ラットレースの世界で脱出を叫ぶ

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現代社会は 大学を出ると結婚し、車と子供を一人か二人持ち、住宅ローンを組んで住宅を購入し、夫婦共働きでようやく生きていける”ように社会がデザインされている。

とあるブログの社会認識です。どう感じますか?

僕は 現在もほぼそうだし、「一億総活躍社会の模範的生活」はさらにこれに近づくだろうから、 この社会認識は正しいと思います。文字通り「ラットレース」※。

それで何とかこのラットレースから抜け出したい・・。というのがもと・ラットの望みでありました。僕の場合、ラットレースから上に突き抜けたかったのだけれど、残念ながら突き抜けるだけの力はなく、途中で下に落ちちゃったのだけれども。

上に突き抜ける・・・典型例は「金持ち父さん貧乏父さん」

■貧乏な世界(時間の切り売りで労働をし続ける)
■お金持ちの世界(不労所得の仕組みで時間的・経済的自由を得ている)

まあ、落ちても下にも別の世界は広がってる。例えばこんな感じ。

このブログは社会の常識の枠外で生きていくためのマニュアルだ。

そもそも、「働かなくてはならない」という概念は、国民から税金をむしり取ることで成り立つ国の国策に過ぎない。人間が持つ一番の財産は「時間」だ。お金は最低限生きていくのに必要な分だけあればいい。なぜなら、お金をもって死ねるわけではないからだ。

「生まれた意味、生きる意義、目標、夢」そんなものは、なくていい。「後世に名を残す」必要もなければ、「社会貢献」もする必要などない。しょせん人間は動物。ただ生まれ、ただ死んでいくだけだ。

・・・

また、国策による社会常識は、あらゆる手段を用いて消費をうながし、個人の人生を搾取していく。しかし、よく考えてみて欲しい。自分の人生なのに、自分のために使えないなんて、実に馬鹿げていやしないだろうか。

有限である自分の人生を、人のため、社会のために費やす必要がどこにあるのか。それが尊いとされるのは、人から貢献される(人から奪う)ことで成り立つ社会、国家による洗脳に過ぎない。

ましてや幼少期よりの学校教育で、社会貢献が個人の「幸せ」であるかのように刷り込むなど、あまりにも度が過ぎている。

そこで、提唱したいのが自由人という生き方だ。

自分の時間を守れるのは自分自身だけ。縛られずに極力、搾取されるのを避ける。そのためには、ノマド、フリーター、フリーランス、自営、というライフスタイルが望ましい。自立した自由人として自由な人生を満喫する!このブログでは、そのために必要な知識を紹介したい。

快適!自由人マニュアル。

ちょっとラディカルすぎるんじゃね?夢もったっていいし、働くの好きな人もおるし、そこまで言わなくても とは思うけれど、僕の思想はこれに近いです。

でも、こういう生活に突き抜けるとしても、臆病ラットとしては、突き抜ける前に先立つものを少しは貯めておきたい。貧乏(節約)しつつ、ある程度不労所得の仕組みで時間的・経済的自由を得ること。 節約生活すれば、不法所得の額が少なくても済む。つまり、上と下の戦略を同時にやれば、中間点にも世界が広がっているんじゃないかって思うのね。(←いまここ)

上に突き抜けることはできなくても、 「いざとなれば、下に突き抜けることもできる」という心の余裕は、ラットレースを生き抜くうえで、心の余裕になると思うしね。

それで次回は「これから新しく自分がラットレースに加わるなら、どういう金融戦略で不労所得を狙うだろうか?」を考えてみたいと思います。

 

 

 

 

※そんなこと口に出して言わないだけで、「為政者にとってはいつの時代もそれが常識」という暗い考え方をしています。実態はどうであれ、江戸時代の為政者哲学の核心は国民の大半を占める百姓に対し 「百姓共は死なぬ様に、生ぬ様に」統治するという事でした。

時に歩み寄りはあったとしても「小人閑居して不善をなす」余裕を与えると碌なことしないから的な世界観は、わが身を顧みても妥当だと思いますもの。が同時に、こちらがそちらの善に付き合う必要もないだろ とも思います。

 

 

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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