西尾の文化財(19)実相寺の続きです。
西尾市史によると、実相寺の関係として以下の寺があったようです。(太字は、昭和60年発行の宗教法人名簿で名前が確認できたもの)
塔頭:法光寺、道興寺、龍門寺
末寺: 寺津・金剛院、巨海・願成寺、幡豆・長寿尼寺、住崎・養福寺、一色池田・長久院、一色池田・西興庵、一色赤羽・清秀寺、一色赤羽・松覚庵、一色味浜・善寿院、吉良町津平・泉徳寺、吉良町津平・観音寺、吉良町駮馬・長福寺、吉良町友国・伝心庵
おおざっぱに言うと、塔頭(たっちゅう)は、禅宗の大寺の境内にある小寺院のこと、末寺(まつじ)とは、本山の支配下にある寺院 を指します。この関連寺院がいつの物かは分からないのですが、往時はこの地域に大きな影響力を持っていたことが窺えます。
このうち、塔頭の道興寺については、西尾市史に「明治二十八年に実相寺境内に移され、旧跡は墓地になっている」 「上町側の丸山に続く現在の御向地内の残丘が道興寺跡である」とあります。正確な位置は分かりませんが、字名からすると、だいたい下の地図の辺りでしょう。
左上の大きな丸が実相寺。左下が法光寺。中央の小さい丸が道興寺あたり。この辺りが塔頭だというのですから、当時は現在の規模からは想定できないほど規模の大きな寺院だったのです。 つーか大きすぎないかね?(ほぼ真ん中にあるのが西野町小学校。空間スケールを把握するのにちょうどいいでしょう。)
まあ、今の実相寺は、後に再建されたものだから、塔頭を含め中世の実相寺は別の場所にあったのかもしれませんね。実際、焼き討ちされる前の実相寺は、地図で右上の丸印をつけた「浄念塚」あたりにあったんじゃないか?という説もあるようです。この浄念塚、現在では道路わきに寺院もないのに墓地が広がる不思議な空間です。
よー分からんことだらけ ってことですな。資料とかたくさん残ってたら、いろいろ楽しかったんですけどね。そういえば吉良氏つながりで言えば、地図の道興寺左下□で囲ったところは「丸山」と言って、吉良氏の祖である吉良長氏の隠居屋敷(丸山御所)があった地ではないか?という説があります。 (一方で、長氏の隠居領孫の国氏(今川氏の祖)に譲られたという説から、長氏の隠居所は今川だ という説もあるんですけど)
現実の丸山の地は今訪れても何もありません。
僕が小学生の頃(30年くらい前)は、小さな丘があり、薄暗い竹藪になっていました。「焼き場のあとだ」「御所の跡かも?」って聞いた記憶があります。そこに秘密基地造ったりしてましたなあ。
それを明らかにするような資料はほとんどないようなのですが、付近の字の名を見ると「築山」「御所ノ下」「堀ノ内」「矢狭間」等、怪しげな名前がいっぱい。何かあったんじゃないですかねえ?他にも「蓮台」や「積善寺」とか寺を連想させる地名ね。 そういや吉良有義(吉良氏7代)の法名が積善寺殿だそうです。
さて、法光寺を訪れました。無住のお寺のようです。このお寺には、市文化財の地蔵菩薩半跏像があるはずですが・・・
・・・でした。 うーん。文化財がここにあるのなら、プレハブ小屋でも立てて安置しないと、そのうち建物ヤバいよ。 と、今は勢いのある寺院とは言えませんけど、往時は今川義元が寄進するなどした由緒あるお寺でした。(今川義元が法光寺に宛てて発給した永禄元年付の寺領安堵状・西尾市文化財)