西尾市の文化財(10) 御剣八幡宮(西尾城跡)

スポンサーリンク

西条吉良氏の居城、そして西尾藩の拠点であった西尾城跡、そしてそこにある御剣八幡宮です。

西尾城は妙な城で、本来城の中心たる本丸には、神社(御剣八幡宮)が鎮座され、二の丸が城の中心である御殿や天守閣がありました。

以下は勝手な推察です。

本丸は絵図を見る限りほぼ方形ですので、室町時代は城ではなく「武士の館」だったのかもしれません。たとえば、こんな感じね。その武士が死んだので神社が勧誘され、しばらくは神社だった。でも地形がいいから、後代にそれを中心に拡張し、城に仕立てたと。だから本丸には神社があり、新造した二の丸に、御殿や二の丸を建てたんじゃないかと。

本丸と二の丸(正保城絵図)

閑話休題。写真の上側の廓が本丸、下側の廓が二の丸です。城の建物は、神社を除き廃城のおりすべて破壊されました。ただし絵図の本丸左隅に書かれた三層の丑寅櫓が、現在城の目玉の一つとして復元されています。絵図を見ると、城は土塁で覆われ、主要部のみ石垣を使ってますね。(鉢巻石垣?)

丑寅櫓

御剣神社(本丸左隅に赤く書かれてる部分)の由来について

三河国守護に任じられた足利義氏が、西条城の築城にあたり、源氏重代の宝刀「髭切丸」を奉納したので、御剣八幡宮と呼ぶようになったそうです。

その宝剣は源頼朝も所持していたと伝えられ、実在すれば、国宝か重要文化財だったのでしょうが、西尾市の文化財リストには載っていませんから、少なくともここには無いのですね。※

・・・一応、神社の建物等は、市の文化財に指定されています。

※一説では、髭切は鬼切とも呼ばれ、現在は京都の北野天満宮にあるようです。

御剣八幡宮本殿

二の丸の右下に描かれているのが西尾城天守閣で、現在ここは石垣のみが復元されています。ずいぶん立派な石だなぁ。

復元天守台

地元の幡豆石を使っているそうですが、本丸の石垣の石とは種類や大きさ、積み方が違ってますな。史実がどうだったのか不明ですが。さらに天守台はコンクリートで固められている等、見栄えはイマイチ。安全面やコストからすると仕方がないのか・・・?

比較 本丸の石垣

二の丸御殿の跡地は、現在芝生広場になっています。昔はここに市立体育館がありましたね。

天守台から二の丸を望む

また、城の西側(シャオ方面)は、低地、昔の絵図だと「深田」になっており、城が台地の端に築かれ、地形をよく見て造られたことが分かります。

天守台から西側を望む

あ、そうそう。7月9日(日曜日)に、西尾城に関する講演会がありますよ。興味ある方は、申し込みが必要だそうなので、忘れず申し込みをしてくださいね。

日時 平成29年7月9日(日曜日) 午後1時30分から午後3時 ※開場午後1時
場所 西尾市岩瀬文庫 地階研修ホール
講師 広島大学大学院教授 三浦正幸 氏「独創性に溢れた西尾城の天守と櫓」
定員 70人 ※申し込み多数の場合は抽選とさせていただきます。
申込方法

6月27日(火曜日)(必着)までに、郵便往復はがきで文化振興課「西尾城講演」係(〒445-0847 亀沢町480)へ。

 

 

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください