ラーケーション

児童生徒が保護者との校外学習を目的に自由に休む日を選択できる「ラーケーション」が愛知県内の公立学校で9月から順次始まる。ラーケーションは、「ラーニング(学習)」と「バケーション(休暇)」を合わせた造語。県が主導し、県内53市町村の公立小中高校と特別支援学校で導入される。。ラーケーションの日は1年に最大3日まで。まとめて、または分散して取得できる。原則、保護者が1週間前までに学校に計画を提出。欠席とはせず、「出席停止・忌引など」と同じ扱いになる。受けられなかった授業は家庭での自習で補うとしている。

愛知で始まる「ラーケーション」に歓迎と懸念 名古屋市は導入見送り

「管理教育」で有名な愛知県らしい と思いました。てか、愛知県の教育委員会ってこんなくだらないことを全県で政策にするほど暇なんですね!そんなに暇なら、グラウンドに出かけて釘を引っこ抜いてきなさい! あちこちのグラウンドに刺さっているはずです。

愛知県西尾市の公園のグラウンドでソフトボールの練習をしていた小学4年生の男児が、地面から突き出ていたクギで大けがをしていたことが分かりました。
 「(どこに二塁を置いたら良いか分かるように)利用する方が次に使う時に使いやすいようにクギの先にひもを付けて、クギを埋め込んでひもだけを上に出すという方法で目印にしていたと思われます」

公園でソフトボール練習中の男児 地面から突き出ていたクギで大けが 他にも10本以上発見 愛知県西尾市

年に3日くらい、各家庭の責任で勝手に学校を休んで校外学習でも、ネズミーランドでも、好きなとこ行けばいいだろ と思うのです。 もちろん学校を休むことの是非はいろいろあるんだと思うのですが、 それは各家庭の方針で判断なり教育なりすればよいことです。 

大人だって、他の人が働いている真っ昼間にずる休みしてビール吞んじゃうとか、「いけないことをする楽しみ」があるんだから、子供だって保護者の管理下でやればいいがな。

それを「保護者が1週間前までに学校に計画を提出すれば、欠席扱いにはしない」と。休みに家族でどこへ行くか、そんなこと学校に管理されたくないし(教師だって別に知りたくない)、大体、今時の忙しい親が、学校に計画書を提出とか、時代に逆行してるんじゃないですかねえ。世間の風潮だって、旅行で学校休むのもいいんじゃね?と思っているくらいですから。

「旅行で学校を休ませる」賛成が約7割 「家族との思い出を作るのも大事」「平日の方が空いている」

ところで、小学生の子供とラーケーション制度を使って、ディズニーランドへ遊びに行く際、「エンターテインメントの本質 ~ウォルト・ディズニーが愛した夢の世界とは~」という題材で計画書を提出したら、ラーケーション休暇は認められますか?

某大学の国際文化学部の研究旅行で認められたタイトルだから、もちろん小学校でも認められるよね(笑)。奨励制度の概要

あ、これは現在の小中高生は、将来大学とかに通う際に「授業料免除申請書」を書いたり、「奨学金申請書」を書くことが多いだろうから、「それらしい理由をでっち上げて(嘘はダメ、ばれない程度に盛るのはアリ)公的申請を通す」という生き抜く力を身に着けさせようという親心なのかもしれません。いや気が付かなかった。

日本学生支援機構の「令和2年度 学生生活調査」によると、奨学金を受給している学生の割合は、大学(昼間部)で49.6%、短期大学(昼間部)で56.9%、大学院修士課程で49.5%、大学院博士課程で52.2%となっています。

ライフイベントから見る生活設計

 それならいっそ、夏休みの自由研究で 休暇が認められるぎりぎりのボーダーラインはどこか を調べるのが面白いかもしれません。何が校外学習でなにが遊びなのかって。

そのうち、A校で認められたのに、B校で認められないのはおかしい とか裁判沙汰になると面白いなあ。泥沼でしょうし、忙しい裁判官が激怒しそう。くだらない話を激務の裁判所に持ち込むな!ってね。  やっぱ、「勝手に休め」くらいでお茶を濁すのがいいと思うんだけど。 

霞堤という治水技術システムの政策的欠陥

バラ農家「その質問はやめて頂きたい」・・・川を氾濫させ下流の住宅等守る「霞堤」再起決断できない上流の苦悩


2023年6月、愛知県の東三河地域を襲った豪雨では、豊川が氾濫した豊川市で多くの農家に甚大な浸水被害が出たが、 それはあえて川を氾濫させる「霞堤」のためで、それは想定されたものだった。  が、そこには課題もある。下流を守る「霞堤」は、不平等を産むのだ。
(地域住民の声)霞堤がある地域は大きな被害が出て、その結果(それ以外の地域の)堤防は無事決壊せず助かった。これはいろんな人の命や財産を守っているわけだが、一方で、霞堤のある地域の住民の命や財産が守れれていない。これはすごい不平等。この住民は農機具16台が壊れ、合わせて800万円もの被害が出たが、過去にも補償は一切ない。自然災害で、法律的にも対応するのは難しいと。一生に一回くらいの災害だったらたまたまだと思えるんですけど、 被害が15年で3回も起きている。

東海テレビ ニュースワン

(考えさせるという意味で)非常に良い記事なんですが、キャプチャできないので、大事なとこだけ引用してます。・・・ケチだなあ。ま、元の記事を読んでください。

治水論は僕が興味を持っているので何度か取り上げているんですが、霞堤というのは、堤防にあえて切れ目をつくり、そこで氾濫を起こすことでそれより下流を洪水から守る治水技術です。    

汎用的に言えば、「システム全体の安全性を高めるため、システムの一部にあえて弱点を作る」というような設計論で、割と一般的に取られる考え方です。 一番知られているのは、車体設計の事例だと思います。

クラッシャブル構造
クラッシャブル構造とは、乗員のいるスペースを守るため、あえて、車体の前後部分を潰れやすく設計した構造をいう。このことにより、衝突の際の衝撃を吸収し、乗員の安全を確保する(生存空間をつくり出す)。

グーネット自動車用語集

 土木・建築業界でも同様の設計思想があります。

壊れない方が危険? 大規模地震を想定した橋の設計で重要なこと


川で隔てられた陸地を結ぶ橋は交通の要といえる部分。これが地震などで壊れると物流に大きな被害が発生します。しかし、大規模地震を想定して「全く壊れない橋」を設計するのは逆に危険といいます。それはなぜなのでしょうか。

・・・・
 こうしたことから橋の設計に際しては、大規模地震が発生したときに壊れる部分を選定し、その部分を補修しやすい構造にするのが一般的です。「壊れる」というよりは「壊す部分」をあらかじめ選んでおくのです。このように設計すると、地震の発生後に損傷の有無を発見しやすくなるといいます。また、修繕しやすい部分を「壊す部分」に選ぶことで、早めに復旧することも可能になるのです。

乗りものニュース

わざと弱く作る技(構造スリットのことなど)
わざと弱く作った建物に住みたいですか?
誰でも嫌ですよね。
 でも、建築には随所に「わざと弱く」してあるところがあります。
構造スリットもそのひとつ。・・・

建築家紹介センター

これらの事例からも分かるように、霞堤を使った洪水制御方法「わざと弱点を残す設計思想」というのは悪い設計ではありません。が、自動車や構造物とは2点違いがあります。

①弱点部に人が居住しており、その人が何度も被害を被ること(上流が被害を受け、下流はそれにより利益を得るなど、住む地域により不平等が生じる)

下流部の人間が、類似事例の対策を見たらこんな感じになるでしょう。 上流部の区画整理において、地盤のかさ上げし上流域の浸水被害を減らそうとする計画に対し、

千葉・海老川の下流域住民が抱える「最大の心配」 上流域の土地区画整理が水害を誘発する危険性は?
「流域治水」という考え方が広がる。気候変動で未曾有の豪雨が頻発し、上流、下流など流域全体で国、自治体、企業、住民がともに治水に取り組む。昨年11月、流域治水関連法が施行された。しかし、利害が異なる関係者間の協議は容易ではない。千葉県船橋市では二級河川・海老川上流域の開発をめぐり、下流域住民から「水害リスクが高まる」と懸念する声が上がる。「情報を共有し、議論する」という状況に遠いことが、問題をこじらせている。

東洋経済オンライン

 ともすると、利益を受ける側は被害を被る側のことを忘れ、被害軽減の対応が自らの利益を減じる可能性があるかもと心配しがちです。まあ当然の反応ではありますけれど。

民主主義ってのは結局多数決なので、(多数の人が住む)下流に住む側の意見が強くなるのはやむを得ないところでもあります。が、そもそも不平等が生じているのではないだろうかという視点は持つ必要があるかもです。 正直、目をそらしたいところではありますが*。

②不平等を小さく抑えるための、速やかな補償や原状回復といった公的補償を充実させるなどの対処が取られていないこと。”氾濫して被害にあっても補償は一切ない。自然災害で、法律的にも対応するのは難しい”

霞堤の治水設計論として、不平等が生じるのはどうしようもないことです。ですが、その不平等感を和らげるための措置がなされていない。これでは、霞堤がいくら設計論としてまっとうだとしても、霞堤を実際の政策として残していくのは困難だと言わざるを得ません。

豊川の事例に戻すと、豊川に現在4つ残る霞堤は、将来的に1つは締め切り、残り3つはかさ上げして霞堤の遊水機能を縮小する方向です。

この計画を作成した豊川の河川管理者(治水担当)である国交省・中部地整としては、将来どれだけ大規模な洪水が発生するかわからないから、「流域全体の治水のことを考えれば遊水機能を縮小したくなかった」はず。技術行政としては正論だったかと。

一方で、霞堤を現状のまま残せば、地域に不平等が残り、まともな補償も期待できない現状の法制度下で、地域の総合行政を担う豊橋市としては同意しかねる方針だったということでしょう。たとえ、その時の担当副市長が、国交省からの出向者だったとしても。(と聞きました)

ねえせめて、こういう時に受けた被害を速やかに救済できるような法律、早く作りましょうよ。このままじゃ、霞堤どんどんなくなっちゃうよ。(設計論的には必要だと思う)

*霞堤を使うような治水技術は、現在に生かすなら想定外規模の災害による被害を減らす(減災)ためのものです。 この減災手法にはあらかじめ弱点を作っておくとか、堤防(の弱いと目されるところ)が現実に破られたらどうするか など、どうしても特定の地域を狙う「不平等」問題が付きまといます。 それを踏まえたうえで有意義な議論をすることは、有識者でも困難なようですね。

大同大学 鷲見助教授のブログ。  

2022年9月 1日 (木)
本当に減災,したいか。
最近の議論を見ての感想。
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洪水でも危機管理でもそうなのだが,
キャパシティーを超えるときに被害・支障を少しでも減らそう,と言う話をしようとしているときに,
キャパシティーの中でいかにキャパシティーを増やすか,っていう話しか出てきてない
っていう事が多いように思う。
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完全防御,では敗北している場面を想定できていない。
どうすくなく敗北するか,という観点
どこで敗北しどこでは敗北しないようにするかと言う観点
での議論をしたくないのだろう,そこには差別化が入ってくるから。
全体に薄ーく敗北しましょう,
分散・分担しましょう,という考え方もある。
だが,これもやりたくないのだろうなぁ。
ここを真面目に(ときには喧嘩になるだろうが)やれるかどうかが,この話の境目になると思う。
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流域治水,とうたって2年になるところだが,
想定しているのは,「計画」ではない。
明らかに容量オーバーになる,という場面に
どう対応するか,という原点に立ち返れていない議論が多いように思う。

sumisumi

我々の社会は「平等化」「差別はいけない」ということをかなり大きな社会命題として掲げてきて、現実にはまだまだいろんな問題があるとはいえ、少なくとも大っぴらに政策を語る段階では、これらを否定するような発言は難しくなってきていると思います。ポリティカル・コレクトネスっていうか。

それが我々の潜在意識にまでしみついてしまっているから、議論しづらい、想定しづらいってのはあるでしょうね。それに、不平等や差別化を前提とした、ある意味不穏当な政策議論(時には極論だって出るでしょうし)を必要だから自由闊達にやった挙句、意図に反し誤解され炎上してもかなわないしって、難しいことでしょう。今の日本では、誤解する人も多いと思うし。

が、鷲見先生が言われるように、それらを乗り越えて真面目にやれるかどうかが,霞堤を含めた減災化の成否を握るカギになると思います。 僕は悲観的だったりしますが・・・