バンコクの国立博物館で、こんな展示物を見て考えていました。これは何だろう?車輪のようにも見えますが、周りは仏像ですから、これも仏具なんか?

調べてみると、まさに”Law Wheel”’すなわち「法輪」というそうです。もともと仏教は偶像崇拝禁止でした。で、仏教の教えを輪に例えたこの「法輪」や、釈迦の足跡を刻んだ「仏足石」、釈迦の骨を納めた「ストゥーパ」なんかを拝んでいたそうです。 法輪は、インドの国旗にも描かれています。

でもまあ、偶像の魅力ってのは、布教の強力な助っ人になります。仏を知らぬとある蛮国に伝わった際、その国にはすでに神がいたのに、わざわざその国の王さまが群臣に取り扱いを相談してますから、難しい経典と比較すると、相当魅力的だったんでしょうね。(「金ぴかの仏像」で割り引く必要があります。本来の仏教は、経典が大事なんだけどね。戦には旗が必要なんで)
「西蛮が献上した仏の相貌は美しくおごそかなもので、今までに全くなかったものだ。礼拝すべきか否か」
首相の意を忖度した官房副長官「西蛮にならって祭るべきでございます。」硬骨の前次官「浮気すると神さんが怒りまっせ、やめときなはれ」。首相は官房副長官に「魅力的だから・・・でも世論は怖えから、代わりにオマエ祭ってみな」とおっしゃった(笑)。
あれ、別の事例と混同してしまいました。正しくはシナリオ「日本書紀」によると、首相→欽明天皇 官房副長官→蘇我稲目(大臣) 前次官→物部尾興(大連) 世論→神罰 だね!
閑話休題。えっと、そんな魅力的な仏像はどこでできたんでしょうか?成立は、二世紀中ごろ、今のアフガニスタン、パキスタン、インド北部を領地とするクシャナ王朝での出来事のようでございます。

成立場所は2つの説があり、(1)ガンダーラ説(現アフガニスタン東部)と(2)マトゥラー説(インド北部)がございますな。
(1)ガンダーラ
もともとは、マウリア朝のアショーカ王が多くの仏塔を建てたところです。その後、アレキサンダー大王の遠征を経て、この辺りにはギリシャ人の支配する王国がいくつか出来ました(代表的なのはバクトリア王国)。バクトリアの王様ではありませんが、ギリシャ人のメナンドロス1世「「ミリンダ王(弥蘭陀王等)」と呼ばれ、仏僧と質疑をかわし仏教徒になったそうで、「ミリンダ王の問い(那先比丘経)」としてその質疑が残っているそうです。その後、イランまたはトルコ系のクシャナー族がクシャナー王朝を立てたのですが、ギリシャ・ペルシャの影響が残る「ガンダーラ美術」が起こりました。
ギリシャ人は、ゼウスとかアポロンとか神様を人に似せて像にしていましたから、それにヒントを得てブッダの像を造ったのかもしれません。ここでできた仏像はガンダーラ仏と呼ばれ、目鼻立ちが高くひいでたギリシャ人風貌、肩から身体を覆っている衣服は西アジア風てなところとか 例えばこちら にギリシャ彫刻の影響が残っているそうで。(ヘレニズム文化)
(2)マトゥラー(仏)
こちらは、インド土着の美術的伝統である健康な肉体美を理想として造られているそうで、例えばこちら あるいはこちら など。このあたり、特に後者は、もうエローラのヒンドゥー教の像までもう少しだよ・・。エロティックつーか、インド土着の美術ってそういうことなのかも!
こっちだと、あんまり敬って拝む って感じはしないけれど(観察しちゃうよね)、親しみは持てますよねぇ。 寺の威厳を取り繕うにはあんまりよくないけどな。
本来はキリスト教だって、偶像崇拝禁止(「十戒」)ですが、無知蒙昧な毛唐どもに、ありがたいキリスト教の教えを広めるためには、キリスト像とかマリア像が必要だったんですな。それらを思うと、偶像禁止!を貫くのイスラム教ってのは、つくづくすごいです。
参考文献:中村元「古代インド」講談社学術文庫1674

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。