H3ロケット、失敗しちゃいました。 初号機なので失敗はつきものなのかもしれませんが、一回目の延期が失敗か失敗じゃないか、注目された中での再打ち上げで「二段目エンジン点火せず」だから、これは痛いしょう。
東京理科大の木村真一教授(宇宙システム工学)は「宇宙政策や世界のロケット市場への影響は、公式の発表が出てきていないので何とも言えないが、今回は機体と積載物の衛星も失っているので非常に大きいのは確か。基幹ロケットとしてかなり期待されていたので、状況的には厳しい」と話した。
H3打ち上げ失敗、文科省が対策本部 専門家「宇宙政策への影響大」
戻してはいますが、一時制作主体である三菱重工業の株価も下がりました。僕的には、ロケットの成功失敗より、重工のほうが関心あります。
個人的にはいろいろ失敗続きの三菱重工が株価、5000円を維持している方が不思議でしょうがないのですが。一体何で儲けているのでしょう?
三菱重工は子会社の三菱航空機でMRJ(三菱リージョナルジェット)という旅客機を開発していましたが、商用化に必要な「形式証明(TC)」の取得ができず、開発に失敗しました。
中日新聞で、三菱航空機の元社長(川井氏)が、社内の様子を語った記事が出ていたので、ちょっと紹介します。いろんな意味で唖然としました。
・三代目社長になった川井は三菱重工時代、米国でビジネスジェット機(MU300)の開発に参加し、TCの取得にこぎつけた。当時の先生役だった元ボーイングの技術者の、機体の性能と安全性のバランスをとりながら、審査当局(米連邦航空局)を納得させつつ、自分たちの要求を通していく論理的なやり方に大いに刺激を受け、そのノウハウを必死に吸収した。
・MU300以降、MRJまで三菱重工単独での機体の開発計画はなし。川井自身もミサイル開発部門に移り、航空機から離れた。
・MRJを開発する三菱航空機の社長になった川井は、日本人としてTC取得経験のある最後の世代としての経験から、経験ある外国人技術者を「先生」として招致した。
・開発を担っていた日本人技術者たちは、川井の目には「素人集団」に映った、それなのに、誰一人「先生」の助言に耳を傾けなかった。 「どうして三菱航空機の技術者は言うことを聞かないんだ」元ボーイングの技術者らは、あきれて日本を後にした。
・三菱航空機は、次から次へと試験機を作り、最終的に十機にもなった。開発のスケジュールを高める狙いがあったのだが、TCに必要な試験を早期に見極め、必要なだけ試験機を作るという方針を貫いていれば、もっと少ない試験機で済んだかもしれない。川井が社長になる前からの計画で変更はできなかったが、「こんなに無駄金を使って・・・」と思っていた。
・行き当たりばったりの計画は、時間も金もむしばんでいった。「こんなやり方ではだめだ」川井は、厳しい口調で現場に指示を出したこともあったが、開発陣には響かなかった。
・三菱航空機の社長職は、三菱重工の役職を降りた幹部がつくポストという色合いが強かった。一方、現場にいる人々は、管理職を含め三菱重工から出向してきており、「どっちを向いて仕事をするか。リタイヤした人間の言うことを聞くわけがない」
・三菱航空機の社長は「お飾り」で人事権がなかった。手足を縛られた状態で、私は任期中にはゴールにたどり着けなかった。
(ネットでは有料記事です。→第4部 (1)「お飾りだった」元社長の独白【MJの本質・未完の国産旅客機】)
なんつーか、まあ事情はいろいろあるとは思うけれど、社長がそう思っている時点で、この会社が成功するはずない って思っちゃいました。 そもそもこんな第三者的発言でどうすんの?とも。アンタ一応責任者だったのでは・・・大体、「人事権のない社長」って存在意味なくね?・・・まあそれで責任だけは取らされるのは悲惨だけど、本当に方法はなかったのだろうか? 例えば、「厳しい口調で現場に指示を出したこともあったが、開発陣には響かなかった」って書かれてますが、それ指示じゃねえから!一応突っ込んでおきます。)
この場合、技術者もしょーもない感じはある(重工のエンジニアなんだから、個人としては優秀な人たちなんだろうけど)。んでも、この会社、試作機が十機も作れる!とか「技術者の楽園」で、ある意味居心地はよかったんじゃないかな。会社の業績は最低だったとしても・・・
戦前の日本で、政府の方針に逆い、出先の軍参謀として満州事変を独断首謀した石原莞爾が、陸軍でえらくなってから日中戦争不拡大を唱え(暴走する出先の軍人をたしなめたら「あなたを見習ってやっています」と言われたそうな)、そのうえで引退後正論を語る・・・みたいなシーンを思い出しちゃった。
個人としての石原の時流を見る目や思想は、あるいは正しかったのかもしれないけれど、組織の方針を変えることはできず、結局大日本帝国は戦争に敗北、陸軍は解体。でもある時期まで、陸軍上層部にいた人たちにとって、きっと陸軍は居心地のいい組織だったと思います。
話をもとに戻すと、大企業の子会社って多かれ少なかれ、こういう傾向にあるのは確かだと思うんですよ。そのなかでも、うまくいってる会社、だめな会社ってのがあることでしょう。
たぶんうまくやれている子会社では、元社長がこういうことは言わないだろうなあ とは思うんです。それは、親会社(本体)の社風というか雰囲気に大きく影響されるものだとは思うのですが。
自動車、電機、航空機、・・・重工系、大丈夫かいな? MRJの例しか知らないけど、原因の根は深そうです。
撤退の要因として泉澤氏(三菱重工業社長)は4つの理由を挙げた。
三菱重工が国産旅客機開発から撤退 「型式証明」の壁を超えられず
開発の長期化で技術的競争力が低下したこと、海外パートナーからの装備品調達が難しくなっていること、北米の規制緩和が進ます、現在開発中の機体が市場に適合しないこと、さらに「型式証明」(TC)の取得にはさらに巨額の資金を必要とすること。
このTCは機体の設計が安全性の基準を満たしているか、国が審査・確認する制度だが、これが大きな壁となった。「高度化した民間航空機の型式認証プロセスへの理解不足があったことは否めない」と泉澤氏。
当初は日本人技術者で進めてきたが開発は難航、途中から他社で経験を積んできた外国人エキスパートもチームに加えてTC取得を目指したが実現できなかった。
もう少し、詳しく原因究明しようよ・・・
大手紙各紙はこぞって社説で取り上げた。
夢、ついえる…三菱重工、「国産ジェット旅客機」開発が頓挫
ほぼ共通して指摘しているのは、三菱重工の技術力への過信、それもあっての対応の遅れ、社内体制の不備だ。
日本経済新聞(23年2月8日)は「日本の産業史に残る失敗と言える。約500億円もの国費もつぎ込まれた大型プロジェクトである。……経営責任が問われるのは言うまでもない」と断じ、毎日新聞(2月22日)は「開発の難航を受けて、海外メーカーで型式証明の取得に携わった外国人を責任者に据えたが、あまりにも遅い対応だった。……開発子会社の社長は何度も交代した。現場と経営陣の意思疎通が不十分だったのは明らかだ」などと具体的に指摘している。
経産省の責任にも多くの社説が言及し、朝日新聞(2月14日)は「失敗を検証し、責任の所在を明らかにする姿勢は見られない。それどころか経産省は半導体産業に巨費を投じるなど、補助金の規模を拡大している。官庁には、有望な技術を見極める能力が欠けているという自覚が求められる」と書いた。
原因究明や再発防止策は徹底するべきだ。なぜならば、「H3」の打ち上げ延期や「イプシロン・6号機」、「スペースジェット事業」からの撤退が似たようなタイミングで起きた背景として、決して偶然と決め付けずに、しっかりと検証しておくべき共通の構造的問題が存在する可能性が捨て切れないからである。
【また延期】“日の丸ロケット”がダメな根本的な理由を元三菱重工エンジニアが明かす…「JAXAや三菱重工は慢性的な予算不足」
そのことを指摘するのは、米国企業を振り出しに、三菱重工、別の米国企業と渡り歩いた経験を持つ、あるパワーシステムのエンジニアだ。「直前に在籍していた米国企業や三菱重工を退社後に奉職した米国企業と比べて、似たような開発案件で、三菱重工では良くて10分の1、ひどいと100分の1程度のおカネしか与えられないことに唖然とした」と振り返るのだ。そうした結果、「三菱重工のエンジニアは優秀だが、企業としての三菱重工はそうした個人の能力に依存し過ぎる傾向が強く、米国企業のように多くの人材を投入して組織的に開発に取り組む風土になっていなかった」と惜しむ。
うーん、撤収の理由として「米の規制緩和が進ます、現在開発中の機体が市場に適合しないこと「ってのがあるんですけど、どういう意味なんですかね? 最大の市場で開発機が売れなそう って、そもそも営利企業は何のために開発をするんだっけ?。 結局三菱重工の経営者なんて、何かの「お飾り」なんかなあ。
元社長の川井氏は、かなり無駄金を使った ということを言われていましたが、そもそも予算が足りねえ上に・・・ということなのかなあ。
「企業としての三菱重工は個人の能力に依存し過ぎる傾向が強く、米国企業のように多くの人材を投入して組織的に開発に取り組む風土になっていなかった」・・・組織的に開発に取り組む風土が、日本製造業の強みじゃなかったんでしょうか?
従来、日本の製造業における強みは品質だった。現場における絶え間なき「カイゼン」や、設計と製造が一体となった「すり合わせ」などを実施してきたが、
従来の「日本の強み」だけでは戦えない…新たな競争のカギとなる「製造業のデジタル化」のポイント