先回prepperのことを少し書いたのですが、もう少しこれに触れます。(昨日は悪天候でしたので、ネットをお友達に家に引きこもっていました。・・・)
そもそも、「prepper」の定義ってなんでしょ?
Survivalism is a primarily American movement of individuals or groups (called survivalists or preppers) who are actively preparing for emergencies, including possible disruptions in social or political order, on scales from local to international. Survivalists often acquire emergency medical and self-defense training, stockpile food and water, prepare to become self-sufficient, and build structures (e.g., survival retreats or underground shelters) that may help them survive a catastrophe.
The terms prepper and prep are derived from the word prepare,
意訳:サバイバリストあるいはプレッパーちゅうんは、主にアメリカのうごきなんだけど、いろんな緊急事態や社会的混乱に備えて、積極的に備えておく人たちを指すんだ。応急手当や護身術を身に付けたり、食料や水を備蓄しておくなど自給自足にそなえ、シェルターを造ったりする。それで破局状態をサバイブしようってんだ。
プレッパーの語源は、「prepper」に依るんだ。
wikiなんで厳密ではないのでしょうが、別にキリスト教原理主義者だったり、もうすぐ聖書に記載された「ヨハネの黙示録(アポカリプス)」が起こるぜ!とかいう「逝っちゃってる思想」じゃないのね。 まあ穏当な考え方です。
ところで、プレッパーの語源「prepper」なんですが、これを標語形「Be Prepared」にすると、これはスカウトのモットーである「そなえよつねに」となります。「ボーイスカウト」とかね。
スカウティング(Scouting)とは、若者の社会で有用とされ得る肉体的・精神的スキル向上の手助けを目的とする教育運動。その教育はアウトドアとサバイバル技能に重きを置く。(wiki スカウト運動)
教育が主役なんだけども、アウトドアとサバイバル技能を磨くわけです。その起源をおおざっぱに抜き出すと
スカウト運動は事実上自然的に発生したものであるが、起爆剤となったのは1908年のスカウティング・フォア・ボーイズ刊行であった。
1899年、ベーデン=パウエルは第二次ボーア戦争の最中の南アフリカ・マフェキングでボーア軍の大部隊に包囲されていた。マフェキング見習い兵士団という組織化された少年が、伝令などの任務を行うこととなった。この見習い兵士団の働きぶりはすこぶるよく、包囲戦を戦い抜くことに貢献したが、その多くの要素がベーデン=パウエルにスカウト運動につながった。
この時にベーデン=パウエルはよく訓練された少年たちの有用性について認識することとなる。
イギリス本国ではマフェキング包囲戦は大きな関心ごとであり、包囲戦を戦い抜いたベーデン=パウエルは国民的英雄となった。そのため、1899年に彼が軍人向けに書いた『斥候の手引き』(Aids to scouting for N.-C.Os. & men)の売り上げを煽った。
帰国後、ベーデン=パウエルは『斥候の手引き』が予想外にも教師によって「最初のスカウティングの教科書として」青少年運動の手引書として用いられていることに気付いた。
1908年のはじめ、ベーデン=パウエルは『スカウティング・フォア・ボーイズ』を出版した。これは七分冊となっており、既存の青少年団体が活用できるような活動・プログラムを盛り込んだものであった。その反響は予想外に大きなものであった。瞬く間にベーデン=パウエルの著した方法を用いるスカウト班が創設され、その存在が国中に定着した。 (出典:前掲)
戦場で斥候を行い無事に戻る(=サバイブする)ためには、「やっぱし事前の準備が重要!」ってことで、「prepper」に繋がるかも!
※現在のボーイスカウトでは、もちろん軍事色は弱められているでしょうから、「戦場で斥候を行い無事に戻る」事を目的としているわけじゃないでしょう。が、NASAの宇宙飛行士の約3分の2や、月面を歩いた12人の宇宙飛行士のうち、11人がボーイスカウト出身であるということから、サバイブや斥候?冒険?に対する素質が身につく・・・かもしれません。
さらにさらに。プレッパーのbuild structures や Aids to scouting で思い出したのですが、1750年頃フランスに「築城工兵学校」ってのがあったのです。(ネット上ではメジェール工兵学校って表記されてます。)これがフランスの土木(工学)教育の源泉だったらしいよ。
とある記事によりますと、この学校で教えられたのは、「景観地理分析または偵察術(reconnaissance)」「築城建築術※2」「水理学」だそうで、その基礎科目として高度な数学も教えていたそうです。(フランス語で読めんがここに教育内容が書かれていると思うけど・・・)
この学校を卒業すると、陸軍の技術将校になります。当時は地形図が未発達だったので、斥候として村々の人口や食料補給可能性、休息場所などの作戦調査を絵図にまとめ、ルートの地形、植生などの景観的特徴や測量値を描く。つまり作戦立案にも関与する高級将校なわけ。
さらに本務の城塞攻撃と防御の専門家(※1)として、土質工学や構造、資材運搬のための橋梁技術などに詳しかったようです。学校ではそういう教育をやってたんですな。
僕は土木技術者なんですけど、景観とか戦術とかにもすごく興味があったので、この学校に入校したい! って思いました。(軍人に向いてるのかぁ?)
が、当時はルイ十五世の絶対王政下。士官学校なので、原則貴族しか入学できません。平民は天才でないと入学できません。例えばカルノーとか。(カルノーサイクルを考案したカルノーの父親)
カルノーは平民出身の技術将校だったので王政下ではあまり出世できず、暇な軍務の合間に数学なんかの論文を書いてました(凡人はブログを書く)。でもそのうちにフランス革命が発生。貴族出身の軍人はみんな亡命してしまい、平民出のカルノーは、軍出身の政治家として出世していきます。
貴族が追放されるくらいだから、貴族の学校であるメジェール工兵学校は廃校になります。が、やっぱり技術を持つ軍人や技術者は大事だよ。ってことで、ルノーとその先生のモンジュにより平民も入れる学校として場所と名を変えて再建されます。その名は「エコール・ポリテクニック」現在も理工系超エリート校。
「エコール・ポリテクニック」の教育も、最初はメジェールのコピーだったんですが、その後戦争の時代が遠のいたことから、エコール・ポリテクニックの教育は変化していきます。
景観地理分析と建築を教えるのを止め、基礎となる数学教育も画法幾何学から解析学に重点を移しました。つまりmilitary的要素であった景観地理学あるいは地政学や建築学の要素が消え、解析力学を主体とする土木工学が生まれたのです。つまり、military engineeringからcivil engineeringへ転換が起きたってわけね。
出典 中村良夫「研ぎすませ風景感覚2 国土の詩学」 対談 「近代土木:源流からの眺め(アンドレ・ギエルム)」 より
えっと、何の話をしてたんだっけな・・・あ、うん。最近の土木では、この景観とか地形を見ることはすっぱり落とされてるけど、militaryはともかく、少しカリキュラムに取り込んだらいいんじゃね ってことでした?
日本でも、例えば城観光で、天守の美しさを鑑賞するだけではなく、防御構造を細かく解説したり(竪堀とかね)、地理的視点からの考察(ブラタモリとか)が少しづつ出てきているけど、僕の趣味的にも、大変良いことだと思ってます!
※1 中世の城攻めに使われた投石器などの兵器を「engin」と言ったそうです。「engineer」はそれらの攻城兵器や防衛装置を造る技術者兼軍人を指していたそうな。
※2 当時主流の築城形式は「稜堡式要塞」でした。少し時代が下りますが、東洋の島国が「これが西洋築城法!」って真似て造ったのが函館の五稜郭(1866年)。 その時の陸軍総裁だった 松平乗謨(大給 恒)が長野県佐久市に造ったミニチュア版の五稜郭(龍岡城1867年)もあります。 もっとも、大砲の進歩により、そろそろ時代遅れの築城法になってたんだけど。