近年、豪雨による浸水被害が多発しています。そのため、治水を担う国や地方自治体は、「堤防やダム整備により、洪水を河道内に抑え込む」治水方針を転換し、国や流域の自治体が協力して水を計画的にあふれさせる「流域治水」の方向に持っていこうとしています。
参考記事 治水の“パラダイムシフト” ~温暖化時代の流域治水~ NHK
これ自体は、「想定外」に備える手法として、理論的には正しい方向だと思います。が、言うは易く行うは難し。
治水関係者の立場としては、霞堤とその(計画)氾濫域をバッファとして残したい。そうすれば、大規模出水の被害を確実に低減できます。一方で、都市計画や土地利用の立場(例えば農家)からすれば、氾濫域にはしっかりとした堤防をつくってもらい、非氾濫域として安全に土地利用したい。これはどちらの意見も正当なものです、だからこそ調整を行い、落とし所をうまく探る必要があります。
でも現状はお寒い限り・・・↓
今年8月上旬に降った大雨の影響で滋賀県長浜市を流れる高時川が氾濫しましたが、「霞堤」という伝統的な治水方法で被害の軽減に成功していました。しかし、この治水方法によって、農地に水が誘導されて畑が浸水して農作物に甚大な被害をあたえました。この件に関して一切の補償をしてくれないという行政の対応に農家は困惑しています。
『途切れた堤防』で川の氾濫被害を軽減成功!その陰で…水の流し先となった農家は『被害700万円で補償ゼロ』で苦悩「収入なくなれば生きていくのも大変」
根本的に、なんで自分のところが、よその被害軽減のため犠牲にならなきゃいけないのか?という平等感覚に反するうえに、犠牲になっても補償がないのであれば、誰が協力できましょうか。
・参考記事 「なぜ自分たちが犠牲に?」霞堤と集団移転、治水対策に揺れる集落
てなことで、このあたりでは愛知県東部を流れる豊川に4箇所の霞堤が残っているのだけれど、これら4箇所は霞堤を廃止したり、あるいは小堤を築き、冠水頻度を減らす方向で整備されようとしています。要は霞堤の機能を縮小の方向というのが現実。
豊川における治水事業は、江戸時代に吉田の城下町を洪水から守るため、中下流部に設けられた霞堤に始まるといれています。これにより吉田の城下町は洪水から守られた反面、霞堤地区では洪水の度に浸水に悩まされ、その被害は甚大でした。
霞堤は昭和 30 年代には 9 箇所ありましたが、昭和 40年に完成した豊川放水路により、沿川の洪水被害は格段に緩和されるようになりました。現在は、左岸側の牛川・下条・賀茂・金沢の4霞が残っています。
今後の霞堤対策については、 下条、賀茂及び金沢の各霞堤では、小堤の設置により浸水する頻度を低減させ・・・牛川霞堤については・・・築堤により無堤部を解消する。と位置づけています。
豊川の霞堤
これらを眺める限り、「あふれさせる治水」へのパラダイムシフトは、残念ながら困難です。そりゃ溢れた場合の補償すら実現できていない現状では、当たり前の帰結です。残念ですけど。
治水の親玉たる国交省は何年も前から、”河川管理者が主体となって行う治水対策に加え、氾濫域も含めて一つの流域として捉え、その河川流域全体のあらゆる関係者が協働し、流域全体で水害を軽減させる治水対策「流域治水」への転換を進めることが必要”とかっこいいこと言ってるのですが。理念から先にはなかなか進めませんねえ。
以前、水害の被害拡大は都市計画と治水計画の狭間で起こるというエントリーで、河川(治水)管理者と都市計画決定者の調整が取れておらず、水害の被害拡大が起こり得るということを書きましたが、今回の霞堤の被害補償の問題も、構図はこれとよく似ています。 進歩ないっす・・・
と、悲観していても仕方ないので、このような氾濫域の農地で、農家だけに負担を押し付けず、しかも氾濫域として使えるような手段がないものか、ちょっと考えてみました。
イギリスのナショナル・トラストのような制度を創設し、氾濫原農地の所有を任せるような仕組みができないものでしょうか?
ナショナル・トラスト(国民環境基金)活動とは、ひろく国民(地域住民)から寄付金、会費などを集めて土地や建物を買い取ったり、寄贈を受けたりして、貴重な自然や歴史的に価値のある建物などを守っていこうとする活動をいいます。
1907年に、ナショナル・トラスト法が制定され、それまでの会社法に基づくものから、新たに法律の保証のある「信託」によるナショナル・トラストになったのです。この法律で保存の対象となる資産を「譲渡不能」と宣言する権利が与えられました。
この権利は、ナショナル・トラストだけに与えられた権利で、宣言された資産は、売ったり、譲渡したりすることができません。また、抵当に入れたりすることもできないばかりか、国会での特別の合意がされない限り、公共事業のためだからといって強制収用されることもなくなりました。
イギリスの美しい領主館の多くが、重い相続税のために売りに出され、土地がばらばらに売られたり、建物が壊されるなどの状態が次つぎに起こりました。このため、ナショナル・トラストは領主館を後世に残すため「領主館保存計画」を立てたのですが、、運動の強い働きかけによって、領主館やその土地がナショナル・トラストに寄附されたときは、非課税扱いになりました。1931年のことです。
建築的、美術的に重要な建物などの保護を明確にすると同時に、建物の中の家具や絵の保存と公開も法律の中で決められました。さらに、これらの物を維持するのに必要な、管理費を生み出すための資産を取得する権利も、ナショナル・トラストに認められました。イギリスのナショナルトラストの歴史 さいたま緑のトラスト協会
このような、法律に基づいた「領主館保存計画」では、その所有者が、保存費用を生み出すための基本財産をつけて領主館を寄附したときは、相続税が非課税になるほか寄附した人やその子孫は、そのまま住んでよいことになりました。そのかわり、これらの物が本来の状態で保たれるように、一定の監督を受けます。さらに家屋を一般に公開することが義務付けられています。これは、関係者が住み続けることで、建物がもつ雰囲気が、損なわれないようにするためです。
長い引用になりました。 これを応用すれば、農地を耕作しながら、氾濫域として使い、両者にメリットのある手法が考えられるのではないかと。
霞堤氾濫域の水田というのは、生物多様性の観点から見て、貴重な湿地帯という枠に入るのではないでしょうが。そこで行われる水田耕作は、「里山」の維持保全に当たります。 これらの土地や行為を保全することは、地域の貴重な自然を守っていくことです。(すなわち、ナショナル・トラストの保全対象!)
この土地をナショナル・トラストに組み込むことで、開発(公共事業でさえ)から守られ、永続的に氾濫域とすることが可能になります。土地開発の経済的圧力から守られる上に、所有者は土地をトラストに寄付することで、相続税や固定資産税が免除されます。
元所有者やその子孫は、現状環境保全の監督付きですが、引き続き水田耕作を続けることが可能です(里山保全行為だから)。監督付ってウルサイかもしれませんが、逆に言えば、ナショナル・トラストお墨付きの環境保全米を作っているとも言えます。米に付加価値を付けて売れるでしょう。しかもこの名目なら、農水省だけでなく、環境省からも補助金をぶんどることも可能(という構造にしなされ)。
氾濫で水に浸かり収穫が減った場合は、災害ですから河川管理者に補償を求めましょう。それは耕作者個人ではなく、土地所有者であるナショナルトラストが手続きをすればいいですね。
んで、これらを維持するのに必要な管理費(氾濫で溜まった土砂や流木の撤去はこれに含まれる)は、トラストが負担します。トラストには、そのための資産を渡す必要がありますが。
これなら、治水管理者にも、土地所有者(農家)にも、悪い話ではないと思います。川沿いに、環境的に貴重な土地が永久保全されるのであれば、利用次第では都市計画的にも悪いことばかりではないでしょう。
日本では寄付だけに頼るのは厳しいでしょうから、国や地方自治体がある程度負担して、第三者的な公的機関(ナショナルトラスト)を造ることになるでしょう。
あとは・・・日本でこんな「美しい」組織がまともに運営されるかは心配ですね。 イギリスでは、どのように実運営されているのかなあ
(行政は財政負担していないようです)。 参考