの地峡は通れなかった。なぜなら、このルートは現在より急峻かつ長大な沢で、かつて赤坂地区には湿地帯が広がっていた。ここ音羽川と山陰川が合流する地点(落合)は雨の季節には、通過困難な地域であったことは容易に推測される。この地峡を抜けるには沢の南西側の山の尾根や山麓に上がり、水を避けて歩くしかなかった。沢筋のルートが通れるようになるのは、室町時代以後の事だという。

平安時代東海道はなぜ宮路山を通っていたのか  更科日記紀行

少し休んで五井山へミニ縦走。南西に2kmほどでしょうか。視界は利きませんが、それほどアップダウンもなく10:15に五井山頂上に到着。三河湾がさらに近い~。

早いですがここで昼食。 持ってきたガソリンストーブでラーメンを作って食べました。

レギュラーガソリンが使えるので、カブツーリングには最適な装備かなあと思ったりして。なぜなら燃料はカブのタンクから抜き取ればいいし、ボトルはいざとなればカブの予備ガソリンタンクとしても使えるだろうし(カブの燃料タンクは満タンで4Lしかない)、最適な装備じゃろ と思ってたけど、久々に使ったガソリンストーブ、面倒だわあ。

そういや。このストーブは「新富士バーナー(ブランド名はSOTO)」製なんだけど、新富士バーナーって宮路山のふもとの海岸べりにあるんだった。関係ないかぁ。

五井山を11時に出て、内山駐車場に下山したのが12:30 久しぶりに山登りしたから結構くたびれた・・・

が、登山口(音羽町)は昔、赤坂宿と呼ばれた東海道の宿場町。ちょっと覗いていきましょう。と言っても昔ながらの街並みががっつり残っているわけじゃないんだけどね。

それでも、昔の旅籠である旧「鯉屋」が資料館として残ってたり(現在の屋号は大橋屋で、江戸時代の建物のまま2015年まで創業から366年営業してたそうな!)

はす向かいの尾崎屋さん も風情あるよね。

んで、赤坂宿の東隣の宿場が「御油」なんだけど、その道中に天然記念物「御油の松並木」があります。

御油の松並木

少し前に同じく東海道は池鯉鮒(知立)の松並木も見に行ったんだけど、御油の方が雰囲気があっていいいね。 知立の方は自動車がひっきりなしで雰囲気が・・・

知立の松並木 知立散歩より

なお補足ですが、御油の松並木の天然記念物指定は、なんと昭和19年11月。敗戦の色濃くなってきた軍国日本では、松の根をから「松根油」を作るため、全国で「松の大虐殺」が流行してた時代。 当時絶大な権力を持った軍の意向に逆らい、文化財指定することでこの松並木を守った関係者の勇気と慧眼、素晴らしいです!

松根油(しょうこんゆ)は、マツの伐根(切り株)を乾溜することで得られる油状液体である。広義にはテレビン油の一種であるため、松根テレビン油と呼ばれることもある。太平洋戦争中の日本では航空用ガソリン(航空揮発油)の代替物としての利用が試みられたが、非常に労力が掛かり収率も悪いため実用化には至らなかった。
・・・戦時中の宣伝によると「200本の松で航空機が1時間飛ぶことができる」とされ学徒を動員し伐採が行われたが、これは数十年かけて育ったマツ1本を消費してもわずか18秒分にしかならないということであり、バイオマスエネルギー資源としては効率および再生産性に欠ける。

wiki

学徒動員して松の根を「手作業」で掘らせる前に、費用対効果分析(コスパ計算)やれよって感じです。これが滅私奉公日本帝国の真の姿(笑)。さっさと降伏しなよ・・・

御油は、あんまり「旧宿場町っぽい」印象に残るものはなかったです・・・。と、説明が通り過ぎてしまいましたが、松並木より赤坂宿側に関川神社という小さな神社がありまして、そこに松尾芭蕉の句碑が残っています。

「夏の月 御油より出でて 赤坂や」

夏の月の出ている時間の短さと、赤坂ー御油宿場間の短さ(1.7km)を掛けたもの でしょうけど、うーん、芭蕉が読んだといういわれがなければ、これ駄作じゃね?

ま、それはともかくなんでこんなに宿場の距離が短いのでしょう?うーん、元は赤坂御位という一つのでかい宿場だったのを分けた・・・らしいんですが、なぜ分けたかは不明。

ただ宿場間の距離が短かったので、両宿間の客の奪い合いは激しかったようです。広重の東海道五十三次の浮世絵では、御油が「旅人留女」。赤坂が「旅舎招婦ノ図」。

「旅人留女」・・・旅人の荷物(首に巻いた風呂敷包み)を強引に引っ張り宿に拉致ろうとする女中と苦し気に逃げようとする旅人

「旅舎招婦ノ図」・・・宿内部を描いた絵。片隅で飯盛り女(遊女)が夜に備え化粧している

強引な客引き、かたや遊女で客を引く、見事な対比図です。あ、歪んでごめん。

広重と歩こう 東海道五十三次「赤坂」「御油」 より引用

さて、後は帰るだけだけど・・・誘惑に負けてしまった。時に13:00・山岡家音羽蒲郡店!

アンタまたラーメン喰うんかい。・・・だ、だって道沿いにあるんだもの、仕方ないじゃないか。それにこのあたりじゃここにしかないんだ(理由になってない)

この歳になると、平時はギトギト過ぎと感じるこのラーメンも、山登りと街歩きで疲れた身体だから「うめー」。 でもこれで690円って安いですよ。

 ここで山岡ラーメンからオッサンの昔小話を一つ。

 僕の大学時代なんすけど、我々の飲み会は二人部屋の学生宿舎で開催されることが多かったっすよ。飲める奴は朝まで、飲めない奴(僕)は隅でごろ寝してました。 んで朝方、誰かの運転で通称「牛久ラーメン」へ行って朝ラーして解散って流れ。 僕は飲み会より締めのラーメンが楽しみで。

それが、わが筑波大学での学生生活でございました。ちなみに「牛久ラーメン」の正式名称は「山岡家一号店」です。  その記憶があるから、つい山岡家があると入ってしまうことも。   いわば記憶の味を求めて、ですかね。

 閑話休題。「学生ほぼすべてが大学近辺に下宿し、若者だけで周りに大人のいない空間で時を過ごせる」ってのが「筑波大での生活のウリ」だったと個人的には思っています。(当時はつくばエクスプレスもなかったから、今はだいぶ違うだろうが) 

もちろんそれは良い面だけでなく、悪い面もあります(自堕落生活になりやすいとか、とかとか。身に覚えあり・・・)。でも後で振り返れば、それはそれでよい経験だった・・・かもね。

今度やんごとなきお方が同大学の学生におなり遊ばすわけですけど、そんな僕から見ると、東京から通学するなら筑波大選ぶ必要なくね? とも思うわけです。

警備の必要上無理と分かりつつも、学長も同様の趣旨で言われたんじゃないのかなあ。 

筑波大学の永田学長は26日、開かれた定例の記者会見で、秋篠宮家の長男・悠仁さまが来年春に入学されることについて「勉学を伸び伸びやっていただきたい」とエールを送るとともに、個人的な考えとした上で、「希望としては悠仁さまにも寮に暮らしていただければいいと思う」と述べました。

【速報】悠仁さま合格後、筑波大学が初会見 永田学長「悠仁さまにも寮に暮らしていただければ…」

と、変なラーメン談義すいません。