所用で名古屋に出かけたついでに、復元された名古屋城本丸御殿を見てきました。
普通、城の中心である本丸の御殿には藩主がすむものです。が、名古屋城は特別。名古屋城本丸御殿は、徳川将軍が京都へ上洛する際の、将軍様専用御殿なのです。尾張藩藩主は代々二の丸御殿に居住しました。
結局、名古屋城本丸御殿にお泊りになったのは、秀忠、家光、家茂の三人だけだったなんですけど、将軍様専用御殿として最高級の御殿の一つでした。 でも太平洋戦争で焼失(昭和20年)。それが復元され一般拝観できるようになりました。
玄関です。この屋根の形は「唐破風」と言います。唐破風の玄関は格式高い建物のしるしです。内部の写真も一枚。
内部は当然金ピカ。檜の香りもします。
それで拝観した僕の感想ですが・・・「イマイチ」でした。
豪華に再建した と言うことはよくわかりました。が、なんかチャラいんだよね〜。
室内に金箔を貼るのは、もちろん装飾の意味もあるんですが、第一の目的はリフレクター(反射材)の役割だと思うんですよね。 日本の古い建物って、それほど日光を室内に入れずほの暗いでしょ? そこに金箔を貼ることで、それらが鈍く光を反射して室内を明るく見せるもの。
が、この室内って、明るすぎるよね。 当時の建物も、こんなに開口部が大きかったんだろうか?
谷崎潤一郎の随筆に「陰翳礼讃」ってありますよね。
西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張する。こうした主張のもと、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装の色彩など、多岐にわたって陰翳の考察がなされている。(wiki)
僕は読んでないんすけど(笑)。確かに日本の伝統家屋では、この感覚が感じられることが多いように思います。が、名古屋城本丸御殿で感じたのは、「これって近代建築で建てられた御殿だよね」 ってことでした。
まあ、年数が経つにつれ金箔の光沢も鈍くなっていくでしょうから、だんだん落ち着いてくるとは思いますし、安土桃山〜江戸初期の建物と言うのは、もともとこんな感じで建てられたものかもしれないのですけど。
その他写真の紹介
西南隅櫓(重文) 建物と同じくらいまで石垣を積んでます。石垣は隅が一番崩れやすいので、長方体に加工した石の長辺と短辺を交互に重ね合わせ、さらに荷重が斜め方向にかかるよう工夫して積んでいるのが分かりますね。 えーと、これは「算木積み」って言うはず。
こちらもちょっとがっかり 金シャチ横丁。
「横丁」ってからには、伊勢神宮のおかげ横丁 みたいなのを想像してたんですけど、実際はここに写っている店ですべてでした。 てか、この写真撮影したのが平日10:45とはいえ、一応 新たな観光名所 のはずなんですけど、この人通りの無さ・・・
本丸御殿は並んでるんですけどね。普通の観光地では、「ワタシお城見学はいいからアンタ行ってきて。私はここでお土産見て、買い食いして待ってるわ」という客層が、必ずいるはずなんですけどね。 「名古屋の観光ベタ」は、相当根が深いようです!