ひさかたの 光のどけき 春の日に

この歌はこのあと、静心(しづごころ)なく 花の散るらむ(紀友則・百人一首) と続き、桜の花が散っちゃうので、もう少し先の時期の歌でございますが・・・

本日はこの春一番の暖かい日曜日。花見などにもってこいでございます。

が、私の理論では、みなさん「花見」ではなく「人見」に行くのでございます。何せどこへ行ってもすごい人ですからね。 そういう天邪鬼は、家に引きこもり、自宅で花見をするのでございます。まず梅。

梅満開だよ。

ここで一句。

「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花  主なしとて 春な忘れそ」

菅原道真の句です。

春になって東風が吹いたら、花を咲かせ香りを届けてくれ、梅の花よ。 私がいなくとも、咲く春を忘れないでくれ。

道真君は優れた学者(後に「学問の神様」になるくらいですから)で、時の天皇の覚えもめでたく、右大臣(副総理)にまで出世しました。

しかし時は摂関政治の勃興期。摂関政治というのは、「藤原氏しか偉くなれないシステム」ですから、非藤原氏(菅原氏)で高い官職にある道真君はとても邪魔な存在。

藤原氏は首尾よく「えん罪」をでっちあげ、道真君は右大臣から大宰権帥へ左遷されます。

大宰権帥は福岡県にあった「大宰府」の次官です。大宰府は中国との交易の窓口を務め、九州を統括する役所です。地方官としては有力所。大宰帥(長官)は京都にいる皇族が名目上就くことが多く、「権帥」が実質トップ。ですが大宰府へ赴任する必要がありました。 京都からははるか遠方の地。

ここを利用して、左遷ポストとしても利用され、その際は「大宰員外帥」という文字通り左遷ポストを与えられます。道真君はこちら。正規の帥・権帥とは違うんです。まあ、ある種の流罪。

その道真君が左遷される直前に、京都で梅見して歌った歌がこれ。彼は京の梅を思いながら?現地で無念のうちに死去。

死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象になりました。学問の神であると同時に、著名な怨霊でもあります。

ちなみに、「東風」は氷を解き、春を告げる風という意味で「こち」と読みます。したがって、先ほどの歌は「こちふかば にほひおこせよ うめのはな あるじなしとて はるなわすれそ」と詠みます。

 

ハナモモ

こちらはハナモモ。桃といえば・・・「桃園の誓い」かなあ。

桃園の誓い(とうえんのちかい)は、『三国志』の劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話のこと。

「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし。」   wukiより

まあ作り話ですけど、「日本人の好きな話」ではあります。が、日本人には、「同日の死を望むような重い兄弟の契り(幇(ぱん)みたいなつながり)」が、よく分からんのですなあ。

参考記事:『三国志演義』批判が始まった中国

それはさておき。この桃園は張飛の家にあったというシナリオも。肉屋さんだった張飛が、三人の中では一番いいおうちに住んでた(笑)。ちょっと意外だよね。

 

急激に温かくなってきたからか、家の裏側では、椿が満開・・・とまだつぼみだらけの木も残ってますなあ。

椿

月曜日に雨が降ってまた寒くなるみたいですし、しばらくは暖かくなったり、寒くなったりを繰り返します。この状態を「三寒四温」って言いますけど、本来は冬の季節を指す言葉だったらしいですね。

三寒四温(さんかんしおん)とは冬季に寒い日が3日ほど続くと、そのあと4日ほど温暖な日が続き、また寒くなるというように7日周期で寒暖が繰り返される現象。朝鮮半島や中国北東部に典型的に現れる現象で、日本でもみられる。一般に寒い日は晴れで、暖かい日は天気が悪い。日本では本来は冬の気候の特徴として使われたが、最近では春先に使われることが多い。 wikiより

 

番外編

温まったコンクリートでゴロゴロする、この方も幸せそう。まあこの方はいつも幸せそうですけど!

干支の話

えーと、長い冬休みを取ってました。僕、毎日休みなんですが、それでもブログを更新しない・・・いかに人間は堕落しやすいかのお手本みたいですね。ここで思い浮かぶのは・・・故人曰く「小人閑居して不善を為す。※」

ま、まだ悪に染まってはいませんけど・・・とすがる様に、何か都合の良い続語がないかネットでことわざを引いてはみましたが。

【英語】By doing nothing we learn to do ill.(何もしないでいる人は悪事をはたらくようになる)
【用例】 「小人閑居して不善をなすと言うが、仕事をやめてからというもの彼は毎日競馬場通いをしている。いずれ身を滅ぼすだろうね」    故事ことわざ大辞典

げに恐ろしかことが書かてありもんそ。そういや、西郷どんの言葉にも、こんなのがごわした。「児孫のために美田を買わず」

よい田地を買うなどして財産を残せば、子孫は仕事もせずにのんきな生活を送ることになり、かえって子孫のためにはよくないことから。

ふ、ふーん! 家の畑で野菜造り楽しんでるけど、美田じゃないもんね!!!

閑話休題。

干支って言うと、年賀状でおなじみの「えと」と読み「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の十二支の意味で知られていることが多いですね。ことしは「戌」つまり戌年ですわなあ。おかげで犬山市が注目されてるわけで。

ですけど、本来干支は「かんし」と読み、「十干」と「十二支」を組み合わせた60を周期とする数詞 なんだそうです。 (wiki「干支」を読んでな。)

十干とは「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10種類。

昔は順番を表すのに、「甲・乙・丙・丁・・・」って使ってました。(軍艦マニアの僕がパッと思い浮かぶ用法は、巡潜甲型、巡潜乙型、巡潜丙型、輸送用丁型とかですねえ。)

横道にそれては遺憾。組み合わせは12×10で120周期でないとおかしくない? 僕も思ったんですけど、こう使うそうな。

甲子(1)、乙丑(2)、丙寅(3)、丁卯(4)・・・ときて、十干の終わる癸酉(10)の続きは、甲戌(11)に跳び、また続いていくわけですな。だから「甲丑」ってのは存在しないわけ。60ありきのような気もしますけど、これが決まりですから(笑)。

こうしてみると、いくつか知ってる単語が出てきます。

5番目の「戊辰」・・・戊辰戦争と言えば、新政府(明治政府)軍と旧幕府軍が戦った内乱ですが、この名称は戦いのあった慶応4年/明治元年の干支が戊辰だったからです。

9番目「壬申」・・・壬申の乱ですね。天智天皇の息子と天智天皇の弟が、次の皇位を争った内乱。この時は弟が勝ちましたな。弟が勝って天武天皇になります。天武天皇元年が干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたります。

おうおう、日本の内戦は干支で呼ぶことになってるのか!ちなみに、明治十年の西南戦争を、鹿児島では丁丑戦とも呼ぶそうです。明治元年が5番目の戊辰だから、10年後の干支は14番目の丁丑でぴったりですな。

 

それから、各地で「庚申」とか「甲子」と書かれた石碑を目にすることがありませんか?

庚申の日は、人間の体内にいるという三尸虫(さんしのむし)が、人が寝ている間に天帝にその人の悪事を報告しに行くこと防ぐため、夜通し眠らないで天帝を祀って宴会などをする風習がありました。

甲子の日は、子の刻(午前零時頃)まで起きていて大黒天をまつる風習だそうです。

いずれも講(あつまり)を造ってやっていたのですが、60年に一度「庚申」の年、「甲子」の年がやってきますので、そのタイミングで、石碑を建てることもあったようですね。

何せ、人間五十年(信長の好きな敦盛の唄)の時代に、干支が一回りする60年間生きて「還暦」を迎えられるのはめでたい事だったはずです。その人が語る60年前の話は、自分に直接繋がる話ですから、「我々が安穏に暮らせるのも、ご先祖だか、神様のおかげだべ。石碑ぐらい立てるか~」って思ったのかもしれませんな。

20年近く前に「20世紀がおわり新世紀(millennium)が来る」ことを祝ってる人たちがいましたが、前の100年期が終わり、新しい100年期が来る・・・なんてどう祝っていいかあんまり実感ないですよね。(おおざっぱに明治元年が今から150年前。)

それに比べると「新干支」を迎えるってのは、はるかに我々の身の丈にあった、実感のある慶事だったのではないでしょうか。

 

干支は中国からやってきているので、かの国でももちろん使われています。歴史上身近なのは、三国志の時代。黄巾の乱のスローガンですな。

時の政権(漢王朝)の転覆を目的に武装蜂起した張角のスローガンは「蒼天已死 黃天當立 歲在甲子 天下大吉」(蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。歳は甲子に在りて、天下大吉)です。スローガンは長いんで、役所の門などに「甲子」の二文字を書いて呼びかけた。そうな。(wiki黄巾の乱)

このスローガンは、「易姓革命(漢朝が死に、新たな王朝が始まる)」+「五行思想(シンボルカラー青が滅び黄が起こる)」を主体に訴えていますが、ちょうどよく西暦184年が甲子の年だったんで、蜂起してかっこいいスローガンを掲げるにはちょうど良かったんだな。この年、劉備は関羽、張飛等と義勇軍を結成し、KOEI「三国志」の幕が開けるのであります。いや、吉川英治でもいいんだけど(笑)。

まだ日本は弥生時代だけどね。 女王卑弥呼の使節が、238年に魏国(曹操が建国)に使いし、帝から「親魏倭王」に任じられました。

俗にいう魏史倭人伝は、 中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称です。

 

あと、十二支は、方位を示したり、時刻を示すのに使われますね。

船の操作をするとき、「とりかじ」「おもかじ」って言いますけど、あれは「酉舵」「卯の舵」がなまったもの。

「草木も眠る丑三時」と言えば、キョンシーや幽霊が跋扈する時間。良い子は外で遊んでちゃいけません。

丑の刻は午前2時を中心とする約2時間。「丑三」(うしみつ)は、丑の刻を4分し、その第3に相当する時、すなわち、午前2時頃から午前2時30分頃まで

 

 

 

 

 

 

※出典は「大学」っちゅう本のようです。じゃあ「小人」の対語である「君子」はどうなのかというと、「其の独りを慎む」・・・他人が見ていない場合でも言動を慎み、みずからを欺かないようにする そうです。