西尾の文化財(6)  花岳寺(東条吉良氏菩提寺)

スポンサーリンク

昨日の、「華麗なる一族 吉良家」の続編、東条吉良氏にまつわるお話。

 

まずは、東条吉良氏の菩提寺、花岳寺(かがくじ)です。

駐車場は、隣接する華蔵寺(統合後の吉良氏菩提寺)前にトイレを備えた駐車場があるので、そちらに停めて歩いてこられるのが良いでしょう。

本堂(国の登録有形文化財)

寺の縁起によりますと・・・貞和3(1347)、実相寺(西尾市)の住職佛海禅師が臨済宗として開山。東条吉良氏初代の吉良尊義が塔頭として「霊源寺」を開基したそうです。

もともとは、実相寺が吉良氏の菩提寺だったのですが、この寺ができてから東条吉良氏の菩提寺はここになりました。 東条城から実相寺に行くには、仲の悪い西条吉良氏の居城の西条城の近くを通らざるを得ないから、「近いこちらを菩提寺にしよう!と思ったのかもしれません。

てなことで、境内には東条吉良一族の墓 初代「吉良尊義」、初代の父親「吉良満義」それから7代「持広」さんのお墓があります。あり~?2代から6代までの墓はどこだ~?うーん・・・たぶん京都じゃない?

アプローチ
東条吉良一族の墓(隣には、開山佛海和尚の墓も)

戦国時代末期、吉良氏と徳川氏は親戚でしたので、徳川家康は寺領36石を寄進しました。さらに子孫の吉良義央さんが、姉の菩提を弔うため資金を提供、そのお金で本堂が整備され、その時の本堂が現在も残っています。江戸時代中期の臨済宗方丈形式仏堂の遺構として貴重であるため、国の登録有形文化財に指定されているとか。最初の写真です。

また、境内には「三河孟宗竹伝来の藪」があります。江戸時代の文政三年(1806年)本山である妙心寺からこの地に孟宗竹を持ち帰り、筍を目的にここから孟宗竹が三河南部に急速に広まったとか。 孟宗竹がこの地方に伝来したのって、そんなに新しいのかなぁ?

孟宗竹伝来看板
由緒ある藪(笑)

なお、寺は明治維新の際、寺領(御朱印地)36石を取り上げられ、「びんぼーで維持できねえっす」ってことで塔頭の霊源寺と広国寺を廃寺にして現在に至ってます。

霊源寺跡
広国寺跡

広国寺跡には、松平〇〇氏の墓?と石碑が残っていますが、石碑の文字は擦り切れてよく読めん。このあたりの解説看板もあるといいですね・・・(たぶん、吉良氏以降に東条城を治めた東条松平氏の誰かの墓と碑だと思われます。家忠?康親?)

翌年追記:分かりました。こちらです

墓かな?

寺は、様々な宝物を保存していますが、本堂以外は非公開のようです。

・ 後柏原天皇宸翰御消息(はく少将宛)-室町時代-国指定重要文化財
・ 三十六歌仙絵巻-江戸時代-西尾市指定文化財
・ 薬師如来坐像-室町時代-西尾市指定文化財
・ 古今和歌集帳(2冊)-江戸時代初期-西尾市指定文化財
・ 百人一首帳-元禄11年-西尾市指定文化財
・ 良哉和尚語録(8冊)-江戸時代中期-西尾市指定文化財
・ 花岳寺本堂-貞享元年-国登録有形文化財

宸翰

「はく少将」って、白川神祇伯関係か、吉良氏とはどうつながるのかよくわからんけど、見てみたいですね〜。 「白川神祇伯」については、また改めまして

 

そういえば、忠臣蔵の殿様 赤穂浅野家の菩提寺は、「花岳寺」ですね。吉良氏ゆかりの寺も同じ名前ってのも、面白い。というか、Google先生に「花岳寺」と聞くとそちらが出てきて、吉良の当寺は出てこないのは残念っす。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

「西尾の文化財(6)  花岳寺(東条吉良氏菩提寺)」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください