「山川草木悉皆成仏」という思想(1)

さんせんそうぼくしっかいじょうぶつ という思想があります。「草木国土悉皆成仏」というバージョンもあります。知名度的には前者、歴史的には後者が正式かもしれません。

草木や国土のような心識をもたないものも,すべて仏性を有するので,ことごとく仏となりうるという意味の成語。《涅槃経(ねはんぎよう)》の〈一切衆生,悉有仏性〉の思想を基盤とし,生命をもたない無機物にもすべて〈道〉が内在するという道家の哲学を媒介として,六朝後期から主張され始めた中国仏教独自の思想であり,天台,華厳などで強調される。【麦谷 邦夫】

コトバンク 世界大百科事典 第2版

「山川草木悉皆成仏」という言葉は、1986年の国会で、当時の中曽根首相が施政方針演説で使い、それ以来広く知られるようになった言葉のようです。さらに東日本大震災のあと、人と環境(自然)との付き合い方 という観点でも注目されています。最近でも、こんな風に取り上げられています。(2020年11月20日公開)

日本の中心的な世界観を「アニミズム」だと見る文化論・文明論は多いのです。たとえば中村元、梅原猛、岩田慶治、安田喜憲などの論があります。それぞれ大変におもしろく有益なものですので、みなさんご興味がありましたらぜひ読んでみてください。
 また、「アニミズム」論の変奏として、「山川草木国土悉皆成仏」というスローガンがあるとされ、これが「天台本覚思想」(すべてのものは仏性を持つという天台宗の思想)だとされ、特に2011年の東日本大震災以降、一種の流行のように唱えられているものです。梅原猛さんもこれを強く唱えました。
これらの論は、主に日本人の自然と調和する精神性を、「アニミズム」という生命観に見いだそうとしているという点で軌を一にしています。

日本人の根本的な世界観である「アニミズム」の本当の意味

「(みんな成仏するんだから)山も川も、草木も、もちろん人間も、仏の前では平等に価値ある存在であり、互いに対等な存在だよ」みたいな思想、それは、宮崎駿の映画「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」が描くような世界感ですね。多くの識者が指摘しているんですが、まあ割と多くの日本人が、潜在的にそのような思想を持ってはいるんじゃないのかなぁ とは思います。

と前置きが長くなりましたが、今回の記事で取り上げるのはそこじゃなくて、世界大百科事典先の解説にある「(「山川草木悉皆成仏」という言葉は)涅槃経の〈一切衆生,悉有仏性〉の思想を基盤とし・・・」という部分です。

実は、「山川草木悉皆成仏」と「一切衆生,悉有仏性」って言ってる中身が全く違うのです。だから、この解説だけだと正直意味が解らないんですよ。「一切衆生,悉有仏性」が道家の思想を受けたことで解釈が変わり「山川草木悉皆成仏」になったんでしょうけど。で、少し調べてみたことを記載します。

①〈一切衆生,悉有仏性〉の意味とは

一切の衆生は、ことごとく仏性を有する。・・・えーと、この意味を知るには、少し仏教思想を知る必要があります。ここの議論に関係ありそうなモノ?生き物?の仏教的分類をまとめると以下のようになります。

衆生ってのは6種の世界(=六道)に属するモノたちです。すなわち天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道。人や動物はここに属します。仏教的思想では、ここに属するモノたちは、死ぬと前世での行いにより、この六道のいずれかに生まれ変わることになっています。しかもそれが永遠に続くのです。これを「輪廻」と言います。

人間界で生きるのもなかなか辛いこともありますが、さらに畜生道、餓鬼道や地獄道で生きるのは辛すぎる、しかもそれが永遠にそれが続くなんていう「苦」はたまらん・・・と思う人は、修行して輪廻から逃れ出る手段もあります。それが仏教です。

輪廻の無限サイクルから逃れ出ることを「解脱」と言います。解脱は仏陀(覚れる者)に成るという意味で「成仏」ともいいます。すなわち、解脱が仏教修行の最終目的なのです。

 「輪廻」はたまらんから、修行して解脱(成仏)しよう!と行動を起こせるのは、輪廻の苦しみを認識できる「心(情)のあるモノ」だけです。だから衆生を有情(うじょう)ともいいます。反対語は無情や非情です。あ、成仏できる可能性を仏性と言います。

つまり「一切衆生,悉有仏性」とは、「衆生は頑張れば成仏できる可能性があるよ」ということです。逆に「衆生以外のモノは成仏できないよ」という意味でもあります。これが元々の仏教の原則論なのです。

え、それだと、「山川草木悉皆成仏」でいう草木、山や川は成仏できないじゃん。それに「成仏」と「成仏の可能性がある(仏性)」って差があるよね。どうしてそうなったの?

長くなったので、続きはその(2)で

  参考文献

  • 総合地球環境学研究所編「地球環境学事典」のうち「日本の共生概念」「山川草木の思想」項  →コンパクトに(見開きページ)うまくまとまっています。
  • 末木文美士「草木成仏の思想」→主にこの本に基づいてます
  • 梅原猛「人類哲学序説」→「草木国土悉皆成仏」の思想をもとに「人類哲学」を提唱!

       

失敗の本質

「失敗の本質」という本があります。副題は 日本軍の組織論的研究。

日本軍は、なんで太平洋戦争敗北という大失敗をしちゃったのか を組織論的に分析した本です。 そもそも、国力の差がありすぎるアメリカと戦争しちゃう時点で、もうまちがってはいたんですけどね。

その第二章「戦略・組織における日本軍の失敗の分析」を読んで、要点だと思ったところを要約・抽出しました。 

もちろんこれは、「現在の日本政府による、対コロナ戦争における失敗分析」に繋がるものです。なぜなら、軍隊と言うのは、典型的な官僚組織だからです。であれば、そこでの失敗は、日本を動かす日本国政府(官僚組織全体)に通じるものでしょう。

 うん、思い当たる節がありすぎて泣ける。

  • いかなる軍事上の作戦であっても、そこには明確な戦略な作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する。
  • 連合艦隊の最終目標は、太平洋を渡洋してくる敵の艦隊に対して、決戦を挑み一挙に勝敗を決することであった。しかし、決戦に勝利したとしてそれで戦争が終結するのか、また万一にも負けた場合にはどうなるのかは真面目に検討されたわけではなかった。 
  • 日本軍は初めにグランド・デザインや原理があったというよりは、現実から出発し状況ごとにときには場当たり的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意であった。このような思考方法は、客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われる限りにおいて、とりわけ不確実な状況下において、きわめて有効なはずであった。
  • 本来、戦術の失敗は戦闘で補うことはできず、戦略の失敗は戦術で補うことはできない。とすれば、状況に合致した最適の戦略を戦略オプションのなかから選択することが最も重要な課題になるはずである。・・・ときとして日本軍の戦闘における小手先の器用さが、戦術、戦略上の失敗を表出させずにすましてしまうこともあった。しかし、近代戦に置いてはこれが常に適用するわけではなかった。したがって、日米両海軍の戦力バランスが崩れ始めると、もう小手先の戦闘技術の訓練だけでは対抗できなくなる。
  • 中央と現地が地理的に隔たっとおり、かつ両者の間の意思疎通が必ずしも円滑にいっていないという状況であったにもかかわらず、現に作戦を実施しようとしている関東軍に対して、明確な指示を下さないままに、意のあるところをくみとらなかったとするのは統帥の実務責任者として適切な判断と言えるであろうか?
  • (インパール作戦中止を巡る話)河辺方面軍司令官は第十五軍の牟田口司令官を訪れた。両者とも作戦中止を不可避と考えたにもかかわらず、「中止」を口に出さなかった。牟田口は「私の顔色で察してもらいかたった」といい、河辺も牟田口が口に出さない以上、中止の命令を下さなかった。
    日本軍が高度の官僚制を採用した最も合理的な組織であったはずであるにもかかわらず、その実体は、官僚制のなかに情緒性を混在させ、インフォーマルな人的ネットワークが強力に機能するという特異な組織であることを示している。
  • 日本軍の作戦行動上の統合は、結局、一定の組織構造やシステムによって達成されるよりも、個人によって実現されることが多かった。判断のあいまいさを克服する方法として、個人による統合の必要性をうみだした。個人による統合は、一面融通無碍な行動を許容するが、他面、原理・原則を欠いた組織運営を助長し、計画的、体系的な統合を不可能にしてしてしまう結果に陥りやすい。
  • 日本軍は失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。これは物事を科学的、客観的に見るという基本姿勢が決定的に欠けていたことを意味する。
     ミッドウエー海戦(決定的敗北)の作戦終了後に通常行われる作戦戦訓研究会もこの際には開かれなかった。
  • 作戦担当の黒島先任参謀は、戦後、次のように語ったといわれる。
    「本来ならば、関係者を集めて研究会をやるべきだったが、これをおこなわなかったのは、突けば穴だらけであるし、みな十分反省していることでもあり、その非を十分認めているので、いまさら突っついて屍に鞭打つ必要がないと考えたからだった。と記憶する。」
     ここには対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学びとろうとする姿勢の欠如が見られる。
  • 個人責任の不明確さは、評価をあいまいにし、評価のあいまいさは、組織学習を阻害し、論理よりも声の大きな者の突出を許容した。このような志向が、作戦結果の客観的評価・蓄積を制約し、官僚組織における下克上を許容していったのである。

もう、この辺とかまさに今そうなってますよね。

「日本軍はときには場当たり的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意であった。客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われる限りにおいてきわめて有効なはずであった。」

場当たり的対応だからダメなんじゃないです。場当たりだったとしても、取った対応の結果を直視し、ちゃんとフィードバックするなら、これは「順応的管理」であって、不確実な状況下では有効な方策でした。問題は

「日本軍は失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。」

客観的事実を尊重せず、フィードバックもしないことなんですね。

「日本軍の作戦行動上の統合は、結局、一定の組織構造やシステムによって達成されるよりも、個人によって実現されることが多かった。個人による統合は、一面融通無碍な行動を許容するが、他面、原理・原則を欠いた組織運営を助長し、計画的、体系的な統合を不可能にしてしてしまう結果に陥りやすい。」

事例として、東条英機が首相、陸相、参謀総長を兼務した事例が挙げられていますね。・・・縦割り行政の調整がうまくできず、安倍さんが首相と内閣府(官僚人事権を掌握)の長を兼ねて対応しようとしたのと似てます。さらに「内閣総理大臣は自らを助けるものとして内閣府に内閣府特命担当大臣を置くことができる」ので、安倍さんは補佐官として西村コロナ対策大臣を置いてます。

が、融通無碍な行動(政治判断)を許容するが、他面、原理・原則を欠いた組織運営を助長し(だから国民向け放送できちんと説明できない)、計画的、体系的な統合を不可能にしてしてしまう結果(首相がPCR検査を増やすと言っても、実数が増えない)に陥りやすい ってわけね。