犬山散歩1  (名鉄株主優待利用旅)

名古屋鉄道200株保有のご褒美、株主優待券が来ました!  1番の優待は、無料片道乗車券が4枚。途中下車無効ですが、これは旅に出なければ。名鉄は、愛知県と岐阜県の一部を走っているだけですが、路線がたくさんあるのです・・・さて、西尾からどこへ行こう?

地図で読み解く名鉄沿線  より

「犬山」にしましょう!国宝「犬山城」と「如庵」が有名ですが、空襲を受けなかったので、昔ながらの町並みが残ってもいます。  

名鉄グループとしてもリトルワールドや明治村、日本モンキーセンター等開発をしてきた観光重点区域です。関東圏で例えると、富士急グループにおける富士吉田市(富士急ハイランド)みたいな位置づけかな。名鉄株主としては一度見ておくべきだ(後付理由)

本当は、犬山から出ている広見線の終点、御嵩まで行って、願興寺と中山道御嵩宿も見るつもりでしたが、当日は大雨で広見線は止まっておりまして・・・隅っこ制覇はまたの機会に。

犬山駅。マンションと同化しております。築30年超1Kで4.5万と格安だな。

ということで、一日目は犬山駅まで移動して、駅前にある「ホテルミュースタイル犬山」に宿泊します。このホテルは名鉄グループ経営なので、直接予約(公式HPでOK)すると株主様は20%オフで宿泊できます。朝食付き12,500円→10,000円になるのだムフフ。  まあ、楽天トラベルでも11,000円くらいで予約可能だったから、いまいちお得感ないが。

高級ビジネスホテルか、シティホテルっていう位置づけ。新しいし悪くないホテルです。  でも、こんなに室数があって黒字経営できるのかねえ?    近くにはやはり名鉄グループのインディゴ犬山有楽苑(将棋の王位戦・藤井聡太VS豊島将之の開催会場)という高級ホテルもあるし、うまく棲み分けできるかな・・・株主様はちょっと心配だよ・・・

犬山駅前には屋台ラーメンの店(常設)があります。500円でこのラーメンが食べられるのは、とてもよろしいです。量は少なめですが、100円で替え玉できるし、飲んだあとの締めに大変よろしいです(google map評価4.0)。ゲフ〜。替え玉頼んで腹苦し・・・

7月7日追記。  地元・中京テレビのニュース番組キャッチの「名鉄犬山線ぶらり旅〜犬山駅編〜」で、この店も紹介されていました。帰ってきてすぐだったので、びっくり。

翌朝10時、観光案内所でもらった「犬山城下町マップ」を片手に散策開始。 犬山城下町は食べ歩きで有名なんですけど、この日は平日月曜日のうえに雨だったので、歩いているのはモノ好きのみ(てか、写真は誰もいねーよ)。僕好みの「静かな街歩き」には最適ですけど。

犬山城天守閣を正面に臨む、本町通り
本町通りから横に入った魚新通り  右側の家の2階は、ベンガラ塗りかな?

城下町に「本町と魚町」って、商店街としてつきものなのかな?西尾の旧城下町界隈にも、本町と肴町がありますもの。犬山ほどまとまった風情のある町並みが残っていないのは残念ですが。

商家の写真をいくつか。

魚新町通りの旧家(酒屋だったか?)こちらの二階は丁寧に仕上げた土壁のようだね。
魚新通りからさらに横道に入ったところにある造り酒屋

ここまでの3軒は、「犬山城下町マップ」には記載されていません。  実際に人が住んでいたり、観光客がわんさか来ると、近所迷惑になるから・・・かもしれません。でもまあ、「こっち行ったらいいものありそう」というような感じでフラフラ歩いてみると、「おおっ」というような建物を見つけることもあります。  これはこれで楽しい。

ちなみに、最後の写真の造り酒屋は、帰ってから検索すると「小島酒造」さんと言って、朝鮮由来、一子相伝の忍冬(にんとう)酒を売る有名店のようです。にんとう ってスイカズラのことで、スイカズラと米を発酵させるこの酒、犬山藩主成瀬家から徳川将軍家への献上酒だったそうです。    買ってこればよかったなあ・・・

無料で公開されている旧磯部家住宅  これは別記事で紹介。

そのあと、犬山城拝観はパスして(行ったことがあるから)、国宝の茶室「如庵」のある有楽苑へ。  入園料1200円(高杉!。ただし、株主様は600円に優待されます。  株主でなければ、「国宝犬山城と日本庭園有楽苑(国宝茶室如庵)のセット券(1,450円)が、お得ではありますが・・・でも、やっぱ高杉」

ご覧のとおり、有楽苑とは、城の天守閣を借景とした大名庭園☆なのかなと思いますよね。でも、これは民間企業である名鉄グループが、あちこちから古い建物(文化財)を移設した上で作った私設庭園なのです。(明治村も似たような施設だね)庭園や建物の維持にお金かかるし、高くても仕方ないのか・・・

(☆岡山の後楽園、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とかが有名)

有楽の名は、織田信長の弟で有名な茶人・文化人であった織田有楽斎(長益)から来ています。その有楽が京都に作った如庵という茶室(国宝)も、移設したものの一つ。

有楽の好みは、師匠の利休とはまたちょっと違っているようで・・・とは無料ガイドさんの言葉です。茶器とか建物とか見てるとたしかにそうなのかもしれないなあ  とも感じました。詳しく知りたかったら、漫画「へうげもの」でも読めば付け焼き刃くらいにはなるかも(僕も途中までしか読んでないけど)。

奥のが如庵。内部は撮影禁止。天窓もついて「明るさを求めた茶室」というのは珍しいかと。
大宇陀の徳源寺から移設した唐門。徳源寺は、信長の息子・信雄の家系(大和宇陀松山藩)の菩提寺。
室町時代、伝細川邸の門  を移設したもの。この屋根の形を「船底天井」って言うんだって。

ちなみに・・・愛知県にある国宝の建築物は3つ。犬山に2つあります。犬山城天守と如庵ですね。そして最後の1つ、金蓮寺弥陀堂  は、我が西尾市にあるのです。しょぼいけどな。

西尾の文化財(5) こ、国宝 金蓮寺弥陀堂

このあと、瑞泉寺という古刹を見てたら雨がひどくなったので、ここを最後に帰ることにしました。  瑞泉寺旧磯部家住宅は別記事として書くことにします。

富士山周遊その3 富士吉田のうどんから

富士吉田の名物といえば、「吉田のうどん」ですよね。僕はうどん大好きなので、たいへん期待して食べに行きました。

お店は、平日でも地元の人で賑わうという 「手打うどん 麺許皆伝」さん。 11時10分くらいに入店しましたが、15分すぎには満席となり、外に行列ができるほど。GW開けの平日なんですが。

欲張りうどん(650円)に大盛りを追加(+100円)を注文。(向こうに写っているのが「普通盛り」です。)

うどんの上に、油揚げ、キャベツ、ワカメ、牛肉、ちくわの天ぷらが載っています。

なんで吉田のうどんが有名なのか

織物産業が好景気だった昭和初期、一般家庭で織機を動かしている女性に昼食の準備をかけさせないよう、織物を扱う女性の手が荒れないよう、男性がうどんをつくっていたため、コシのあるうどんが主流になった。

また、織物を売り買いに来た人たちの食事の場として、うどん屋が繁盛したようです。

ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民族博物館)の展示解説本 より

確かにとても腰のある、非常にうまいうどんでした。 これくらいコシがある麺が個人的には好みなのですが、そのぶんずっしりと腹にたまります。トッピングを混ぜて食すと、「おれは今、うどん二郎を食してる!」という感じです。(マシマシはないけれど)

うどんいっぱいで腹一杯「もう入りません」状態になれます。 幸せ♡。

この感じ。好きな人にはたまらないでしょう!

富士吉田の町を走っていると「ほうとう」の店も目立ちます。ほうとうは1人前1700円くらい。 昔は、野菜が主で小麦の消費量の少ないほうとうが普段の食事「ケ」で、小麦の麺主体のうどんが「ハレ」の日のごちそうだったのでしょうが、今やすっかり逆転してますな。

今や日本で消費する小麦粉はほとんど輸入品だから、近い将来、また昔みたいに、野菜(さすがに国産)主体のほうとうのほうが、小麦主体のうどんより安くなる日が来るかもしれませんけどね。

同解説本によると、吉田周辺の伝統食として、大麦のメシ(まずそう・・・)、とうもろこし粉の団子(これなら食べてもいいけど・・・)などもよく食べられていたそうです。

要するに、稲の品種改良が進むまで標高が高く寒冷地であること、土地が富士山火山灰土の影響で水はけが良く、稲作(水田耕作)に適さないため、畑主体の粉食文化圏であったという土地柄が背景にあるでしょう。

吉田そのものは、小麦の栽培には適していなかったそうですが、富士北麓では、肥料を用いず、冷害にもつよい「水掛麦」という栽培法もあったそうです。ふむ〜。聞いたことのない栽培方法ですね。非常に興味深い。

富士山の裾野の緩やかな傾斜地形を利用して、桂川の水を畑に掛け流して栽培された麦で、この地方独特の栽培法です。

川の水の養分のみによって生育するので肥料を用いず、しかも冬季でも凍結せず、麦踏みも不要でした。

この水掛麦は室町時代から行われており、江戸時代には、火山灰土の畑よりも生産性が高いことから、より多くの年貢が課せられていました。

そんな吉田でも、江戸時代に「米が食いてぇ(てか、当時は米本位制だから、百姓も領主も米が作りたい)という欲望をもとに新倉村で溶岩台地を開発し、新田を開くため、水不足の大地に、河口湖から水を引く用水トンネル開発事業が持ち上がりました。「新倉掘抜」です。このトンネルの延長は約4km。

新倉掘抜(あらくらほりぬき)は、山梨県南都留郡富士河口湖町船津と富士吉田市新倉字出口を結ぶ隧道式の用水路(用水堰)。河口湖の湖水を船津から取水し、天上山(てんじょうやま、嘯山:うそぶきやま)直下を貫通して新倉へ送水する。江戸時代に約170年かけて完成し、全長3.8キロメートルを測る日本最長の手掘りトンネルと言われる。富士河口湖町・富士吉田市それぞれの指定史跡。

新倉掘抜

僕は、(農業)土木遺産マニアなので、同時代の農業用水の代表例として「深良用水」は知っていました。が、この新倉掘抜は富士山ミュージアムの展示をみて初めて知りました。途中放棄を含めてだけど、完成までに170年・・・東洋の サグラダ・ファミリアです。

深良用水のトンネルが約1kmなのに対し、新倉は約4km。 当時は両岸から掘りすすめ、中間で穴を合流させて貫通となりますから、トンネルの距離が長くなればなるほど、その技術的難易度は上がっていきます。その点、もっと有名になってもいい土木遺産だと思うけれど・・・

深良用水(ふからようすい)は、箱根山をトンネルで貫き、神奈川県・箱根の芦ノ湖の湖水を静岡県裾野市に引くために造成された灌漑用水路。箱根用水(はこねようすい)とも呼ばれる。

深良用水

ま、深良用水は外輪山にトンネルを掘り、本来流域外の地に神聖な芦ノ湖の水を落しているので、その実施までの調整とかたいへんだったようだから、総合的にみて有名な事例なんだと思うけれど。

河口湖のほとり(河口湖町)に、「河口湖新倉掘抜史跡館」という博物館があり、これをぜひ見たかったんですが、現在「都合によりしばらく閉館」との張り紙が出ています。行きたい方は、事前に電話連絡されることをおすすめします。 (僕も営業日に電話したんだけど、出られなかったんだよね。諦められず、現地まで行ったんだけど、残念!)

概略の展示は、「富士山ミュージアム☆」にありますし、富士吉田市新倉の弁天神社脇で、掘抜の出口が見られます。ただし、駐車場はありません。

トンネルを覗いて感じたのは、露出している岩が、表面に穴が開いた、いわゆる噴火岩とは違うなあ。ということでした。

それで思ったのですが、ルートとして山麓にトンネルを掘ったのは、水路として保水性の低い火山灰性地質(噴火時期が新しい)を避け、より保水性に優れた古い地質(新しい噴火による堆積からは、山が守ってくれた)内に水路を造りたかったからではないかと。

河口湖.netから引用 新倉掘抜の経路
20万分の1 日本シームレス地質図

水路は、おそらくピンク色(166)と茶色(87)の境あたりに掘られています。ピンク色は1万8000年前に噴火した火山の岩石、茶色は1500万年〜700万年前に噴火した火山の岩石だそうなので、その組成過程や噴火からの経過年数により、透水性に違いがあるのかもしれませんね。

☆「富士山ミュージアム」って、名前から私設の、富士山の写真を展示しているところ っていうイメージがして、あんまり行く気は無かったんだけど、正式名称は 富士吉田市の歴史民俗資料館です。 多数引用していることからもわかるように、展示内容は充実していますし、現在外構工事中ですし、近くを通る機会があれば、寄っていく価値はあると思います。地味な地域史や富士山信仰の歴史に興味がある人は特に。