西尾の文化財(17) 養寿寺

Wikipediaに項目が建てられている有名寺なのかな・・・

地元では「矢田のおかげん」で有名です。おかげん って何だべ?と思っていましたが、wikiの解説により分かりました。

旧暦2月15日頃(3月の最終土・日曜日)に行われる涅槃会では、読経に合わせて笙・笛・太鼓などの管弦が奏される。

おかげん=御管弦なのですな。 えーと、このお寺の文化財は天和3年(1683)建立の鐘楼門(市文)

空が、青いな〜秋だな〜

まだありますぞ、非公開ですけど。室町時代の雲版(県文)、彰空宗永の書写になる『太子伝』(市文)、高麗時代の観音菩薩像(県文)、地蔵菩薩像(県文)、家康の裏書のある天満宮御影(市文)、薬師如来(市文)、釈迦一尊(市文)、弥陀三尊(市文)、蓮鷺(市文)、寒山拾得(市文) 西尾市のHPより。

写真奥に見える本堂は嘉永4年(1851)だし、山門は元禄12年(1699)建立。立派に見える本堂だけど、実は裏から鉄骨でサポートしている状態。そろそろ大規模な補修が必要な時期に来てるんだけど・・・ともあれ、下が山門の写真ね。 

段差があって、立派な門構えですね。実はこれ、碧海台地の端に位置するからできる芸当。だから台地の下から見ると高低差が生じてるんだな。反対側からは全然高低差ないんだけどね。 地理院地図に、写真を撮った方向を記入したのが下。

矢印左下の逆凹形の池の標示に注意!

寺の縁起は以下の通り。

大同元年(806)に勤操阿闍梨がこの地を訪れ、当時海であった東方の砂浜に霊亀が休み、その背に青衣八臂の弁財天が座っているのを見て、「この地こそ仏法の繁栄養寿寺写真地」と悟り、堂を建立したと伝えられます。

人がいたので写真を撮ってこなかったのが残念だけど、上の地図の矢印の左下に「池」があって、その中島に弁財天が祭られています。おそらく縁起にある亀に載った弁天さんだろうね。

10月11日写真を撮ってきましたので追加します。

弁天サマ 提灯の「八田」に注目。矢田じゃないのね。
門からの位置関係はこんな感じ

弁財天にも、境内の地蔵堂にも地元のおばあさんが座って休んでいるし、他にも孫を連れたお年寄り、犬散歩途中のおじさん、隣の児童公園で遊ぶ複数の親子連れなど、このお寺はかなり地元の人に親しまれ、オアシスのように利用されているようです。本来あるべき姿として、大変よろしいかと存じます。「オマエに言われてもな」ですが、いいもんです。

まあ敷地も広いわけですが、そのわけは・・・

文明年中(1469~67)に徳川家康の大伯母、吉良義安の夫人である矢田姫(やたひめ)が当寺に埋葬され、その故を以って慶長7年(1602)に家康より36石の朱印地を賜ったといいます

と 西尾市のHPには書いてあるんだが、家康の大伯母(祖父母の姉)だと、吉良義安夫人ではなく、一代前の吉良持広夫人じゃないかなあ? 吉良義安の妻で、家康の伯母に当たる人の墓は吉良の堯雲寺にもあるんですもの。訪問記はこちらです。

あるいは・・・義安は持広の家に養子に入ったけど、普通は持広に実の娘がいれば、養子はその娘と結婚するのが普通ですわな。(家康からみると「大伯母の娘」)

だけどその娘は不幸に若くして亡くなり養寿寺に葬られた。若くして亡くなったので「姫」と伝承され、、「大伯母の娘」がいつしか「大伯母」って伝わっちゃったと。 で、その後、義安は家康の伯母の俊継尼と再婚した・・・と。まあ想像にすぎませんが。この時代、女性は「誰々の娘」としか書かれないもんねえ。

追記:平野明夫「三河 松平一族」 洋泉社MC新書 によると、(このお寺に葬られている)「養寿寺玉林良久大禅尼」は、吉良家老臣の富永氏に嫁いだ信忠の一代前「長忠」の娘の法号だそうです。 (鶴寿会郷土史研究会「矢田姫を追う」(平成四年))

ち、ちなみに、義安の妻の墓はもう一つ、吉良の華蔵寺にもあります。

華蔵寺の看板

こちらは慶長年間没となっているので、俊継尼の墓その2だと思いますが・・・(偉い人の墓は、複数あることもあります!)

西尾の文化財(16)  修法寺の銅像菩薩立像

県指定文化財です。 場所は西尾市平口で村社「高倉神社」に間借りしてる感じ。神宮寺だったのかなあ?とはいえ、修法寺の裏にはちゃんとお墓もありますから、檀家もあるってことですねえ。寺の建立は、西尾の養寿寺や恵験寺※が関わっているので、ここは浄土宗西山深草派ですね。

※ともに「三河十二本寺」。浄土宗西山深草派の寺院で、総本山誓願寺に次ぐ中本山の格式の三河地方にある12寺の総称。

そのお寺の境内(?)にある観音堂に、銅製の菩薩さんが立ってます。

りつぞう
県の認定書も!(ぶれてすいません。無理な姿勢で撮影したもので・・・)

教育委員会の看板によると、「奈良時代前期、白鳳期(645~710)の特色をもった金銅仏で、通称「白鳳観音」と呼ばれる県内で最古の銅造菩薩立像がある」

回りくどい表現ですけど、「白鳳期に造られた仏像」とは書いていません。でも一方で「県内で最古」なら、いつの時代に造られたかはっきり書いてほしい。

つーか、新しすぎるような気がするねえ。西尾市のHPだと、「岩瀬文庫寄託」と書いてありますもしかしてこれ複製なのかな? わからん。

 

それはそれとして、ここで面白いのが、敷地の主人である高倉神社のほう。 祭神は高倉天皇で、姫社には「平徳子」を祭るとあります。

高倉神社って全国にあるようですが、高倉天皇を祭るっての、あんまり聞いたことないですね。しかも「平徳子」って、平清盛の娘ですよ!

平家の隠れ里ならいざ知らず、平氏関係者を祭るのは珍しいんじゃないでしょうか。 平口が平家の隠れ里だったという可能性もなさそうですし。

と、看板はそこにも触れていて、平口って平家の「平」と矢作古川の河口の「口」から来ているという説もあるそうで、古くから平家と何らかの関係があったものと推察される と。

看板

それ、先日行った一色赤羽別院のところに存在した 「赤羽根古城」は平安末期(1159)より平遠衡とその末裔が治めた と繋がるのかなあ。そこに住んでた平氏関係者が、少し離れた場所に二人を祭り(源氏の世の中に平氏を堂々と祭るのはさすがにヤバいんで、天皇と妃を祭った形)、あたりに関係者が住みつき、やがて村社となり現代に至る と考えたくなっちゃいますね。

あ、あとこの神社には天狗堂があり、三河の大天狗 は有名だそうです。(地元だけど知らね)

「天狗堂は、榎本重市翁の懇望により、高倉神社の一隅に祭祀せしものなり。その趣旨は、青少年に天狗の如く天下を睥睨する勇壮なる大志を抱かしむると共に・・・」

・・・こういうのを「小さな親切、大きなお世話」って言うんだね?