18きっぷの旅(3)鳥取から津山

鳥取7:07→9:22米子9:36→10:29宍道 ここまで山陰本線

朝食は、鳥取駅のドトールコーヒーにて。6:30開店。昨日、鳥取の街(交通)は西に開け、東に閉じているのではないか と書いたけど、当たらずとも遠からず。下の写真が、鳥取駅からの電車時刻表。

見て分かるように、西(倉吉・米子)方面は1時間に3本程度出ているのに対し、東(浜坂・豊岡)方面は1時間に1本がせいぜいだな・・・

米子駅にて、駅弁を買う。「吾左衛門鮓」の鯖ずしが有名なんだそうな。鯖の身が厚く、それに昆布が巻いてあり確かにうまい。しかし5切れで1100円って、鯖ずしはなかなか高いのう(このあと16:30頃まで食材を手に入れることができず、こんなこともあろうかと予測し持参したカロリーメイト2箱で凌ぐ。)

車窓から眺めるに、鳥取や島根そして岡山広島北部は立派なお宅が多いんだけど、みんな立派な瓦屋根。さらに特徴的なのが、ちらほら赤い屋根瓦が見受けられること。この風景はまさに「これが山陰!」っていう感じがするな。おそらく石州瓦を使ってるでしょうね。

石州瓦(せきしゅうがわら)は、島根県の石見地方で生産されている粘土瓦のこと。三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つ。 焼成温度が1200℃以上と高いため凍害に強く、日本海側の豪雪地帯や北海道などの寒冷地方でシェアが高い。独特の赤褐色で知られ、赤い屋根の町並みや集落を山陰地方では至るところで見ることができる。この色は、同じ島根県の出雲地方で産出される含鉄土石「来待石」を釉薬に使用することに起因する。

wiki石州瓦

豪雪地帯なのは、屋根をよく見ると「雪の滑り止め」が付いていることからもわかります。あと 「この色は、同じ島根県の出雲地方で産出される含鉄土石「来待石」を釉薬に使用することに起因 」ってここ大事ね。やはり出雲は鉄とゆかりが深いってわけだ。

とか観察しているうちに安来駅に到着。 (午前中は雨で、車窓で楽しみにしてた大山は全然見えなかったよ〜)

松干市と安来市って隣だったんだね。安来市はこの辺りで生産された和鉄の集積地として栄えたのです。それが証拠に、駅前にドーンと日立金属の工場がある。郊外にも工場があるんだけど、この地で生産された鋼は安来鋼(ヤスキハガネ)というブランド名で知られてます。本当は下車して和鉄博物館を見に行きたいんだけど、時間なし

宍道の手前に、「玉造温泉駅」があって、それなりに人が乗り込んでくる。でも全然温泉地が見えないな・・・みなさん前泊して今日は出雲大社に行かれるんでしょう。僕は手前の 宍道駅で下車して木次線に乗り換え。

宍道11:18→14:33備後落合14:37→16:00新見16:53→18:31津山

宍道駅から備後落合までが木次線なんだけど、終点の 備後落合 まで行く列車は、1日2本しかない。他は6駅先の木次駅行が5本。中間駅の横田駅行が3本。がらーんとした時刻表・・・

うーん、乗ってるのも高校生少数を除けば、乗り鉄ばっかしだしなあ・・・

この路線、あらゆるところに「速度制限時速25km以下」の表示があり、ノロノロと進んでいきます。てか、坂が急すぎてあえぎあえぎ登っていくという表現が正しいかなあ。何せJR西日本の最高標高の駅がこの路線内にあるからね(標高727m三井野原駅。ちなみに宍道駅は標高5mだそうな)

汽車は、時々斐伊川に沿いながら南下します。中間点である横田駅の近くに稲田神社があり、ここで奇稲田姫が生まれたとされています。また横田駅の東約8kmに船通山ってのがあるんですが、ここがスサノオノミコトが降臨したとされているところです。 そう、ここは出雲神話「ヤマタノオロチ」の故郷です。 

船通山のふもとを鳥上っていうんですが、ココが和鉄生産で有名な場所。鉄造り集団は必要な砂鉄を得るため「カンナ流し」って言う方法で川に大量の土砂を落とします。んで、土砂(あるいは酸化鉄?)を大量に含んだオロチ( 斐伊川)が、下流で水田稲作を営む人々 (象徴が奇稲田姫) を襲います。洪水だったり、水田の取水口が埋まっちゃったりしたんでしょう。なすすべもなく困ってたところに、稲作教の教祖たる天皇家(ヤマト政権)から使わされた スサノオが来て、 上流の鉄 造り集団と共存?する話をつけてくれました。もちろん刀で脅しながら。いやー丸く収まった。喜んだ人々はスサノオ(大和政権)を推戴することになりましたとさ。   と、こんな話だったか(笑)

途中駅(横田駅ではありません)のクシナダヒメの看板
斐伊川?
横田駅前の様子。中間駅で山中だけど、それなりの街(県立高校もあるそうな)

それから電車を乗り継ぎなんとか新見駅に到着。LQWSON新見駅前店まで、たぶん500mくらい歩いてカップヌードルシーフード味をゲット。温かい麺がしみじみうまし。この日は雨で珍しく涼しかったうえに、ずっと冷房の効いた電車乗ってたもので。

それから姫新線(姫路と新見ね)で津山に向かいます。途中、真庭市の勝山駅を通過。ここは三浦氏(勝山藩)の城下町として発展したところですが、美作勝山藩の初代藩主三浦明次は、三河西尾藩の第2代藩主でもありました。

愛知県の沿海部である西尾から、岡山県の内陸部にある勝山に国替えになったんですね。しかしよく考えると、これって三浦家の家臣すべてが家中揃ってこちらにお引越ししたわけで、この騒ぎは単身赴任も許される今のサラリーマンの比じゃないですね。そもそも「故郷」と呼べる場所が全く変わっちゃうわけだし。 お侍さんは大変だのう。

※そういや、西尾に勝山寺っていうお寺があって、ここは 西尾藩時代の三浦氏の庇護を受けたお寺です。「勝山」となにか関係があるのかな?

長くなったので、津山編は改めまして。一日電車に乗って、津山に着いたらけっこうくたびれてた。それでも翌日少し観光もできたし。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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