碧南 貞照院

碧南の貞照院ってところに、藁ぶきの山門があるよ〜 って教えていただき、見に行ってきました。 門内がきれいに清掃されたお寺のようで、ネットで見ると、なかなか人気のあるお寺のようです。

山門

なるほど、いい風情のお寺ですね。庭もきれいです。

庭ももちろん良いのですが、僕的には「このお寺は河岸段丘の端の高低差のある地形を、うまーく利用して造られているな」 ってところに興味が行きました。 googleマップの航空写真でみると、こんな感じ。

うーん・・・現地で見ると一目瞭然なんだけど、航空写真では分かりにくいですね。この場所をデジタル標高地形図で見る東海地方「西尾」でみてみましょう。

分かりやすくなったかな? まず、右下の堤防で囲まれた部分が「矢作川」です。矢作川を含めた青色の低地は、江戸時代以前は海の入り江で遠浅の海だったのです。 貞照院のある水色の部分は陸地。

入り江の上端に矢作川の新しい河口が掘られ、陸域の上流から大量の土が流れてきて遠浅の海は浅くなっていきました。そこを江戸の伏見屋(三宅又兵衛)が資金を出して新田開発したのです。新田の名前はもちろん「伏見屋新田」!。 現在も伏見町という地名として残ってます。 詳しくは碧南市のHPをどうぞ

で、このような地歴史が貞照院にも繋がってくるのです。なにせ寺の起源が「伏見屋新田を開拓した三宅又兵衛の縁者が元禄年間(1688~1704)に草庵を築いたことに始まる。」そうでございますから。草庵は、伏見屋新田を望む小高い丘の上に造ったので、水害時における新田からの避難所としての役割もあったのかもしれませんね。

おまけ

貞照院門前の碑 「不許葷辛酒肉入門内」

「酒、肉や臭いの強い物(ニンニク、ラッキョウ、ネギとか)を寺内に持ち込むべからず」ですね。まあ、酒を例にとると「般若湯」という「方便」もありますようですが(笑)。

隣の霞浦町にある「霞浦神社 (かほじんじゃ)」には碧南市でもっとも古い木があります。

霞浦神社境内の「欅(けやき)」である。その樹齢、推定600年とされる。碧南市域最初の新田である平七新田が完成したのが寛文3年(1663)。 ということは、この欅は当地が海岸線であった頃には存在していたことになる。 高さ15メートル、幹回り4.6メートルという大樹であり、碧南市指定の天然記念物である。

トボトボ歩く碧南市

「霞浦」って地名、関東の人は「霞ケ浦」を連想しちゃいますよね。霞ケ浦って今は淡水湖ですが、昔は海の入り江で、それが砂州や河川の堆積物で閉塞されて汽水湖になり、水門により淡水湖になった経緯があります。 霞ケ浦も霞浦も、大昔は似たような風景だったんでしょう。

西尾で津波・高潮に備える

下の二枚の図を見比べて見てください。

分かりやすいよう、国道247号に着色、両地図の同地点(河口とか)に同じ印をしてます。

左の図の原本は「西尾市地震・津波ハザードマップ」です。東海・東南海・南海地震の被害予測結果に基づいて、津波の浸水想定区域をしめしています。地震で堤防が1/4〜1/2に沈下した場合を想定しているようです。

右の図は、昭和28年9月16日の台風13号による西尾市の浸水被害状況です。台風の規模は大きくなかったのですが、この日がたまたま大潮で、しかも満潮と台風による高潮が重なり、何カ所かで堤防が切れ、冠水したのです。

地震による津波の浸水被害想定と台風による高潮による実被害。ですが、図をよく見ると、両者の浸水範囲はずいぶんよく似ていることが分かります。

津波と高潮の違い

ともに海の波が沖合いの方から盛り上がって、海岸や沿岸の方へ押し寄せる現象としては同じようなものですが、その原因によって区別しています。津波は地震によって起きるものですが、高潮は主に台風や低気圧による海面の吸い上げが原因です。昔は津波と高潮の区別がはっきりしておらず、すべて津波と呼んでいた時期もありました・・・ koka net

津波と高潮、発生要因が違うだけで、波が沖合から盛り上がり押し寄せる現象 としては同じですから、あとは波の高さ(=エネルギー)による規模がいろいろあるだけです。そして陸地の地形もかなり影響します。

西尾市南部は、ほぼ海面と同レベルの低地ですから、堤防が切れると現在でも相当の被害が発生します。青色の部分は水面から2m程度の標高しかありません。詳しくは 下の標高図をご覧ください。 デジタル標高地形図

西尾標高図

じゃあどうしたらいいんだろう?

リンクを張った西尾市のハザードマップを見て、自分はどうするべきかよく考えましょう。基本は襲来する前に高台へ避難すること。できなければ、二階へ。