豪華な馬具と火縄銃の道具を見に行こう! 西尾市資料館企画展

西尾城跡にある西尾歴史資料館へ行ってきました。6月1日まで開催している企画展「侍ー戦いの装い」を見るためです。 月曜休館午前9時から午後5時まで。無料。

鎧兜や刀剣の鍔なんかが飾ってありますが、僕の目的は、展示品の中にある「瀬門神社の馬具」を見ること。それから火縄銃の道具で、めずらしいものがあったのでご紹介します。 写真禁止なので、文書だけだけど (フラッシュ禁止で撮影させてほしい!)

①瀬門神社の馬具

瀬門神社と言うのは、西尾市吉良町にある神社です。由緒はよくわかっていませんが、源頼朝が、奈良東大寺の再建のため上洛するにあたり参拝、本殿を修復した そうです。その後、徳川家康が、近くの東条城攻略のため戦勝祈願した とか有名人の名前がちらほらする古刹。場所は吉良町瀬戸。地元的には「アイシン高丘工場の南」

この神社は秋の祭礼で馬駆けをやるそうで、馬具が愛知県の重要文化財に指定されています。祭礼の時以外は見られませんが、この企画展に出されています。

見てびっくり。すごく豪華な工芸品じゃないの!

企画展のチラシより

チラシ右下に出ているのが、室町時代(永禄二年)の鞍「梨字地沢潟紋蒔絵鞍」です。 鞍(くら)は馬の背に載せて人が跨るもの。木製だと思いますが「蒔絵」というぐらいですから、漆塗りに金粉を「蒔く」ことで絵を描いている大変高価なものです。

左上は、それと対になる鐙(あぶみ)です。あぶみってのは、鞍から垂れ下がり、人が足を載せるところですな。こちらは江戸時代の「雲雨紋象嵌鐙」と言います。足が載る部分に光沢をもつ貝殻がちりばめられていますから、象嵌(ぞうがん)の一種「螺鈿(らでん)細工」が施されている、やはり高価なものです。

螺鈿・・・貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。螺は貝、鈿はちりばめることを意味する。

他にも数点、瀬門神社の鞍と鐙が展示されています。馬駆神事は三ヵ村の共同行事なので、村々で競い合って豪華な馬具を造ったんでしょうが、それにしてもすごい立派な工芸作品です。どこから金が出てるんだろ?

※瀬門神社は、吉良上野介の領地の北端に位置しますから、スポンサーは吉良家かなあ??

まあその詮索はともかくとして、立派な工芸品ですし、見るのは無料なんでおススメです。ただね、せっかくいいものを展示するんだから、きちんと展示品解説をつけてほしいよね。資料館なのに、なーんにも説明されてないんだもん・・・。喝!

②火縄銃の道具

火縄銃そのものも展示してありますが(たしか常設展でも)、みて珍しかったのは「早合」という早く銃を撃つための準備弾? が展示してあったこと、「雨覆い」という、火縄銃の火縄を雨から守る道具が展示してあったこと。(うーん、マニア💛)

火縄銃ってのは撃つのが大変面倒なんですね。順番を説明すると

  1. 銃口(銃の先端)から火薬を挿入
  2. カルカという銃に付属した棒で火薬を奥底まで押し込む
  3. 銃口から鉛玉を挿入する。転がり落ちるのが心配な場合は、紙か布を押し込んで固定する。
  4. 銃床(銃の後部)の火皿に導火薬を口まで充填し、火蓋を閉める(引火防止)
  5. 火縄ばさみに、点火した火縄を挟む (これで射撃準備完了)
  6. 的とか敵へ照準を合わせる
  7. 射撃直前に火蓋を開け、火縄ばさみに連動した引金を引く(発射!)・・・引金を引くと火縄ばさみが火皿に落ち、火縄の火が導火薬に引火、それがさらに最初に詰めた火薬に引火し、その爆発力で鉛玉が飛んでいく
    モト画伯画「火縄銃」のしくみ(笑)

    ふう。こんな感じなんで「連射する」のは無理ですし、銃の先端から火薬を入れ「つき固める」作業があるんで、「腹ばいになったまま次の玉を打つ」ことすら困難です。

そこで「早合」の登場!これは和紙にあらかじめ火薬と銃弾を納めて、和紙の両端をひねって留めておくことで、銃口から入れてカルカで一度つけば、順番3.までが一気に終了する便利なものです。最も展示されていたのは紙が黒く塗られていたので、漆が塗ってあるのか?、実用品か?とは思いましたけど。

 

また、火縄銃の点火は文字通り「火のついた縄」で行うので、雨が大敵。そこで「火縄ばさみを含む部分を防水性の何かで覆ってやればいいんじゃね?」というアイディアが登場します。これが「雨覆い」です。 たぶん和紙で作られ、雨よけに漆が塗られています。しかし「大きな箱」なんで、照準を付けるのにめっちゃ邪魔になりそう。平和な時代の装飾品だったんすかねぇ?

余談1 海外から火縄銃がやってきて、貧乏日本人は見よう見まねで国産コピーを造ろうとしました。銃身は熱く熱した板金を丸め、帯金で補強して造りました。ここまでは日本刀の鍛錬技術でどうにかなったようです。しかし、尾部の栓がどうしてもできませんでした。これ、「ネジ」でとめるんですけど、雄ねじ(ねじ)はともかく、雌ねじ(銃身でねじが入っていく溝)をどう切っていくかが分からんかったらしい。んで、南蛮人に教えを請い、雌ねじを切る「タップ」という工具の技術を習得したそうな。

 

長い余談2 火縄銃は、(1)点火に火縄を使うんで取り扱いが面倒(2)発射した弾が直進せず、命中率が良くない(3)立って銃口から弾丸と火薬を入れ、棒で突かないと弾込が終わらない(先込式)=操作が面倒だし撃たれる可能性が増すから野戦に不向き という欠点がありました。

江戸時代の日本では銃の改良はご禁制だったので、銃の進歩はなかったけど、その間に西洋列強では銃の改良が進み、それぞれ解決策が見つかりました。

(1)火打石を使用する方法が発明される (その後雷管を使う形に)

(2)銃身内部に「らせん状の溝」を刻み、弾丸がこれを通って発射されることで回転がつき直進性が上がり、命中率をあげる方法(施条銃:ライフル)が発明される。当然、弾も火縄銃の丸鉛玉ではなくなり、今の弾丸のような流線形?にかわります。

今の銃はすべて施条銃ですが、施条銃から放たれた弾丸にはその銃特有のらせん傷がつきます。刑事ドラマで「弾丸の施条痕(ライフルマーク)を調べる」のは施条銃だから有効な調査なのです。火縄銃を凶器にした場合、滑腟銃なので施条痕がないんですね。ま、弾の形からすぐわかっちゃうけど。

(3)じゃあ、手元で弾込できるようにしよう(元込式)。火縄銃は「先込式」です。元込には銃身の強度を上げる技術開発が必要でしたけど。

んで、これらの改良された輸入銃が日本の戊辰戦争(1868〜1869)に流れ込んだってわけ。最も多い三種類は

  • ゲベール銃(1)の欠点を改良した火打石式先込滑腟銃 (オランダ製)
  • ミニエー銃(1)と(2)の欠点を改良した火打石式先込施条銃
  • スナイドル銃 すべての欠点を改良した火打石式元込施条銃(イギリス製)

※ミニエー銃にはミニエー銃(オランダ製)、エンフィールド銃(イギリス製)やスプリングフィールド銃(アメリカ製)を含む

幕府軍の主力はゲベール銃でミニエー銃もあり。薩・長軍の主力はミニエー銃。後半ではスナイドル銃も装備され、兵器の差は大きかったようです。そりゃ命中率とか効率とか、素人でも違うよな〜 って思うもんね。

参考文献:奥村正二「火縄銃から黒船まで~江戸時代技術史~」岩波新書

幕末期の小銃については、「幕末期の銃って買えるの?大河ドラマ『西郷どん』の変わった楽しみ」をどうぞ!(2018.05.27追記)

 

檜皮

最近、縁あって?檜の間伐作業に関わりました。

倒した檜(ひのき)の木を用材として使うには、皮むきが必要になります。ってことで、檜の皮むきをやってみたのだ!

Before

これが原木。木を倒して枝を払った後、用途に応じ2~3mに輪切りにしてあります。この皮を剥きませう。

取り出したるは「鉈(なた)」。これで木に縦に筋目を入れ、皮と身?の隙間に鉈をこじ入れ、てこの原理で少しづつ剥がします。ある程度剥がれたら、ヘラみたいな道具を差し込み、バターを薄く切るようにビローンと引っ張ると・・・

ムキムキ

こんなかんじで皮がビローンと剝けます!

ここで理科の授業。この写真では良く見えないのですが、木の皮と身の間には、根から吸い上げた水を枝葉の先端まで届ける「道管」があり、伐採直後はその水分に溢れたこの部分はヌメヌメで、簡単に皮が剥げるのです。(「道管」という知識は、もちろん僕もあったけど、手を置いたらつるっと滑るほど水分に溢れ、その為皮がすんなり剥けるなんて、体験しないとわからないな)。

伐採後時間が経つにつれ水分が蒸発するので皮が身に吸着し、だんだん皮剝ぎが困難になっていくのです。すなわち「切ったらすぐ剥け」。

ってことで発生した檜の皮がこちら。枝や節がなければ、長方形の長い皮が手に入ります。この皮何かに使えそうですが・・・

檜皮

と昔の人も思ったらしく、この皮で屋根を葺くことを考え出したのです。これを「檜皮葺(ひわだぶき)」と言います。檜の皮を「檜皮(ひわだ)」と言うんですな。

「檜皮葺」を使った建物としてパッと思い浮かぶのは、奈良は室生寺の五重塔。 山中の森に囲まれた場所に、小さな五重塔がひっそり建っています。

建物の建材は檜、屋根材は檜皮です。おそらくその地に生えていた檜を切り出し、皮まで建設材料に転用したのでしょう。外(下界)から運ぶ資材を最小限にし、懐(運搬賃)にも環境(ゴミ減、運搬影響減)にも優しく、周りの木々と調和もバッチリな「最先端エコ建築手法」。檜の木自体も耐久性に優れているっていうし、完璧!

てか、檜皮を葺く屋根は出雲大社本殿、厳島神社本殿、御所紫宸殿・清涼殿などに使われる、大変格式の高い屋根材でした※。

西尾市内では、金蓮寺弥陀堂(国宝)が檜皮葺です。

金蓮寺弥陀堂

wiki「檜皮葺」曰く。「世界に類を見ない日本独自の屋根工法」だそうで・・・そりゃまあ、檜は日本と台湾にしか生えてないから、日本独自で間違っちゃいないけどな(笑)。

檜皮は断熱効果が高く、湿度の調整にも優れているので、日本の建物には非常に適しているそうな。特に湿気の多い山間に建てられることの多い寺院の建築には、重宝したことでしょう。

てなことを考えているうちに作業終了。あ、この写真で、水分で表面がツルツルなの分かりますか?

「モトは白く輝く檜の建材と、屋根材である大量の檜皮を手に入れた」( ´艸`)

昔は、檜皮を採取する人:原皮師(もとかわし)という職業があったようです。

ただし、実際の檜皮採取は「立木から皮を剥ぎ、採取後再生を待つ。再生した皮が高級品」だそう。ってことは道管までは向かないんだな、きっと。(道管まで剥くと、立木が枯れてしまいます。その性質を使って、皮むきを省力化した間伐に利用する方法もあるそうな いろいろ考える人がいて、おもしろいですなあ。)

さらに調べてたら、 昔は檜皮を 採取する職人:原皮師(もとかわし)という職業があったそうです。

ここで一つ大事なことを。建材として使うにしても、屋根材として使うにしても、枝がある木は材木としての価値が大幅に下がります。建材としては「節」になるし、皮も枝の部分が「穴」になりますから、屋根材としては使えなくなるのです。

つまり、檜を材木として使うには「枝打ち」作業が必須。それをやらない木材は、材木としては使えないのです。 写真の木は良い位置を選んで撮影していますが、この林も枝打ちはしていませんので、材木としての価値は低いな。

まあ、うちは建材にするわけじゃないんで、使える部分は皮を剥いてこのまま放置して乾燥させ、乾燥して軽くなったら山から下ろして加工することになるでしょう。

 

しかしまあ、今の時代、山の中に分け入って、一本一本の檜の木の枝打ちをやるほど人手も予算もないご時世でございます(てかすげー重労働!)。

日本は世界に冠たる森林国であり、はなはだ残念なことですが、少子高齢化、東京圏への人口集中が進むこの国では、檜皮葺きなんてのは持続不可能な伝統技術になりつつあるような、気がします。

 

※よく似た屋根材に「杮葺(こけらぶき)」があります。これは檜を含む「木材の薄板」を用いるものです。実相寺の釈迦堂は「杮葺」です。

実相寺釈迦堂

檜皮葺きも杮葺きも、細長い材をずらしながら下から平行に重ねて並べ、竹釘で止める施工法で屋根を葺くそうです。これも人手と予算ががかかるなあ。