熊野旅行記その0 知識編 熊野ってどこ?他

時世に逆らうような記事ではございますが・・・

2月の終わりに、熊野に旅行に行ってまいりました。 その旅行記は・・・次回から として、今日は基礎知識編です。

①「熊野」と言うのはどこでしょう? 

紀伊半島の南部。熊野神社のある所・・・でももちろん正解なんですけど、wiki「熊野」によればこんな定義になります。

熊野とは、近世の牟婁郡のことであり、明治以降 (1889年〜1933年) の和歌山県西牟婁郡・東牟婁郡・三重県北牟婁郡・南牟婁郡の4郡を指すとされる。上古の熊野国と大概一致。

google mapより

地元民でない者からすると、三重県に北牟婁郡と南牟婁郡があり、和歌山県に西牟婁郡と東牟婁郡があるというのは少し不思議な感覚があります。三重県に北と西牟婁郡があり、和歌山県に西と南牟婁郡があると錯覚しそう。地図を見るとなるほどーって思うけどさ。

ともかく、この地は古くには熊野国が置かれたのです。ただし大化の改新後の孝徳期 (645年〜654年)、紀伊国に牟婁郡として併合されました。 江戸時代は紀伊国として御三家紀州藩に統治されます。だから三重県北牟婁郡には「紀伊長島」という地名があり、紀伊=だいたい和歌山県という頭の旅行者を混乱させます。

問題:新宮駅で紀伊長島行の汽車があった場合、これは北へ行くのか南へ行くのか答えなさい。ー僕が新宮駅から紀伊勝浦駅に向かうとき、危うく間違えるところでした。

②熊野三山ってどこを指すの?

熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)、熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)、熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の3つを指すかと思いきや・・・

熊野三山観光協会「熊野三山」パンフレット2018.3によれば。「熊野三山とは、 本宮大社、速玉大社、那智大社と那智山青岸渡寺を含む三社一寺の総称」とあります。

また、和歌山県「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」パンフレット2019.3「紀伊山地の霊場と参詣道」登録資産目録によれば、熊野三山としての資産として 本宮大社、速玉大社、那智大社、那智山青岸渡寺、那智大滝、那智原始林、補陀洛山寺が登録されているようです。

いろいろあるなあ。

まあ那智大社と那智山青岸渡寺は隣接していますし、那智大社行けば那智の滝を見るから(さらに那智の滝の水は上流にあたる那智原始林から供給)セットと考えると、最大値を取っても観光地としては4カ所を回れば、熊野三山をAll complete したことになります。

  • 本宮大社 
  • 速玉大社 
  • 那智大社、那智山青岸渡寺と那智の滝
  • 補陀洛山寺

熊野三山とは、高峻な山岳を水源とする大河の中洲の河原、巨岩の磐座、海上からも遠望されるほどの断崖落差133メートルの大瀑布、という自然の威力をあらわすような立地で設営されてきた信仰の装置であり、それに日本古代の神祇信仰と仏教信仰と山岳修験の信仰とが融合したまさに「日本第一大霊験」としての歴史を積み重ねてきている神社なのである。

世界遺産・熊野三山の不思議な信仰。その独自性の意外な理由とは?

*なお、「大河の中洲の河原」にあるとされる本宮大社ですけど、明治時代の洪水で流されてしまい、現在は移転しています。

様々な景観、そして様々な信仰が融合した文化的遺産 みたいな見方もできる、総合的エンターテイメント!(エンターテイメントと言ってよいのか分かりませんけど)

とはいえ結構広範囲に広がっているので、公共機関を利用し、熊野古道歩きも楽しむと最低3日はかかりますね。 旅行記に続きます。

今日は建国記念の日

今日2月11日は建国記念の日で、祝日でしたね。ところで日本の建国の日ってどうやって決まっているかと言うと・・・

2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り、グレゴリオ暦に換算した日付である。

wiki 建国記念の日

ふーん。

まあ神話なんですけど、古事記あたりを参考に、このあたりの神話に登場する主な人物を系図に表すと、こうなります。

日本と言う国は、イザナギとイザナミの神様が生んだんですな。他にもたくさん神様を生むんだけど、結局出産時のけがでイザナミは死んでしまいます。イザナギは奥さんのことが忘れられなくて、黄泉の国まで会いに行くんですけど、いろいろあって逃げ帰って来ます。(かっこわる)

帰ってきたイザナギ、汚れた身体をみそぎした際にいろんな神様が生まれるんですけど、その中にアマテラスオオミカミ(姉)とスサノオ(弟)がいます。 アマテラスオオミカミは、伊勢神宮に祭られていますね。

アマテラスオオミカミとスサノオの間には、誓約により何人かの子供が生まれました。アマテラス曰く「スサノオの剣から生まれた女の子はスサノオの子。アマテラスの玉から生まれた男の子は私の子。」すごい裁定ですねー。その長男に当たるのがアメノオシホミミノミコト。

アマテラスやスサノオたちは、高天原(タカアマガハラ・天)に住んでるんだけど、スサノオは乱暴が過ぎて追放されちゃいます。んで、現世(出雲の国)に下りてくるわけ。出雲でヤマタノオロチを退治したりして、最終的に葦原中国(アシハラナカツクニ)を支配することになります。

※葦原中国 =大八島の国(日本)?

時は流れ、 葦原中国はスサノオの子孫・オオクニヌシノミコト(大国主命)が治めてます。が、 アマテラスオオミカミが突然こう言いだします。「 葦原中国は 本来私の息子の アメノオシホミミノミコトが治めるべきだ」 アメノオシホミミノミコトは「葦原中国は荒ぶる神がいっぱいいるからやだ」と拒否。周りの神様たちは相談して大国主に「国を譲るよう」何回か使者を立てます。

大国主は使者を丸め込んだり、「わしゃ決められんで息子(一番の反対派がタケミナカタノミコト) に聞いてちょ」と精一杯抵抗しますが、最後は条件付き降伏。 大国主は出雲大社に、 タケミナカタノミコトは諏訪大社に祭られることで、 葦原中国はアメノオシホミミノミコトの支配下になります。(国譲り神話)

アメノオシホミミノミコトは 母親であるアマテラスから「行って支配せよ」って言われるんだけど、「子供が生まれたんで、彼を行かせましょう」と返答。この子がニニギノミコト。日向国の高千穂山に下ります。アマテラスの孫が下るので、これを「天孫降臨」といいます。

てか、神様のくせにアマテラスなかなか強引です。それとアメノオシホミミノミコト、弱すぎていや~。 この時代の天皇家、完全に母系支配です。

降臨したニニギとその子孫は、九州あたりで暮らしていたと思います。ニニギのひ孫であるワカミケヌノミコト氏(45)は、「天下を治めるには東に行かねば!」と兄弟とともに東を目指します。(中二病にしては遅すぎじゃね?)

浪速・奈良あたりで苦戦するんですけど、方向を変えて熊野方面から攻めたところ、天から使わされた八咫烏(足が三本ある神のお使いカラス)の導きも得て攻略成功・・・。 畝傍橿原に宮殿を立て、初代の天皇として即位した・・・と言われています。それが 紀元前660年1月1日 (旧暦) 。

最終的に神武天皇は、即位76年で死去。享年127歳(『古事記』では137歳という) 。うん、まさに伝説上の話だ・・・

参考文献 梅原猛「古事記」学研M文庫